75. 悲涙の理由
『呪い』が解けた、シアンの心からの笑顔は――
スチルなんかよりも断然、輝いていて。
それを目の前で、私だけに向けてくれるなんて。こんな贅沢はない。一生分の幸運を使った気分だ。
なのに――何故。
こんなに切ない気分になるのだろう。私はちゃんと笑えているだろうか。彼の笑顔に私の笑顔を返せているだろうか。
あの苦しみから解放された。喜ぶべきところなのに――どうして?
不意に彼の顔が不安そうに歪む。
(こんなに表情をコロコロ変えられるの? 心の中が丸見えだよ、シアン……)
私の頬に伸びてきた手が、頬に伝う雫に濡れる。
――そうか。私は泣いていたんだ。
「何故、泣く?」
「……シアンの笑顔に感動したから」
「――違うだろ?」
まっすぐ見つめる瞳は今までのシアンと同じで。何故かホッとする自分がいた。
そうか。私は『凍らせた心』を持っている彼のことが好きだったんだ。
不器用で感情を表に出せないけれど、優しくて。そんな彼が好きだったんだ。
私だけにわかる感情や私だけにぶつける想いが、私を彼の特別な存在に思わせていた。
表情なんて、変わらなくてもいい。
笑顔なんて、見られなくてもいい。
すべてを受け入れる器量がなかったのは、私の方だ。今の私に、彼を受け入れることは……多分、出来ない。
彼はこれからきっと今まで以上に魅力的になるだろう。もう、私だけの彼じゃない。
そして、私はいつか消える。どうなるのかもわからない。そんな状態で誰かと婚約するなど――私にはやっぱり出来ない。
処刑ルートだって、学園を卒業するまでは正直、どうなるのか、わからない。ゲームの強制力が働くかもしれない。――不安しかない。
シアンには幸せになってほしい。
『呪い』が解かれた、今。彼は何にも縛られることがなくなったのだ。私が縛り付けてはいけない。彼は彼の道を選ぶべきだ。
私に縛られることなく。私の運命に巻き込まれることなく。
何よりも私が。それを願っている。
大好きだから。
大好きだから、幸せになって――ね、シアン。
◇◇◇◇
――何故、泣いている?
そんな悲しそうな顔で。苦しそうな顔で。
手を伸ばせば、触れられるのに。
頬を伝う涙を、手のひらで拭う。
ステラは、悲しそうに微笑んだ。
「何を考えている?」
ステラは視線を彷徨わせた。こういう時は大体、良くないことを考えている。
「俺はお前を離さないからな、ステラ」
ハッとしたように大きく息を吸う。
――わかりやすい奴だ。
ステラが考えそうなことくらい、わかる。多分、自分の魂が消える懸念と『呪い』が解けたことによる関係の解消だろう。
そんなことは、すでに見越している。
だから、俺はあの後、すぐヴェガードに直接交渉したのだ。
――ステラとの婚約を。
ヴェガードは第一王子のエウロス殿下に呼ばれ、彼の執務室へ行った。その後、時間を貰ったのだ。
彼はエラトス殿下とステラの再婚約を打診されたと言っていた。しかし、すでにセイラの想いを聞いていたため、その申し出を断ったと言った。俺との婚約を前向きに考えると約束した。
しかし、一つ、気になっていることがあった。
セイラがまだ、悪魔とステラの契約の意味を理解していないのではないかという懸念だ。
ステラがあの悪魔との契約で自分の魂が戻ることを願った時、結果は決まっていた。
悪魔は『出来ないことはないが、今は出来ない』と言った。それはすなわち『生きている間には、出来ない』ということを意味している。
セイラとの契約で『幸せ』を守らなければならない悪魔はステラに関わるセイラの魂も『幸せ』にしなければならないのだ。
故にステラの魂がステラの身体に戻る時は、双方が亡くなった時。つまり、エリスとステラが死んだ時なのだ。
ステラは――セイラは多分、理解していない。きっと今でも、自分が消えると思い込んでいる。
そのことが今、ようやくわかった。
その事実を伝え、彼女がそれを理解すれば、彼女の心を変えることが出来る。
その時、俺はそう確信していた。
そんな単純なことではなかったと、ステラの――セイラの抱えている『想い』は、もっとずっと根が深かったことを、この時の俺はまだ知らなかった。
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