38. 時を司る神
風と共に現れた青年は悪魔に話しかける。
『ベリアル。お前ボクの契約者に近づきすぎたな』
『――クロノス。お前が関わっていたのか』
悪魔は大きなため息を吐く。
『それはこっちのセリフだよ。またボク達の邪魔をする気なの?』
『その気はなかった。それにお前の気配など感じなかったぞ』
『それはそうだろうね。彼女と正式に繋がれたのが昨夜だったから。満月の力を借りたよ。誰かさんがボクの契約者にちょっかい出したから、急ぐ必要があったし。要するに――キミのせいだよ』
そう言って、その青年はアリサに視線を向けた。
「誰よ? あなた……」
「恐らく『時を司る神クロノス』だな」
「何ですって!?」
アリサが大きく目を見開く。
「ステラが契約している神はアストライオスじゃないの?」
『そうだよ。ステラが契約しているのは間違いなくアストライオス。ボクが契約しているのは彼女の魂の方だから』
「――『ほし せいら』か」
『へぇ……キミは彼女の魂を知っているのか』
「ああ。彼女は、苦しんでいた」
「ちょっと、何?! シアン、あなたステラの秘密を知っていたの?!」
「呼び方。不快だ、やめろ」
シアンはアリサを睨み付ける。
アリサはとてつもなく低い声と凍るような視線にビクリを肩を震わせた。
『苦しんでいたから、助けてあげたんだよ』
「……何?」
『彼女はやり直しを望んだ。だから、ボクが彼女に力を貸した。それだけさ』
シアンはクロノスを睨み付けた。クロノスは両手を挙げて降参ポーズをとる。
『誤解しないでよ? ボクは彼女の味方なんだからね!』
クロノスは『ボクも一応、神だよ?』と苦笑いすると、少し俯いて続けた。
『それに……彼女がいないと、ボクも困るんだ』
「どういう意味だ?」
『彼女だけが、もう一人のボクを救えるから』
「もしかして……貴方が星の花の神話の神なの?」
アリサが呟くとクロノスが視線を向けた。
『へぇ。キミもあっちの世界から来たんだ?』
「は?」
シアンが視線を向けると、そこには不敵な笑みを浮かべたアリサがいた。
「ステラだけだと思ってたの? そんなワケないじゃない。私こそが主人公なんだから!」
アリサはクロノスに向き直る。
(――そんなこと、すでに知っている)
クロノスとベリアルにはシアンの心の中が読めたようで二人は共に口の両端を上げた。
「貴方が星の花の神話の神なら、話が早いわ。私の魅了魔法で貴方を救ってあげる。そうすれば、星花は私のもの。アフロディーテ! 出てきなさい!」
しんと、静まり返る。
「アフロディーテ! 何してるの?! 早く出てきなさいよ!」
苛つくアリサを煽るようにクロノスが笑う。
『キミ。全然、わかってないね』
クスクスと笑っているクロノスに、アリサの怒りがこみ上げる。
「何なの?!」
『あのさ。悪魔と契約した時点で、神の守護は切れてるよ? そんなのも気が付かなかったの?』
「えっ?」
『今朝から自分を取り巻く人間や擁護する人間が、少なくなってるって、感じなかった?』
「え……」
『キミ自身が魅了魔法を遣えるわけじゃないんだよ? 勘違いしないでよね。アレはアフロディーテの力』
アリサはその場にしゃがみ込む。
言われてみれば確かに今朝はエラトスもラサラスもメラクもアインも自分の周りにはいなかった。
誰にも――話しかけられていなかった。
クロノスは微笑みながら続ける。
『そうそう。ちなみにアフロディーテの力じゃボクのコト、救えないからね?』
「え……?」
『当たり前でしょ? 神に神の力を使うって……正気なの? 下手したら、この世界ごと消滅しちゃうかもよ?』
アリサは愕然とし、悔しそうに唇を噛み締めて、俯いた。
クロノスはシアンに視線を移す。
『そうか、やっとわかったよ。キミだったのか』
そう言うと、クロノスは目を閉じた。
『悪かったね。――ボクのせいだ』
シアンはクロノスの言葉に首を傾げた。
『もう一人のボクは、ルーカスなんだよ』
「え?」
(ルーカス・アステリア? ヴェガードが言っていた、例の御伽噺の? その物語の主役となった先祖か?)
