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さらしな日記  作者: ふじまる
20/35

第20章

菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です

 菅原家上空に居座っている不運の黒い雲を追い払い、お父さんを早く都へ帰す方法はないものか? そう思い悩んでいたところ

「天照大神をお祈りしなさい。そうすれば、あなたの願いは叶うでしょう」

 と忠告してくれる人がいた。そういえば昔、夢の中で、六角堂へ遣り水を引いている最中だというわけの分からない人から同じ忠告を受けたことがあった。そこで

「そもそもアマテラスって何なの? 神さま? 仏さま?」

 と質問してみると、その人は「神様にあらせられます」と言う。

「その神さまはどこにいらっしゃるの?」

「紀伊の国の伊勢神宮にいらっしゃいます。また、宮中の内侍所にもいらっしゃいます」

 そんなこと言われてもなぁ、まさか紀伊の国まで行くわけにはいかないし、わたしなんぞが宮中に入れるわけないし・・・でも、太陽の神さまだという話だから、いちおう空へ向かって拝んでおこう。万が一という事もあるからね。これで願いが叶えば安いものよ。

 結局、初詣作戦もアマテラス作戦もさっぱり効果が無く、四年後ようやくお父さんは任期を終えて都に戻って来た。四年ぶりに会ったお父さんはすっかり老け込んでいたけれど、それでも嬉しかった、お父さんと再会できて。もう一度お父さんを抱きしめる事が出来て。だって、常陸の国へ旅立ったあの日が、お父さんとの今生の別れになるかもしれないと本気で心配していたのだから。

 西山の新しい屋敷で再びお父さんと一緒の生活が始まった。四年に渡る常陸の国での生活で精根尽き果てたのか、お父さんは元気が無かった。気も弱くなり、たびたび隠居をほのめかした。

「年寄りがいつまでも官職にしがみついているのはみっともない。今後はどんどん若い連中に任せていかなければね」

「お父さんだって、まだ充分に若いわよ」

 そう慰めても、お父さんは首を横に振り

「いやいや、わしなんかもう駄目さ。もともと能力のある人間じゃなかったけれど、年を取ったらいよいよ本当に駄目になってきた。とにかくわしはもう疲れたよ。あと何年生きられるか分からないけど、最後ぐらいは静かに暮らしたいものじゃな」

 すぐにも死ぬような口ぶりなので、わたしはすっかり悲しくなり、お父さんの手をぎゅっと握った。上総の国の国司をしていた頃のお父さんはまだ若々しくて、顔には生気がみなぎっていた。その頃のお父さんの凛々しい姿をわたしはよく憶えている。ところが、常陸の国から帰って来た時のお父さんは別人のように枯れ果て、萎れてしまっていた。上総の国で生活がついこのあいだの事のように思えるのに、実際には時が過ぎてしまったのね・・・長い年月が・・・お父さんの顔を見てつくづくそれを実感した。

 お父さんが隠居したと思ったら、「そんならわたしも」とばかりに今度はお母さんが出家した。尼になり、自室に籠って仏道に励み始めたのである。仏道に励むとか、ご大層な事を宣っていらっしゃるけれど、とどのつまりは日常の家事すべてをわたしに押し付けて、自分はのんきに暮らそうという肚なんでしょう?・・・あのなぁ、おまえら、いい加減にしろよ。わたしはどうなるんだ? このわたしは? 

 家事に、育児に、老親の世話に、と孤軍奮闘していたわたしを不憫に思った親戚の一人が、宮仕えの話を持ってきた。二歳になる祐子内親王さまにお仕えしてはどうかというのである。話を聞いたわたしは、内親王家の華やかな世界をいちど体験してみるのも悪くないと思った。このままずっと自宅にいてもつまらないし、ちょうど自分には新たな刺激や気分転換が必要だと思っていた矢先だったからである。ところが、お父さんはこの話を承諾するのを渋った。昔かたぎのお父さんには《自分の娘が職業に就き、お金を稼ぐ》という事実に心理的抵抗があったのである、そんなのは身分の低い家の娘がする事だと思って。名門・菅原家の娘が働きに出るなんてとんでもないと思って。要するに、お父さんはいつまでもわたしを箱入り娘のままでいさせたかったのである。お父さんのわたしを思うその気持ちはありがたいし、感謝もしている。しかし、時代はどんどん動いている。価値観も変化している。お金を稼ぐのは決して卑しい行為ではない。これからは女も自宅に閉じ籠ってばかりいないで積極的に外へ出て働くべきだ。

「宮仕えに出るわ」

 そう宣言したわたしを、お父さんは「自分が不甲斐ないばかりに娘を奉公に出して」とでも言いたげな情けない顔で見上げた。

「大丈夫なのかい? 良子」

「心配しないで、お父さん。良子は大丈夫だから。わたしは思うのよ、いま菅原家に必要なのは変化だと。我が家の上空に居座る不運の黒い雲を吹き飛ばすためには何らかの動きが必要だと。この宮仕えがその役目を果たすはずだわ、きっと」

 試しに一晩だけという条件付きで、お父さんはわたしの宮仕えをしぶしぶ承諾した。十月のある日、わたしは出仕した。

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