第5章
菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です
わたしたちの一行は、相模の国へ入った。
《竹芝伝説》で元気を取り戻したわたしの精神は、それまでの死んだような状態が嘘のように活性化した。そのため、車の中から見えるすべてが刺激的に思え、目を輝かせてそれら珍しい異国の風景を堪能した。特に《にしとみ》という場所にある山は、片側が海に面していて、青い海、押し寄せる白い波しぶき、緑の山並みと、まるで高級な屏風絵をずらりと並べたように美しかった。
それから《もろこしが原》。白い砂浜がどこまでも続いていて、これまたとても美しかった。ただ名前が《もろこしが原》というわりには、唐撫子ではなく大和撫子ばかりが咲いていたのには笑っちゃったけど。
足柄山は、木が鬱蒼と生い茂っているため昼間でも薄暗く、ひどく不気味なところだった。そんな足柄山の麓の宿場に一泊したのだが、その夜、敦子お姉ちゃんと二人でこっそり宿を抜け出し、周辺の探索に出掛けた。昼間から薄暗い上に、その晩は月が出ていなかったので本当に真っ暗だったけれど、わたしたちは暗闇の中、手探りで前へ進んだ。
街道に面した大きな宿屋の前に、たくさんの酔っぱらったおじさんたちが、細長い縁台に腰かけ、楽しそうにがやがやと何かしゃべっていた。その中にいた赤ら顔のおじさんが、わたしたち姉妹を見つけて話かけてきた。
「おや、お嬢ちゃんたちも旅の途中かい?」
「うん。都へ帰るの」
わたしがそう答えると、おじさんは珍しいものを見るような目つきで
「へえ、都の子供かい。そうかい、そうかい」
そう頷いた後、
「でも、もう遅いから、子供は寝なきゃ駄目だぞ。これからは大人の時間だからな。さっさと宿へ戻って寝床に入りなさい」
と帰るように促した。《大人の時間》という言葉に興味津々だったけど、おじさんにそう言われたので仕方なく宿へ引き返そうとしたまさにその時、暗闇の中から不意に三人の女が現れた。五十歳ぐらいの年増女の後に続いて、二十歳ぐらいの女と十四、五歳ぐらいの若い娘が現れたのだが、そのあでやかな衣装、おしろいの匂い、なまめかしい雰囲気に、わたしは圧倒された。それまでの人生で決して見たことのない種類の女だった。遊女というものがこの世に存在することを、まったく知らなかった。だから、その時も、暗闇の中から、とつぜん天女が舞い降りてきたのかと錯覚したほどだった。それくらい彼女たちは美しかった。
おじさんたちは大喜びで、さっそく若い遊女ふたりを縁台に座らせて、その周りに集まった。そして、灯火の光で照らして、じっくりと彼女たちを品定めし始めた・・・と書いたものの、その時のわたしは遊女という存在を知らなかったわけだから、実際にはおじさんたちが、きれいなお姉さんたちを、ただ熱心に鑑賞しているだけだと思っていた。
おじさんたちに向かって、年増女が
「この娘たちは《こはた》の孫なんだよ」
そう言うと、みんなはさも感心したかのように嘆息した。
「どうりで美しいわけだ。あの《こはた》の孫とはねぇ。肌は透き通るように白く、長い黒髪は艶やかに輝いている。これなら朝廷の高級女官と言っても通用するだろう」
おじさんたちの話から推察するに、《こはた》というのは、そのむかし超売れっ子だった有名な遊女らしい。
年増女とおじさんたちは、いま思えば値段交渉をしていたのに違いない、何かをこそこそ相談していた。その間、二人の遊女は歌をうたった。その歌声がまたこの世のものと思えないくらい美しくて、わたしと敦子お姉ちゃんは思わず聴き惚れてしまった。同じように彼女たちの歌声に魅了されたおじさんの一人が、彼はおそらく西国からやって来たのだろう
「こんな素晴らしい遊女は西国にはいないよ」
そう声を上げると、二十歳ぐらいの遊女が
「難波あたりの遊女に比べたら、わたしどもなんてまだまだ未熟者です」
と謙遜した。ここらへんの受け答えも、そつがないと言うか、たいへんお見事で、好感度が高かった。
その二十歳ぐらいの遊女が、わたしたち姉妹に気づき、手招きをした。勇気を振り絞ってわたしが近づくと、彼女はにっこりと微笑み、袖口から取り出したお菓子をくれた。わたしは一言「ありがとう」そう言うと急いで敦子お姉ちゃんのところへ戻った。
遊女たちとの接点は、ただそれだけだった。でも、今でもあの時の遊女の顔が忘れられない。わたしに向けられた温かい眼差し。哀しみを胸に秘めながら、いたいけな子供の幸せを願う、思いやりのある眼差し・・・あのお姉さんは今頃どうしているのだろうか? たぶんもうお亡くなりになったのだろうけど、何だかとても懐かしい。もし、もういちど彼女に会えるのなら、こう言ってあげたい、あなたは本当に心の優しい、善良な、素晴らしい女性でしたよ、と・・・もし、もういちど会えるのなら・・・