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さらしな日記  作者: ふじまる
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第2章

菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です

 上総の国での生活が始まった。

 先に述べたように上総の国は決して未開の地ではなかったものの、それでもやはり子供が単独で外出するのは危険なので、大半の時間を官舎となった広い屋敷内で敦子お姉ちゃんや健太と庭でかくれんぼをしたり、部屋の中ですごろく遊びをしたりして過ごした。そして、そんなわたしたちを、いつもアサが温かい眼差しで見守ってくれていた。アサはわたしたちのお守り役であり、遊び相手でもあった。

 もちろん勉強もした。勉強を教えるのは教養豊かな雅子お母さんの役目であり、和歌、漢文、歴史、算数、それから書道を、わたしと敦子お姉ちゃんはみっちり仕込まれた。頭の良い定義お兄ちゃんから勉強を教わることもあった。

 ところで、その頃ようやくわたしにも自我の目覚めというか、自分の趣味嗜好が芽生えてきて、世に存在するありとあらゆる物事の中で、とりわけ文学に心を惹かれるようになった。

 言い忘れていたけれど、菅原道真の末裔であるわが菅原家は本来は文学博士の家柄であり、またお母さんの実姉はかの有名な『蜻蛉日記』を書いた人なのである。このように両親双方から文学者の血を受け継いだわけであるから、文学好きになるなと言う方がどだい無理な話で、いつしかわたしは大の読書好きになり、和歌を詠むのは得意、漢文だってお手のもの、といういっぱしの文学少女に育っていた。

 文学の中でも特にわたしは物語に興味を持った。『源氏物語』という書物の存在を教えてくれたのは雅子お母さんである。雅子お母さんは、宮中で働いていた時分、実際に『源氏物語』を読んだ経験があった。それだけではなく、何と作者の紫式部その人を見かけたこともあったらしい・・・

 雅子お母さんは『源氏物語』のあらすじを詳しく話してくれた。わたしはその雅な世界にたちまち心を奪われ、ああ、何という美しさだろう・・・光源氏の君・・・夕顔・・・浮舟・・・薫大将さま・・・と、すっかり『源氏物語』の虜になってしまった。そうなると実物を読んでみたくなるのが人の常である。わたしの小さな胸の中を『源氏物語』を読みたいという衝動が暴風雨並みにガンガンと激しく襲い始めた。しかしながら、上総の国のような辺境の地に『源氏物語』みたいな高尚な書物が置いてあるわけがない。

(駄目だ。やはりこんなド田舎じゃ駄目だ。『源氏物語』を読もうとすれば都へ戻るしか方法は無い)

 いつしかわたしの心の中は「早く都へ帰りたいよぉ」という気持ちで一杯になった。

「ねえ、アサ、わたしたちはいつまでこの地にいなければならないの?」

 ある日、アサにそう尋ねてみた。

「さあ、旦那さまの任期次第ですけどねえ・・・」

 と、アサは無関心な様子で答えた。

「任期って、普通はどれくらいの長さなの?」

「それは人によって様々です。一年で終わる人もいれば、二十年以上任地に留まった人もいらっしゃいます」

 どっひゃー、二十年ですって? ふざけんな! そんなに長く待てないわよ。わたしは今すぐにでも都へ帰りたいのだ。このままでは『源氏物語』を読む前に、わたしの方がおっ死んでしまうわ。何とかしなくては。でも、どうしたら良いのだろう? どうしたら都へ帰れるのだろう? 

 アサに相談すると、信心深いアサらしく

「それはもう仏さまのお力におすがりするしかありませんでしょう」

 という答えが返ってきた。正直言って神さまや仏さまには興味が無かったけど、何かしていないと心が静まらなかったので、とりあえずわたしは天空にいらっしゃるらしい仏さまに向かってお祈りをした。それだけでは物足りなくなり、アサや敦子お姉ちゃんの手を借りて、願い事を叶えてくれると評判の薬師如来の仏像を、その方が霊験あらたかなりと聞いたので、自分の身長と同じ高さで自作した。もちろん、子供がそこら辺の木っ端を寄せ集めて作ったものだから、不格好な仏さまである。しかし、わたしはその不格好な仏さまに、毎日欠かさず

「どうか一刻も早くわたしを都にお戻しくださり、『源氏物語』を始めとするすべての物語を読ませてください」

 とお願いした。本当に熱心にお願いした。額を床に擦り付けてお願いした。その願いが天に通じたのか、十三歳の時、お父さんの任期が終わり、ついに都へ帰ることになったのである。

 やったね! ありがとう、薬師如来さま!

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