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さらしな日記  作者: ふじまる
34/35

第34章

菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です

(これって現実なの? またわたしお得意の夢じゃないの?)

 本気でそう疑ったくらいのあっけなさだった。とても現実とは思えなかった。だって、去年の八月に凛々しい若武者姿で夫と共に信濃の国へ旅立って行った仲俊が、今は黒い喪服姿で夫の埋葬に立ち会っているなんて・・・こんなバカな話がある? こんな現実を受け入れろと言うの? わたしにはとうてい受け入れられなかった。しかし、いくら拒絶しても夫が死んだ事実に変わりがあろうはずがなく、結局わたしに残された道はただ泣く事のみだった。

 わたしは泣いた。夫に謝りながらひたすら泣いた。自分の愚かさを呪って一日じゅう泣き暮らした。昔、お母さんの発案で、代理の僧侶を長谷寺へ行かせ、鏡を奉納した事があった。戻って来た僧侶は、夢の中で「鏡に映る床に伏せて泣き崩れている女を見た」と報告したけれど、それこそがまさにこの時のわたしだった。わたしの場合、当たるのはいつも悪い予言ばかり。良い予言が的中した例は無かった。

 いま思うに、わたしの最大の過ちは、自分は頭が良いと思い込んでいた事だった・・・わたしには何も分かっていなかった。ぜんぜん分かっていなかった。確かにわたしはたくさんの読書をし、他人より多くの知識や教養を身に付け、とりわけ文学や芸術に精通していた。しかし、根本的なところは何も分かっていなかった。つまり現実が見えていなかった。自分勝手な理想にしがみついていただけだった。本当に頭が良ければ、もう少し現実が見えたことだろう。反対に無教養だと軽蔑していた夫は、ちゃんと現実を弁えていた。少なくとも地に足がついていた。ところが、独りよがりの身勝手な理想でふわふわ浮き上がっていたわたしは、愚かにも現実を直視することを避け、夢の中に生きる道を選択したのである。そして、自分の理想と異なる現実はいっさい拒絶するという愚行に走ったのである。

 そもそも光源氏や薫大将のような男性は存在しないし、存在したとしてもこのわたしが夕顔や浮舟のようになれるはずはないのである。なぜこの簡単な理屈が分からなかったのだろう? 頭が良いはずのわたしに、なぜ心の中で思い描く自分勝手な夢は何ひとつ実現しないのだという現実が理解できなかったのだろう? いや、意識の表面部分では自分の夢が実現しないことを弁えていたし、しばしばそれを言葉にも出していた。しかし、わたしのいやらしいところは、それでも心のどこかで、心のいちばん深い場所で、いつか自分の夢が叶う日がきっと来ると期待して待っていた事である。そんな日が来るはずないのに。最後の大逆転なんかあり得ないのに。誰にでも分かる簡単な道理なのに。

 いつの間にかわたしの中で自分という存在が不自然なほど大きく膨れあがっていた。いつでも自分、自分。自分中心の世界。自分中心の考え方。正直たいした女ではないのだ、わたしは。いくら頭が良いと威張ってみても、いちばん根本の道理が分かっていなかったくらいだし、物語を書く能力があると自慢してみても、所詮は紫式部や清少納言には遠く及ばない作品しか書けなかった。容貌だって、ジジイだ、さえない、醜い、臭いと夫をさんざんバカにしたわりには、自分だってブスだし、もういい加減ババアだし、四十歳を過ぎた頃から変な体臭がするし・・・つまり、心と現実が一致していなかったのである、わたしは。わたしの心は幾つになっても少女時代のままで、少しも成長していなかった・・・もっと分を弁えた生き方をしていれば・・・もっと身の丈に合った人生を選んでいれば・・・特別な何かになりたいという大それた野心・・・人気者になって世間の脚光を浴びたいという欲望・・・そんなものを抱かなければ幸せになれただろうに。ありのままの現実を素直に受け入れ、その中で幸せを掴もうと努力していれば、少しはマシな人生になっていただろうに・・・夫とのささやかだけど幸せな人生があっただろうに・・・その方がずっと良かった。ずっと得だった。しかし、自分の愚かさがすべてをぶち壊し、全部を台無しにし、あれ程わたしを思いやってくれた夫に無用の苦しみを与え、無駄に傷つけるだけの結果になってしまったのである・・・

 ああ、わたしは罪の意識で気が狂いそうだ。夫には本当に申し訳なかったと思う。いくつになっても世間知らずで可愛げの無いガキだったわたしに随分と不愉快な思いをしたことだろう。しかし、わたしと違って大人だった夫は、人間の度量が大きかった夫は、最後まで怒りの感情を表に出す事は無く、それどころか死の直前には感謝の言葉さえ掛けてくれたのである、こんなわたしに・・・

 あの世へ行けば夫に謝罪できるのだろうか? いや、夫のいる極楽へは行けないだろう。わたしみたいな悪妻には地獄がお似合いだ。それでも、三年ほど前、夢の中の話ではあるけれど、我が家の庭先に阿弥陀如来さまが立っていた事があった。阿弥陀如来さまの体は黄金色に輝き、片手を広げ、もう一方の手で印を結んでいた。畏れかしこんで拝礼していると、阿弥陀如来さまは「今回はいったん帰って、後でまた迎えに来よう」とおっしゃった。その瞬間、夢から醒めた。もしかしたら阿弥陀如来さまがわたしを極楽へ連れて行ってくださるのかもしれない。今はただそれを願うばかりである。もし願いが叶って極楽へ行けたら夫に詫びよう。心から詫びよう。たとえ許してもらえなくても・・・

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