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2話 この世界は命をかけてまで守る価値があったのか?

「やあ光輝こうき

「ウィっす、貫志かんじ先生ッ」


午前中の最後の診療しんりょう

その最後にやってきたのは僕の友人の温水 光輝(ぬくみずこうき)だった。

なぜ友人である光輝が診療に来ているのか。

それは彼が今、インフルエンザで入院しているから。


「今時、インフルエンザで入院するやつもなかなかいないぜ? もうちょっと身体に気使いな」

「うっせ、俺だって忙しかったんだよ」


数日前に42.1°もの高熱で救急搬送されてきて、それが光輝だったことにはさすがに驚かされた。

なんでも体調が悪いのに仕事で無理しただとかなんだとか。


「とはいえインフルも下手したら死ぬかもしれない感染症だからね。ほんとマジで頼むよ」

「はいはい、それより早く始めてくれ」


幸い光輝の病状は回復に向かっているため、もうすぐ退院できそうだった。


「以上です、お大事に」

「ありがとうございまっす。なぁ貫志、この後時間あるか? あるんならちょっと話そうぜ」

「いいけど本当にちょっとだけだよ」


医師は基本的に多忙だ。

日によってはまともに休憩なんて取れないこともあるが、幸運にも今日は休めそうだ。

本当は貴重な休憩時間を取られたくないと言いたいところなのだが、光輝が相手なのだから少しだけ付き合ってやることにする。



僕たちは場所を移して病院内の休憩スペースにいた。


「退院したらすぐ仕事?」

「まぁな、離脱したせいで迷惑かけちまってるしな」


お互いに売店で買った弁当をつつきながら近況など他愛もない話を続けた。


「あー、それにしても今回、お前にとっちゃいいお客様になっちまったな〜」


冗談めかして光輝は笑っている。

こちらとしては熱出して救急搬送されてくれた時点でお客様どころか大分迷惑を被っているのだが…

こいつは自分の職場のみならず僕たち及び救急隊の方達にも迷惑をかけたとして謝ってくれてもいいのだが、それについては口には出さないでおいた。


「貫志はどうだ? やっぱり忙しい?」

「医師は通年多忙だよ。こうやって光輝と飯食えてる時の方が珍しい」

「そりゃ貴重な時間を奪って悪かったな〜」


全く悪く思ってなさそうな顔だな…

光輝はどちらかというとお調子者の部類だ。

でも、なんだかんだ気が合うところがあるため別に邪険に扱うつもりはない。ただ今のは少しムカついた。


「なぁ、光輝」

「あん?」


だから、ちょっと仕返ししてやることにした。


「この世界ってさ、命をかけてまで守る価値があるのかな」


それを聞いた光輝は、面倒臭そうな顔をしてため息をついた。


「お前その話何回目だよ……」



朱里じゅりちゃんがウイルスによる感染症で亡くなってから、僕は医師である意味を、生きる意味を見失った。

朱里ちゃんが死んだだけで済んだのなら、まだ僕は立ち直れたのかもしれない。

だけど、今回のウイルスによるパンデミックは、世の中のあり方について大きな疑問を僕の中に残した。


朱里ちゃん、君はいつか僕に夢を語ってくれたね。

僕みたいな人と結婚したいという夢を。

でもさ、僕は思うんだ。

もし君が生きていたら、今のこの世の中は君が夢を持って生きていくほど価値のある世の中なのか?


あの時、東京にウイルスが蔓延して首都が封鎖されるんじゃないかと噂になったこともあった。

首都から出られなくなるかもと恐れた人達が地方に散らばり、そこで新たな感染者を出すという恐ろしい連鎖も起こった。

それのみならず「自分は大丈夫」と何の根拠もない自信を持って、何の危機感も持たずに外を出歩く輩までいたのだ。


本当にバカげてると今でも思う。

そんな輩が感染し、ウイルスをばら撒き、朱里ちゃんのような将来に希望を持った子達が犠牲になったのだと考えると、やるせなくて仕方がない。

そんなことが日本だけじゃない、世界中で起こっていたんだ。


こんなこと考えるのはどうかと思うけど、朱里ちゃんじゃなくてあいつらがウイルスの犠牲になればよかったのに。

あいつらは今でものうのうとこの世界で生きているんだ。

何の罪もない君はもうこの世にいないというのに。


当時、ウイルスで亡くなった患者は全員納体袋(のうたいぶくろ)に入れられてそのまま火葬場に送られた。

感染者は愛する家族や友人など誰とも顔を合わすことなく孤独な最期を迎えたのだ。1人の例外もなく。


朱里ちゃん、君もそうだった。

僕はせめて、朱里ちゃんの体が納体袋に入れられ、ひつぎに入れられ、そして車に乗せられるその瞬間まで付き添った。


誰とも会えないのなら、せめて最後に短い間ながら交流があった僕が朱里ちゃんのそばにいてやらなくちゃならないと思ったから。

だけど、将来に夢や希望を持っていた君のような子がこんな最期を迎えるなんてどうしても納得ができなかった。


僕は今まで何のために医師として働いてきたのだろう?

何のために生きてきたのだろう?

もう僕にはわからない。

じゃあ僕も死ぬか?

いや、そんな勇気は僕にはない。

だから、今も自分が何をしているのかよくわからない空虚な気持ちを持ったまま医師を続けている。


なぁ、朱里ちゃん教えてくれよ。

この世界は命をかけてまで守る価値があったのか?



「あん時さ、お前もあのウイルスの患者の対応に追われてたんだろ?」

「まぁ、そうだね」

「それにしても、よく無事だったよな」

「僕がウイルスにかからなかったのは、本当に運が良かっただけなんだよ」


そう、幸か不幸か僕はウイルスの魔の手をすり抜けることができた。

そういや前、僕が朱里ちゃんの代わりになんて言ったら光輝に「自分の命は大切にしとけ」なんて怒られたっけ。


「人の命を守る医師がいつまでもそんなんじゃ困るぞ? いい加減吹っ切れろよ」

「簡単に言ってくれるね」


弁当を食べ終えた僕は先に席を立った。


「じゃあ僕はそろそろ行くよ」


先に行こうとしたところ「なぁ貫志」と光輝に呼び止められた。


「医者、辞めたりなんかするなよ? あと死ぬなよ?」

「…善処はしとくよ」


そう返して、僕は歩き始めた。

後ろで光輝が小声で「そこは辞めないし死なないって言えよ…」などと言っていたが聞こえてないふりをしてその場を去った。


もう何度光輝とこんなやり取りをしただろうか。

どうしたらいいのかもわからないまま、今はただ惰性でなんとか医師として生き続けていられているが、いつかはこんな状態に耐えられなくなるかもしれない。

そう思うと光輝の問いかけに、僕は曖昧に肯定することしかできなかった。


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