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さらしな日記  作者: ふじまる
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第21章

菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です

 お父さんの前で偉そうな事を言った手前、気合いの入った菊襲で正装し、張り切って家を出たものの、いざ実際に内親王家へ参上してみると、華やかに着飾った女官たちがずらりと並ぶその豪華絢爛さに圧倒され、極度の緊張のあまり、膝はガクガク、冷や汗タラタラで、もう失神しそうだった。

 考えてみれば、一度も世間に出たことの無い、自宅引き籠りの三十女が、初めて外部社会と接近遭遇するのである。最初から上手くいくのを期待する方がどだい無理な注文だった。

 本だけはたくさん読んでいたので、文学や歴史の知識なら誰にも負けないぞ。これまでに培った膨大な教養で清少納言みたいに他の女官たちを打ち負かしてやるんだ。菅原良子、ここにありというところを見せつけてやるんだ・・・そんな意気込みで鼻息荒く乗り込んでいったわたしだったけど、自分がでしゃばれるような空気はどこにも存在していなかった。巨大な何かに飲み込まれ、身をすくめているより他なかった。そう言えば清少納言だって初出仕の時はどうして良いか分からなくて泣いちゃったのよね。あの偉大な清少納言でさえそうだったのだから、初めからわたし如きがとうてい太刀打ちできる相手ではなかったのである。結局わたしはその場の雰囲気に耐えられなくなり、明け方に早退してしまった。初出仕は失敗だった。

 第二回戦は十二月だった。今回は十日間ほど内親王家に泊まり込んでお仕えしなければならなかった。わたしは知らない人に囲まれながら懸命に仕事をこなした。仕事をこなしていくうちに、だんだん内親王家での生活に慣れていった。慣れてくると、それまで自分とは別種類の生き物のように感じ、何を考えているか分からなくて不気味だった周囲の人々が、ようやく自分と同じ生身の人間に思えるようになった。同時に話し相手となる友達もできた。

 このように仕事面では順調だったけれど、それでも夜になって自分にあてがわれた部屋で寝ていると、どうしても家族が恋しくて泣けてきた。それまでの生活では、夜眠る時、左右には必ず恵子と国子がいた。三人で川の字になって仲良く寝ていた。それが今はいない。恵子と国子はわたしがいなくて寂しがってはいないだろうか? また、お父さんは大丈夫だろうか? お母さんは? 次々と家族の顔が頭の中に浮かんできて涙が止まらなかった。

 十日後、実家へ戻ると、すぐに恵子と国子が弾けるような笑顔で「母さま、お帰りなさい」そう言って駆け寄って来た。未婚だけれどわたしは彼女たちにとって母親なのだ。お父さんとお母さんは囲炉裏に火をくべて暖かくした居間でわたしの帰宅を出迎えた。お父さんとお母さんが一緒にいるのは珍しい。この二人が雁首揃えている時は、どうせ良からぬ事を企んでいるに違いない。ここはひとつ警戒しなければ・・・そう思った矢先、早速お父さんが思いっきり哀れっぽく泣き言を述べ始めた。

「良子が留守にしていたこの数日間、家の中はしーんと静まり返り、物音ひとつせず、訪ねて来る人もおらず、わしらは心細くて寂しくて仕方なかったのじゃよ。わしら年寄りにこんなつらい思いをさせるなんて、まったくひどい話じゃないか。年寄りはもっと大切にしてもらわんとのお」

 お父さんはどうしてもわたしの宮仕えを辞めさせたいらしい。そのためには泣き落としも辞さない構えのようだった。しかし、そんな見え透いた泣き落としに騙されるようなわたしではなかった。完全に無視すると、今度は作戦を変えて

「やはり良子がいると違うのぉ。家の中が見違えるように賑やかになったわい」

 などとお追従を並べて、わたしの機嫌を取ろうとするのである。娘を働きに出す情けない父親でいたくないというお父さんの気持ちは、もはや信念みたいなものに変貌していた。だけどこっちは宮仕えを楽しんでいるのだから良いじゃないのよ。放っておいてよね。わたしは気楽にそう考えていた。

 しかし、お父さんは断固としてわたしの宮仕えを辞めさせるつもりらしく、お母さんと結託して新たな策を練っていた。

(んもう、こんな時だけお母さんと協力し合うんだから)

 わたしの方は、そんなお父さんたちの動きを気に留めることなく、ますます仕事に励み始めた。というのも、慣れて要領を覚えてくるにつれ仕事が楽しくなってきたのである。

 もう一つ、文学について語り合える友達が出来た事も、宮仕えを辞めたくない理由だった。内親王家に仕える女官たちは皆、自分たちが貴族社会の文化を牽引するのだという気概の下、和歌や漢詩や物語に関して日々研鑽を重ねていた。すなわち、かなりの教養人の集まりだった。ある日、和子というまだ二十代の若い同僚から

「ねえ、良子さんって、もしかして『朝倉物語』の作者の良子さんなの?」

 そう尋ねられてわたしは心底驚いた。膨大な数の物語の渦に飲み込まれ、そこに埋没し、忘れ去られたとばかり思っていたわたしの『朝倉物語』が人に読まれていて、実際に読んでくれた人が目の前にいるなんて・・・これが驚かずにいられようか。

「・・・あ、はい。あれはわたしが書いた作品ですけど・・・」

 わたしは不安げな表情とおずおずした口調でそう答えた。まだこの段階では和子の意図が不明だったからである。

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