第11章
菅原孝標女『更級日記』を基に、家族、理想と現実、人生でいちばん大切なものをテーマにした作品です
翌年の春になった。わたしは十五歳だった。桜の花びらが散るのをぼんやり眺めていたら、昨年の春に亡くなったアサのことが思い出されてつらくなり、そのつらさを忘れようと夜更けまで読書に没頭していると、すぐ近くで小さな鳴き声が・・・
なに? 声がした方を向くと、どこから侵入してきたのか、三毛猫が一匹こちらを向いてちょこんと座っている。
「きゃっ、猫ちゃんだ!」
可愛いものに目が無いわたしは、すぐに猫を抱きあげて、頬ずりした。猫はわたしの腕の中で目を細め、ゴロゴロ喉を鳴らしている。何て可愛いんだろう。小さくて、毛がフサフサしていて、抱きしめると温かくて・・・それに、ちっちゃな白い歯、まん丸いお手々、長い尻尾、三角形のお耳・・・もう可愛くて仕方ないわ。
隣の部屋で寝ていた敦子お姉ちゃんを揺り起して猫を見せた。急に起こされた敦子お姉ちゃんは、最初こそ不機嫌そうな表情をしていたけど、猫を見るやパッと顔を輝かせて、すぐに駆け寄って来た。
「どうしたの、この猫?」
事情を話すと、敦子お姉ちゃんは寝転んでじゃれている猫のお腹を撫でながら言った。
「へえ、不思議ね。どこからやって来たのでしょうね。毛並みがきれいだし、人間に馴れているようだから、おそらく近所で飼われている猫だと思うけど」
確かに人間を恐れる様子がまったく無いので、野良猫ではなさそうだった。敦子お姉ちゃんの言う通り、近所の飼い猫なのだろう。つまり他人の所有物だということである。
わたしは、ミーコと勝手に名付けたこの猫を、他人に返したくはなかった。このままミーコを自分の家族にしたかった。そう言うと、敦子お姉ちゃんも同じ気持ちだったらしく、二人でこっそり飼おうという結論にすんなりまとまった。
所有者に見つからないように飼うのは当然だが、もう一人どうしても見つかるとまずい人物が、我が家には存在した。お母さんだ。うちのお母さんときたら、毛が付くとか臭いとか騒がしいとか様々な難癖をつけては、普段から犬も猫も小鳥も、とにかく一切の動物を嫌っており、もしミーコがお母さんの部屋へ闖入して、お母さんの膝の上にぴょこんと飛び乗り、にゃーんと一声鳴きでもした日には、それこそ天地がひっくり返るような大騒ぎになるのは、火を見るより明らかだったからである。
そこで、わたしと敦子お姉ちゃんは、いったんミーコを北向きの使用人部屋に隠したが、ミーコは嫌がってすぐにわたしたちのいる場所へ戻って来る始末だった。食べ物だって、よほど大切に飼われていたのか、ご飯の食べ残しをあげても、馬鹿にしたように「ふん、何だ、こんな物」という感じで横を向き、いっさい口にしようとはしなかった。仕方ないので台所からいちばん上等のお魚をこっそりくすねてきて、うやうやしく差し出したら、ようやく食べてくれた。
このように飼うのにたいへんな思いをしたけれど、それでもミーコがそばにいると心が和むので、わたしと敦子お姉ちゃんは、ミーコとの楽しい日々を満喫していた。
ところが、そんなある日、敦子お姉ちゃんが急に病気で倒れたものだから、いっぺんで事情が変わった。敦子お姉ちゃんの看病で慌ただしい家の中で、ミーコをそばに置いておくのは困難になった。嫌がるミーコを無理やり使用人部屋に閉じ込めた。ミーコはギャアギャア鳴いて騒いだけれど、しばらくのあいだ辛抱してもらうしかなかった。
一時的に意識を失っていた敦子お姉ちゃんは、意識が戻るや枕元にわたしを呼び、ミーコをそばに連れてくるように言った。理由を尋ねると驚くべき答えが返ってきた。
「実はミーコが夢の中に現れて、自分は大納言さまのお姫さまの生まれ変わりだと言ったのよ」
え、大納言さまのお姫さまって、去年アサと同じ頃お亡くなりになった、あのお姫さま? わたしに習字の見本をくださったあのお姫さま? そう言われれば、ミーコには何やら高貴な気品が漂っているような・・・
「それが、不本意ながら使用人部屋に閉じ込められているとおっしゃって、たいへんご立腹の様子なのよ」
すぐさまわたしはミーコを使用人部屋から連れ出した。いや、もはや軽々しくミーコなどとは呼べなかった。この時以降は《姫さま》とお呼びして、丁重にお世話をした。お母さんを含めた家族と使用人全員もすっかりかしこまってしまい、まるで腫物に触るかの如く気を遣って《姫さま》に接した。《姫さま》を追い出そうとする不埒な輩は一人もいなくなった。お陰で《姫さま》は家の中を我が物顔で歩き回り、美味しいものをお腹いっぱい食べ、女王さまのように振る舞っていた。