12. 予言の女神
テミスの話に色々と深く聞きたいこともあったのだが人目が気になり、結局、何も聞けず悶々と過ごすことになってしまった。
休み時間になり、空き教室に移動しようと素早く席を立ち、足早に扉を出た所で人にぶつかった。
気が焦っていて、そこに人がいたことに全く気が付かなかった。これは私のミスだ。
「すまない。怪我はないか?」
ぶつかってしまい、倒れ込んだ相手の生徒に手を差し出す。彼女は顔を上げ、そっと、差し出された手を取った。
「ありがとうございます」
ニコリと笑うその顔に、ドキリと胸が高鳴った。
彼女を知っている。光魔法の遣い手として異例の編入をした男爵令嬢アリサ・ベルクルックス。
召喚の儀式で女神アフロディーテを召喚し、その守護を受けた令嬢。女神アフロディーテの守護は、計り知れないほど強力だった。王城ではもちろん、学園ですら、魔法制御のための結界を張り直したくらいだ。
彼女の魅了魔法は、それほど度を越えている。
王族は外部の魔法から身を護る魔法具のピアスを常に身につけている。それでも彼女には魅力を感じてしまうようだった。
「申し訳ないが、急いでいるので失礼するよ」
彼女が立ち上がったのを確認すると、手を離そうとした……が、その手が離れることはなかった。
「あの、足を挫いてしまったようなのですが……」
バランスを崩した彼女を反射的に抱える。
「では、救護室まで送ろう」
彼女を抱え直し、救護室へ向かう。ただ頭の中はステラのことでいっぱいだった。
だから、私は見えていなかった。
自分の周りの視線も、彼女からの視線も。
彼女を救護室に送り届けた後、空いているクラスでテミスを呼び出す。
『いろいろと聞きたそうね?』
「ああ。まずステラのことだ」
『それよりも……さっきのコの方が貴方にとっては重要だわ』
「さっきの?」
『ええ。救護室まで運んだ、お嬢さん』
「何故?」
私が怪訝な顔をすると、テミスは少し考えてから口を開いた。
『あのコが婚約破棄の原因の一つよ』
「何だって?!」
『ほらほら、興奮しないの』
「落ち着いていられるか! どういうことだ?」
『これは予言であって、たくさんある未来の可能性の一つでしかないわ』
「何?」
『今、私に見えている未来は、ステラちゃんと貴方が婚約破棄をすること。そして、その原因の一つがアフロディーテが守護しているお嬢さんであるということだけね』
「もう一つ。聞きたいことがある」
『ステラちゃんの中の別の魂についてね』
「ああ」
『なんていったらいいのか……表現が難しいのだけれど。そのままの意味でステラちゃんの中にステラちゃんではない、もう一人のステラちゃんがいるといったら、わかりやすいかしら?』
「何だ、それは?」
『貴方も気が付いているのではなくて?』
「え?」
『ステラちゃんがステラちゃんではないって』
ハッとした。
……そうだ。学園に入ってからのステラは今までのステラではなかった。何となく気が付いていた。
「では何故、私とメリッサ嬢に対してだけ今までと同じ態度なのだ?」
『それは……私にも理解できない力が働いているとしかいえないわ』
「神でも、か?」
『そうね、そういうことになるわね』
テミスは静かに目を伏せた。
〜・〜・〜
「エラトス殿下」
すべての授業が終わり、生徒が帰宅し始めると、不意に呼ばれた。そちらを向くと例の彼女がいた。
「ベルクルックス男爵令嬢。怪我はどうかな?」
「ええ。あの後、救護室で回復魔法をかけていただき、よくなりました。エラトス殿下、本当にありがとうございました」
「いや。こちらの不注意だった。すまない」
「あの……少しだけお話、よろしいですか?」
「? ……ああ、構わないが……」
何の話があるのか疑問だったが、無下にすることも出来ず、話を聞くことにした。
「エラトス殿下の婚約者様は、ステラ様だと伺いました」
「ああ、そうだが?」
「私、ステラ様と同じクラスなのですが……」
彼女は口ごもるようにうつむき、視線を落とす。その姿に何故か『守ってあげなければ』という想いが湧いてくる。
「どうかしたのか?」
優しく問いかけると彼女はポロリと涙を流した。
突然のことに私は驚き、目を見開く。
「殿下のご婚約者様のことを悪く言いたくないのですが……あまりにも酷い仕打ちに……本当に耐えられなくて。……申し訳ありません、エラトス殿下」
そういうと、顔を手で覆い、涙を隠した。
どうやら私やメリッサ嬢に対する態度と同じものだろう。メリッサ嬢を蔑むような姿や言動は何度となく見ている。それをされたとなると、心が痛い。私の婚約者の行いは、私の責任でもある。
「私の婚約者が迷惑をかけたね。申し訳ない」
「いえ! 殿下が謝ることではございません」
「しかし、ベルクルックス男爵令嬢……」
「アリサと」
「え?」
「アリサとお呼びください。エラトス殿下」
涙を浮かべながら願う姿に、なかば押しきられたような形で呼び方を変更させられた。
「アリサ嬢。私の婚約者の行動は私自身の責任でもある。だから、私から謝らせて欲しい。本当に申し訳ない。ステラにはよくいっておく」
「ありがとうございます。エラトス殿下」
そういって、彼女は微笑んだ。
『彼女のこの笑顔を守らなければ』という心の声が一段と大きくなった。