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さらしな日記  作者: ふじまる
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第13章

菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です

「《姫さま》は猫なんでしょう? 猫は人間よりすばしっこいんでしょう? 機敏に動けるんでしょう? それなのに、なぜ逃げ遅れたのよ? 人間が全員助かっているのに、なぜ猫が死ななくちゃならないのよ? 何をグズグズしていたのよ、《姫さま》」

 そう言って号泣するわたしを、お父さんが慰めてくれた。

「本当に可愛い猫だったので残念だ。今度、機会があれば大納言さまに、実は我が家にこういう猫がいて、娘が見た夢によれば、その猫はお亡くなりになったお姫さまの生まれ変わりのようなのです、そうお話しようと思っていたのに、誠に残念だ。ただ、悲しい事には違いないけれど、こんな風に考えることも出来ると思うよ。すなわち、あの猫は我々の身代わりになって死んでくれたのだ、と。わたしたち家族が全員無事だったのは、あの猫がすべての災いを一身に背負ってくれたお陰だ、とね」

 すかさず敦子お姉ちゃんがこう言った。

「そうよ。お父さんの言う通りよ。《姫さま》は、わたしたちの代わりに死んでくれたのよ。いえ、死んだのではないわ。正確に言うと、元の世界へ戻ったのよ。だって、あの猫は大納言さまのお姫さまの生まれ変わりなのですもの。だから、良子、もう泣くのはおよしなさい。泣いていても《姫さま》は喜ばないわよ。悲しむのではなく、感謝しなさい。今までありがとうございました、《姫さま》と一緒に暮らせて幸せでした、とお礼を言いなさい。たぶんそれが《姫さま》の一番の希望だと思うわ」

 お父さんと敦子お姉ちゃんにそう言われて、わたしは泣くのを止めた。泣くのを止めて天国へ帰った《姫さま》のお墓に感謝のお祈りを捧げた。それでも「四姉妹」の一人が欠けた悲しみはそう簡単には癒せなかった。そんなわたしの心の中を知ってか知らずか、敦子お姉ちゃんがぽつりとこう言った。

「《姫さま》は本当に幸せ者だったわね、こんなにも良子ちゃんから愛されて。もし今わたしが突然いなくなったら、良子ちゃんは同じように悲しんでくれるかしら?」

 悲しむに決まっているじゃないの! 不吉な事を言わないでよ、敦子お姉ちゃん!

 わたしたちは新居へ移った。火事になった元の家は全体的に古ぼけた感じだったけど、それでも紅葉の時期には色鮮やかに変貌する樹木が生い茂った庭のある、かなり大きな屋敷だった。そのため、忘れもしないが、上総の国から戻って来たばかりの時に、荒れ放題の庭の手入れやら蜘蛛の巣だらけの屋敷内の掃除やらで大汗をかいたのだけれども。しかしこんど新しく入った家は、そんな苦労がまったく不要な程こじんまりとした小さな屋敷だった。しかも庭がほとんど無いので、風情といったものは皆無に近かった。もちろん、雅子お母さんとの約束の一件で思い出深い梅の木も無かった。

「こんなところに住むの?」

 お父さんに向かってわたしは露骨に不満な顔をした。わたしだけでなく、お母さんや敦子お姉ちゃんの口からも次々と不満の声が上がった。

「わたしの部屋がこんなに狭くなっちゃうの?」

「お向かいの家はあんなに立派なのに、どうしてこちらはこうなのかしらね?」

「こんな家じゃ恥ずかしくて客を呼べないわ」

「元の家の方が百倍よかった」

 こういう時、気の弱いお父さんはすぐにおろおろしてしまって、わたしたち家族に向かって泣きそうな顔でこう言った。

「しばらくのあいだ我慢してくれな。また元の場所に新しい屋敷を建てるから。それまでは、苦労をかけて申し訳ないけど、少しだけ辛抱してくれな」

 我が家の現在の経済状態では新しい屋敷を建てるのが到底困難である事は、日頃から夢想の世界へばかり思いを馳せ、浮世の事情にとんと疎いこのわたしでさえも分かった。当分この狭い家で生きてゆくしかなかった。

 火事で大切な蔵書の多くを失ったものの、肝心かなめの『源氏物語』が無事だったので、わたしは意気盛んだった。狭い新居の片隅で創作活動を再開した。それまで書き貯めていた原稿はすべて焼失したので一からの再開である。物語を書くのは難しいし、苦しい作業だけど、創作に熱中していると、火事や、《姫さま》の死や、その他の嫌な事を忘れられた。昼間は恵子の子守りをして、夜になると物語を書く生活をしばらく続けた。

 やがて敦子お姉ちゃんが第二子を妊娠した。このところ実生活では不幸続きだったけど、これでようやく我が家も長い低迷状態から抜け出せそうだ、ようやく我が家にも明るい兆しが見えてきた・・・敦子お姉ちゃんの妊娠を知った時、わたしはそう思ったし、未来に希望が輝くように感じた。ところが、それが更なる不幸の始まりだったとは、その時は夢にも思わなかった。

「お姉ちゃん、ずいぶん元気だから、今度は男の赤ちゃんかな?」

 敦子お姉ちゃんの大きくなったお腹に触れ、中でさかんに動く赤ちゃんを体感してそう言うと、敦子お姉ちゃんは

「さあ、どっちでしょうね?」

 と微笑んだ。その時の敦子お姉ちゃんの顔には菩薩さまのような優しさと聖なる輝きが具わっていた。

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