『そうだよ。その通り。……だから、キミの先祖、レイラの呪いが生まれたばかりのキミに降りかかってしまった。ルーカスの魂を持ったステラが生まれたから。正確にいうとね、あの神話の神は、ボクであってボクじゃないんだ。説明は難しいんだけど』
シアンは黙って話を聞いていた。クロノスは『とにかく』と続ける。
『ステラは、ルーカスの魂を持って生まれてきた。セイラは異世界で死んで、もう一度やり直したいと願い、ボクが契約して、この世界に連れてきた』
「ステラが今、どこにいるのか、わかるのか?」
黙って聞いていたシアンが口を開く。クロノスは頷いた。
『迎えに行ったよ。もう一人のボクを』
「一人で行ったのか?」
『そうだよ』
「教えろ。どこだ?」
『迎えに行くの?』
「当たり前だ。俺が行かなければ、何も解決しないだろう?」
クロノスは一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに眉尻を下げると口角を上げた。
『その通りだ。もうわかっているんだね。いいよ、教えよう。彼女を迎えに行ってあげて』
シアンは強く頷いた。
『ところで――もう一つ、この場で解決しておきたいコト、あったよねぇ? ベリアル?』
クロノスが悪魔ベリアルに微笑みを向ける。悪魔はチッと舌打ちをし、その美しい顔をしかめた。
『それで? 我が契約者は、何を望んだのかな?』
悪魔ベリアルは大きく息を吐き、口を開いた。
『ないと言ったんだ。悪魔に願う願いなどないと』
シアンは無意識に口角を上げた。アリサは立ち上がり、驚愕する。
「そっ……そんなはず、ないわ……」
アリサはベリアルを睨む。妖艶な姿の悪魔はそれを軽く受け流した。
「それなら、契約してないってことじゃない!」
『それでも何か願わなければならないのなら……とあの娘は――』
――『私に関わる人たち全員の幸せを願うわ』
『もちろん、お前も含まれている』
「そ、そんな……」
『これで私がお前の魂を生きているうちに取ることは出来なくなったわけだ。――どうだ? 嬉しいだろう?』
「……え?」
『お前の望みを叶えれば、私はお前の魂を貰える。お前の望みは、あの娘と契約をさせること。あの娘の望みはお前を含めた、あの娘に関わる人間全員の幸せ。……ならば、私がお前の魂を貰えるのはお前の寿命が尽きた時となるのだ。――わかるか? 暫く、待たねばならなくなった』
「あっ、ああ……」
アリサはガクガクと膝を震わせ、再度、その場にしゃがみ込む。それを見た悪魔は、ニヤリと笑い、アリサの顎に手をかけた。
『次に私がお前に口づけをする時、お前の姿はどうなっているのだろうな? どちらにしても、冷たい死体だろうが。私としては老女と口づけをするより若いままが良いが……そうなると、処刑後か?』
アリサの顔が青ざめる。
『悪魔と契約した魔女は、処刑だったな?』
青ざめた顔は恐怖で強張る。
『溺死刑か、火刑か、絞首刑か。お前はどれになるのだろうな? ――どちらにしても、綺麗な状態で口づけは出来なそうだ』
悪魔ベリアルは畳み掛けるようにアリサに残酷な現実を伝える。アリサはブルブルと身体を震わせ、すでに意識を保つのがやっとのようだった。
『ならば、老女との口づけの方が良さそうだな』
「え……」
『よく考えろ。私は契約を守らねばならん。お前の処刑は、お前の幸せな姿なのか?』
「……あ……」
『お前があの娘に願ったことは、何だ?』
「え……?」
『本当は、何をあの娘の未来に願った?』
「あっ……わっ、私は……」
『今、お前が向かっている未来、だろう?』
アリサはハッと顔を上げた。
『あの娘に望んだ未来が、今、お前が向かっている未来なのだろう? それを救ってくれたのがあの娘ではないのか?』
アリサの目から涙が溢れ落ちた。
『……ルーカス……』
アリサが俯きながら呟く。
(――え? ……今、何て?)
シアンも、悪魔ベリアルも、時を司る神クロノスも一斉にアリサを見る。
アリサは地面に額をつけたまま、ただ静かに涙を流し続けていた。




