68. 本当の想い
◇◇◇◇
悪魔は静かに目を開けた。
そして、ニヤリと笑うと、
『いいだろう。その願い、叶えよう』
そう言い、椅子に座るエリスの額にそっと口づけを落とす。エリスは口の両端を上げ、美しい悪魔を恍惚な表情で見上げる。王女のすぐ隣に立っていたヴェガードは怒りに肩を震わす。
その様子を呆然と見ていたセイラは、息が止まりそうになった。呼吸が浅くなり、回数が増える。
(――もう、ダメなの?)
「セイラ!!」
呼び声の聞こえた方に視線を向けると肩を大きく動かし、息を切らしたシアンとザニアが、扉の前に立っていた。
シアンが足早にセイラに近づく。
「無事か?」
エリスが顔を綻ばせて、笑いを堪える。
「無事か……ね。少し遅かったわね、シアン」
シアンは辺りを見渡し、悪魔ベリアルの姿を確認すると、視線をエリスに向ける。
「それとも……間に合った、というべきかしらね」
「どういうことだ」
睨むように王女に向けた視線を強くする。
セイラもアリサもヴェガードさえも、悔しそうに顔を歪ませ、視線を落としていた。
「もうお願いしてしまったのよ。悪魔に。契約成立よ、ふふっ!」
シアンは悪魔に目をやった。悪魔はシアンと目が合うと、片方の口端を上げた。
セイラを抱き締めると、少し震えていた。そっと頭を撫で、耳元で囁いた。――『ステラが言った願いは何だ?』と。そして、『一言一句、違えずに教えろ』と。
セイラは戸惑ったが顔を少し横に向け、シアンの耳元で言った。――『私の願いはステラ・アステリアの身体にステラの魂が戻ること』だと。
それを聞いたシアンはセイラの肩口に一瞬、顔を埋めた。そして、『そういうことか』と呟き、身体を起こし、セイラを放した。
放されたセイラは大きく息を吸うと、一気に吐き出し、大きく肩を下ろすと、まっすぐに前を向き、背筋をピンと伸ばした。そして、コツコツと靴音を鳴らし、一人の青年の前で立ち止まる。
「私、ステラ・アステリアは幼い頃から貴方のことを心からお慕い申し上げておりました」
そう言って、頭を下げ、綺麗な淑女の礼をする。そこにいる誰もが大きく息を吸い、目を見開いた。
愛を伝えられた本人も、そして、それを見ていたもう一人の本人も。
「だから、貴方と婚約したかったのです」
「や……めて……」
エリス王女が小刻みに首を振る。
「シアンと王女を婚約させ、私と貴方を婚約させたかった。そうすれば、魂が元に戻った時、ステラは愛する人とステラとして一緒にいられるのです」
「もう……やめて!!」
「貴方に想いを寄せています。――ザニア様」
「やめて!!!!」
エリス王女の姿をしたステラが叫ぶ。セイラは、くるりと王女に向き直る。
そして、にっこりと笑った。
「ただでは消えない! 一矢報いてやったわ!」
言葉の意味がわかるアリサが『ふっ』と笑った。わからない者たちは目を瞬かせた。
「要するに『ざまぁ』ってことですよね!」
「アリサさん……多分『ざまぁ』も通じないわ」
アリサは首を傾げた。セイラは苦笑いした。
そして、視線をシアンに移すと、とびきりの笑顔を向けた。シアンはその笑顔に息を呑んだ。
「私、星 聖来はシアン・プレアデスのことが大好きです! 直接、伝えられてよかった。ここまで来てくれて、本当にありがとう」
セイラのその言葉を聞いたシアンは目を丸くし、驚きのあまり、固まった。そんなシアンを見たのは初めてだったので、セイラは『ぷっ』と吹き出していた。
やっと我に返ったシアンはセイラの側にいく。
「今の言葉。後で撤回させるつもりはないが、いいのか?」
「え? ええ。撤回しないわ」
「セイラも俺を愛しているということでいいか?」
「うん……そうだけど……」
シアンが、ぎゅっとセイラを抱き締める。エリス王女の悲鳴にも似た声が聞こえた。
「シアン! それ以上、私の身体に触らないで!」
そして、悪魔ベリアルに命令する。
「早く私の身体を元に戻して!!」
悪魔は小さく息を吐くと、顎に手を置いた。
『悪いが、今すぐには難しいな』
「はぁ?」
『私はすぐにとは言っていない。お前もいつとは、言わなかっただろう?』
「なっ……」
シアンはステラの身体を放すと視線を悪魔の方に向けた。そして、片方の口角を上げ『ふっ』と鼻で短く息を吐いた。そして、心の中で思った。さすが悪魔に気に入られた女だと。悪魔に読まれるようにわざと呟いたシアンの心の声に、悪魔ベリアルは、一瞬、顔をしかめた。しかし、それに気付いている者は、シアン以外にはいない。悪魔は平静を装い、話を続けた。
『出来なくはないが、今は出来ないということだ』
「何故よ!?」
『お前との契約の前にしている契約があるからな』
視線をセイラに向ける。セイラは瞳を瞬かせて、首を傾けた。
それを聞いたヴェガードは、『そういうことか』と口角を上げた。
「思い通りにはいかなかったみたいだね、ステラ」
今度はエリスが悔しそうに顔を歪める。
シアンは先程のセイラへの確認ですでに気付いていた。まず、悪魔が片方の口角を上げたことで何かあると感じ、願いの内容を詳しくセイラに聞いた。
その文言を聞いて悪魔がセイラに不利にならないように図ったと、わかったのだ。セイラの肩口に、顔を埋めたのは、自分の顔が緩んでしまっているという自覚があったから。口角が上がっているのを、隠したかった。何なら、安堵のため息すら吐きそうだったのだ。
今後の様子を見るためにセイラに明かさず、隠したのだが思いがけず、セイラの自分への『想い』を聞けてしまった。自分の心が、満たされているのを感じる。これが幸せということか。確かに。これは手放せなくなりそうだ。誰もが、必死で掴もうとしているもの。そして、護ろうとするもの。他の誰かを陥れてでも、傷付けてでも。
今までは、わからなかった。その『想い』が。
セイラがいることで、少しずつ解放されていく。
(呪いが浄化されていっているのか?)
解除には、やはりセイラの関わる何かが必要なのだろう。セイラの自分への『想い』がわかった今、もう容赦はしない。
シアンは不敵に笑った。そして、もう一人、不敵に笑う人物がいた。
「さて、ステラ。これから君はどうするのかな?」
ヴェガードの微笑みにその場の皆が凍りついた。




