106.悪役の令嬢
「申し訳ありません、エラトス殿下」
「何が……でしょうか?」
突然のリイナの謝罪に、エラトスは首を傾げた。リイナは申し訳なさそうに項垂れる。
「私たちを饗すようにと、陛下から仰せ付けられていらっしゃるのですよね?」
「ええ、まぁ。仰る通りですが、それは王族である私の当然の責務ですから」
「でも……ご婚約者様が倒れられても側にいることができないのは、私たちのせいですわ」
「……え?」
胸を抑えて、切なそうに歪める顔に、首を捻る。そして、エラトスはハッと気が付いた。
彼女は未だステラが自分の婚約者だと思っているということに。
「あ、いや……ステラとはすでに婚約を解消しておりまして」
気まずそうに笑うと三人は一斉に視線をエラトスに移した。驚いたように見開かれた目に、エラトスは表情こそ出さなかったが動揺した。
「どうかされましたか?」
「いえ、あの……ステラ様はエラトス殿下のご婚約者様ではないのですか?」
「ええ。今はもう違います」
「しかし……先程は、とても良い雰囲気だとお見受けいたしましたが……」
驚き過ぎて何も言葉が出てこない王女に変わり、ベイドが口を開いた。『良い雰囲気』と言われたことに、不覚にも少し顔を緩めてしまったエラトスに、レサトが畳み掛ける。
「では、エラトス殿下には、まだ新しい婚約者様はいらっしゃらないのでございますか」
「ええ。まだ決まっておりません」
にっこり微笑み返す。レサトは表情を変えることなく、また問い掛けた。
「ステラ様にも新しい婚約者はいない、と?」
エラトスの表情が、瞬時に一変する。その変化にベイドがゴクリと喉を鳴らした。
――彼にしてはいけない質問だったのだ、と。
ベイドがレサトに視線を向けるが、彼は変わらず無表情だった。
エラトスが一瞬にして表情を和らげる。
「ええ。まだ解消して日が浅いですから」
微笑んではいるが、その目の奥は笑っていない。そんなこと、どこぞの王国の王家でも同じである。
やっと現実を取り戻した王女がエラトスに問いかけた。
「どうして、婚約を解消なさったのですか?」
エラトスには彼女の質問の意図が読めなかった。まさか、自国の事情を正直に話す馬鹿はいない。
だからこそ、彼女の真意を測り兼ねてしまった。
「理由をお話する必要性を感じませんが……」
リイナは自分が思わず発してしまった質問の浅慮さに気が付き、慌てて首を振った。
「そうですわね! 私としたことが……お二人がとてもお似合いだと思っておりましたので、少々、衝撃が強すぎたようですわ」
苦笑いして、首を傾げた。その姿にエラトスは、にっこりと笑い返す。
「ははっ。そう言っていただけると、何だか嬉しいものですね」
今はもう、ここにいない彼女を思い描くように、彼女の座っていた空席を眺める。
「私は――彼女のことが本当に大切ですから」
その一言に三人の視線が再びエラトスに集まる。その視線を受けたエラトスは柔らかく微笑んだ。
「さぁ、昼食の続きを」
止めていた手を動かし、時間が過ぎていった。
◇◇◇◇
「ねぇ……どういうこと?」
ふかふかのソファにもたれ掛かった王女が天井を見上げながら大きなため息を一つ吐く。
コトリと置かれたティーカップからは、湯気と共にハーブの優しい香りが上がっていた。
「さぁ……私たちにわかるはずがないでしょう?」
ベイドは、はぁと小さく息を吐き出し、もう一つのカップをテーブルの反対へ置いた。音も立てずにそのカップを持ち、口を付けたレサトがふぅと息を吐き出す。
「フレア様のお話と、大幅に違うようですが」
伏せた目を開け、リイナを見る。彼女は大きく顔をしかめた。
「おかしいわ。違い過ぎる。一体、何がどうなっているのよ……」
「一度、状況を整理してみてはいかがですか?」
ベイドが提案すると、彼女は首を上下に振った。
「まず、エリス王女が生きていること」
「二年前に儚くなっていたはずなのですよね?」
リイナはコクリと頷く。
「エラトス殿下とステラ様がすでに婚約を解消していること。本来なら、卒業式で婚約破棄されるはずだったのよ」
「あの、それは……どちらからですか?」
「えっ? エラトス殿下からステラ様に言い渡されるのだけれど……言わなかったかしら?」
ベイドが考え込むように、顎に手を当てた。
「以前、王女サマからそう聞いておりましたが……先程のエラトス殿下の態度を見ていると、そのような感じはしなかったですよね?」
「確かに。逆に大切にされているように感じたが」
ベイドの考察に、レサトも頷いた。リイナは口を尖らせて、腕を組む。
「それにしても……何よ? あれ! 私の一世一代の告白を邪魔するなんて!」
二人は、やれやれと肩を落とした。
「あれは、本当に具合が悪そうでしたよ?」
「……演技では、なかったな」
「レサトもそう感じたの?」
「ええ。あれは、本当です」
王女は『なら仕方がない』と肩を落とし俯いた。
「でも……何で、シアン様とステラ様が一緒にいるのかしら? 二人は確かに幼馴染みだったけど、そんなに関係はなかったはずなの」
あの乙女ゲームのシアンルートに悪役令嬢であるステラはほんの少しだけしか登場しない。
悪魔と契約した第二王子の婚約者。そして、シアンの幼馴染み。
彼女が悪魔と契約した理由。それはゲームの中の物語では語られていなかった。
「ステラ様は、何で悪魔と契約したのかなぁ?」
「「え……?」」
呟かれた一言に二人が驚いたように王女を見る。二人の尋常ではない様子に、王女は狼狽えた。
「あれ? 私、何か悪いこと、言ったかしら?」
恐る恐る聞くと、二人が大きく息を吸った。
「悪いなんてものではないです」
「まさかとは思いますが……物語の中でステラ様はその後、どうなるのです?」
「処刑よ」
サラリと言った王女の言葉に『はぁぁ』と、二人は思いきり息を吐き出した。
「何故、そんな大切なことを今、ここでおっしゃるのですか!?」
「ええっ? そんなこと、言われても……」
「ステラ様が生き延びるルートは? そこに向かっていきましょう」
ベイドが言うとリイナは間も空けずに『ないわ』と答えた。二人が目を見開く。
「……ない、のですか?」
「そうよ? だって、悪役令嬢ステラ・アステリアの最期は全ルート処刑だもの」
二人の顔が、さらに強張る。
「彼女が処刑されないと、続編は始まらないの」
王女は二人に、にっこりと微笑んで言った。
「だから、シアン様に処刑してもらわないと……ね!」
王女の言葉と微笑みに、従者と護衛騎士は彼女に対して初めてぞくりと背筋を凍らせた。