第15章
菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です
うち続く不幸にすっかり打ちのめされた我が家は、少しでも運気を良くしようとして、四月に東山へ引っ越しをした。
引っ越し先の屋敷は、山のすぐ下の、《くいな》が鳴くのどかな田園地帯の中にあった。毎日、明け方になると、近所のお寺から聞こえて来る読経の声で目が醒めた。起きて外の景色を眺めると、山ぎわが次第に明るくなってきて、木々の梢が霧に霞んでいて、ホトトギスがすぐ近くで鳴いていて・・・どう表現すべきか言葉に迷うけど、とにかくとても風情があった。また、ある時など山の方からガヤガヤと大勢の人がやって来る音がするので、驚いてそちらの方を振り向くと、何とそれは野生の鹿の集団だった。さすがは田舎、びっくりするわ、もう・・・ともかくも、このような場所で新生活が始まった。わたしは恵子と国子の世話に専念した。
ところで、改めて言うまでも無いだろうが、わたしは変わり者である。自分で言うのもおかしいけど、わたしは世間の人と違っている。十七、八歳ともなれば世間一般の人間は読経をしたり、勤行をしたりするのが普通なのだが、わたしときたらそういったものにはいっさい興味が無く、興味があるのは専ら文学のみ。物語を読み、自らも物語を創作する・・・これ以外の事に関心は無かった。
こんなわたしだから、当然の事ながら同世代の人間とは話が合わなかった。仲の良い女友達もいなかった。女友達のみならず、わたしに恋文を送ってくるような男だって一人もいなかった。
さて、ここに経康という男がいる。定義お兄ちゃんの後輩で、当時わたしと同じ十八歳で、はっきり言って醜男で、学問の素養に欠けていて、そのくせ生意気にも学者志望で、明るい性格だけが取り柄の、他には何の魅力も無い、要するに単なるお調子者である。こいつがうちに手紙を寄こしきて、こんど東山へ遊びに行くからぜひわたしに近所を案内して欲しいと頼んできたのである。
のわああああ、何が悲しゅうて経康を案内してあげなければならないのよ? そんなの定義お兄ちゃんがすれば良いじゃないのよ。わたしには関係ないでしょう?
そういうわけで断固お断りする意思表示をしたが、定義お兄ちゃんから
「その日ちょうど用事があってね、経康の相手が出来ないんだよ。だから頼むよ。一日だけ相手をしてやってくれよ。お願いだからさ、良子」
と懇願され、仕方なく一日だけ付き合ってあげる事にした。
当日、経康は意気揚々とやって来た。
「悪いですねぇ、良子さん。無理言っちゃって。今日はよろしくお願いしますね」
そう言って明るく笑う経康に向かって、わたしは心の中でこう叫んだ。
(悪いと思うのなら最初から頼むな、このバーカ!)
わたしたちは東山の山腹にある霊山寺を参拝することにし、山道を上り始めた。歩いている最中も経康がさかんに話かけてきた。
「いやー、今日は天気が良くて絶好の散策日和ですねえ、良子さん」
「・・・」
「ああ、空気が美味しい。やはり山の空気はきれいですねえ、良子さん」
「・・・」
「おお、結構きつい坂ですから足腰が鍛えられますねえ。でも、人間にとって最も大切なのは足腰ですからねえ。足腰が衰えると人間は駄目になる。そうでしょう、良子さん」
頼むからいちど死んでくれないか・・・わたしは黙って歩きながらそう考えていた。
本堂へたどり着いた時は、さすがに汗ダラダラで息が切れていた。わたしと経康は井戸のある場所へ行き、手で水を掬って飲んだ。冷たい山の水は熱くなった体を爽やかに冷まし、わたしたちはようやく生き返った心地がした。すると経康が歓声を上げた。
「うわー、この水は美味しいですね。何杯飲んでも飽きませんよ」
(ちょうど良い機会だ、こいつがどれくらい勉強しているか、ひとつ試してやるか)
そう思ったわたしは経康にこう言った。
「貫之の有名な歌があるというのに、今わかったの? 奥山の井戸の水を手で掬って飲むと飽きないということが」
経康はどうせ『古今和歌集』なんか読んだことが無いだろうと高を括っていたのである。ところが、意外や意外、経康は『古今和歌集』の紀貫之の歌をちゃんと知っていた。しかも、貫之の歌を踏まえた上で、こう返してきたのである。
「昔の歌にある《山の井戸の雫に濁る水》よりも、良子さんと今こうして飲んでいる水の方がずっと美味しいですよ」
そう言うと経康は真剣な眼差しでわたしをじっと見つめた。
え? 何なの、これ? 妙に胸がドキドキするんですけど・・・わたしはすぐにその場を離れた。たぶんわたしの顔は赤くなっていたと思う。胸のドキドキが治まらなかった。わたしと経康は都が一望できる場所で昼食のお弁当を食べた。食べている最中も相変わらず経康はよくしゃべっていたが、わたしは何ひとつ理解できなかった。頭の中が混乱して機能停止状態に陥っていた。