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さらしな日記  作者: ふじまる
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第14章

菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です

 翌年の五月、敦子お姉ちゃんの二度目の出産はたいへんな難産になった。産室から敦子お姉ちゃんの苦しむ声が聞こえた。お父さんが敦子お姉ちゃんの安産を祈って僧侶に祈祷させていたが、わたしも敦子お姉ちゃんの無事を願って必死に祈っていた。だって、敦子お姉ちゃんに何かあったら・・・そうしたら・・・いいえ、そんな事は想像できない・・・敦子お姉ちゃんは常にわたしの保護者だった・・・変わり者の妹であるわたしをいつも庇ってくれた・・・敦子お姉ちゃんのいない人生なんて考えられない・・・だから、敦子お姉ちゃん、がんばって・・・神さま仏さま、敦子お姉ちゃんを助けてあげて・・・お願い・・・

 どうにか赤ちゃんは誕生した。女の赤ちゃんだった。しかし、赤ちゃんの無事と引き換えるかのように、敦子お姉ちゃんは亡くなった。わたしの願いは天に届かなかった。敦子お姉ちゃんは死んでしまった。大好きな敦子お姉ちゃんが死んでしまった。何ひとつ悪い事をしたことの無い、観音菩薩のような敦子お姉ちゃんが死んでしまった。

 どういう事なの? なぜ敦子お姉ちゃんが死ななくちゃならないのよ? あんなに善良で心のきれいな人間が。殺すなら、わたしを殺しなさいよ! わたしの方がぜんぜん悪い人間なのだから。わたしの方がぜんぜん世の中に必要じゃ無い人間なのだから。なぜそうしないのよ? アサ、《姫さま》、敦子お姉ちゃんと、いつもわたしから大切な人を奪って。わたしに文句があるのなら直接わたしに言いなさいよ! 直接わたしを罰しなさいよ! なぜわたしの大切な人たちばかりを狙うのよ! そんなの卑怯じゃないのよ! 正々堂々とわたしを狙いなさいよ! そうしなさいよ! そして、わたしの大切な人に手を出すのはもう止めてよ!

 十七歳のわたしは、やり場の無い怒りを、こんな風に天にぶつけた。そうでもしなければ耐えられなかった。悔しくて、悲しくて、つらくて、胸が張り裂けそうだった。まさに人生のどん底へ突き落された気分だった。

 悲しみに沈んでいたのはわたしだけではなかった。お父さんはガックリ落ち込んでいたし、使用人たちも泣いていた。さらにはお母さんが、滅多に人間らしい感情を表にあらわさないお母さんまでもが敦子お姉ちゃんの死を悲しみ、遺体のそばにずっと寄り添い、そこから離れようとしなかった。お母さんのそんな姿を見て、改めてわたしは敦子お姉ちゃんが皆からどんなに愛されていたのかを知った。

 敦子お姉ちゃんは本当に素晴らしい女性だった。わたしは敦子お姉ちゃんに恩返ししなければならない。それには何をすれば良いのか? 敦子お姉ちゃんが残した二人の幼い娘、彼女たちを立派に育て上げる事こそが敦子お姉ちゃんへの最大の恩返しになる・・・わたしはそう思った。

「わたしは今からこの娘たちの母親になる」 

 結婚どころか恋愛の経験も無かったけど、わたしはこの時から母親になった。わたし以外の誰がやれよう? 他人には絶対に任せられない。敦子お姉ちゃんの大切な娘を他人に任せられるわけがない。やはりわたしだ。わたしがやるしかない。

 敦子お姉ちゃんが自分の命と引き換えに産んだ娘は国子と名付けられた。わたしは毎晩、恵子と国子と三人で川の字になって寝た。この娘たちには何としても災いが降りかからないようにしなければならなかった。そうしなければ敦子お姉ちゃんに申し訳なかった。そのため、屋根の隙間から漏れる月の光が恵子の寝顔に当たっているだけで、死んだアサを思い出して不吉な気持ちになり、着物の袖で恵子の顔を隠し、さらにもう一人の国子を自分の方へ抱き寄せて、わたしがいる限りどんな魔物も金輪際近づけないぞ、という断固たる態度を、見えない何者かに向かって示していた。

 すなわち、わたしの持論はこうだった。我が家には運が無い。我が家は運に見放された家だ。世の中には運に恵まれた幸せな家もあるけれど、我が家にはそれが望めないし、黙って待っていても幸福はやって来ない。それどころか、逆に油断していると、恐ろしい不幸に襲われてしまう。だから誰かの助けをあてにするのではなく、自分から積極的に不幸の襲来を阻止するしかない。不幸の芽を見つけたら、そいつが大きくなる前に自分の手で摘み取るのだ。そうやって恵子と国子を守るのだ。

 このように恵子と国子を不幸から守ろうとして躍起になっていると、不幸の奴は何ていやらしいのだろう、今度は矛先を変えてお父さんに襲いかかった。翌年の正月、人々から「次の任官は間違いなし」そう言われていたのに、お父さんがその選に漏れたのである。

 かの清少納言が『枕草子』の中で「すさまじきもの」と書いているように、任官の選から外された家ほど惨めなものはない。お父さんは、まるで自分の存在すべてが否定されたかのように気落ちしていた。敦子お姉ちゃんの死の後だったから余計にこたえたと思う。また、逆上したお母さんがそんなお父さんに八つ当たりしたものだから、尚更お父さんはつらそうだった。背中を丸めて廊下の端に座り、ぼーっと何かを考え込んでいた。

 お父さんが可哀想だとは思ったけど、その時わたしにしてあげられる事は何も無かった、ただそっとしておいてあげるより他には・・・

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