九話 『 散歩 』
それから、さて。
朝から二つのパンに野菜たっぷりのスープを二杯。ほかに二つのおかずを勧められるままに食べ終えたときには、飛んだり跳ねたりすればちょっぴり不味いことになりそうな状態のマルコだった。スープ一つとっても繊細な塩加減の本当に素晴らしい料理だったけど、普段がパンにスープにチーズがひとかけら、と食の太い生活を送っていないから苦しくてしょうがない。
ケプーと、満足より幾分か苦しさの勝った息を吐きだすマルコに、アニールが食器を片付けながら笑う。
「食べたねー。無理しなくてもよかったのに」
「はは……無理してないと言えば噓になりますが、無理してでも食べたくなったんです」
「あら、そんなに美味しかった?」
「はい、とっても。それに、かかる手間や想いを一緒に頂くのが料理ですから、アニールさんの手料理を残すなんて出来ません」
……まあ、どうしてもの場合は持ち帰らせてもらっていましたけど、と小さく頬を掻く。
いくらなんでも食べきれる量というものが人にはある。なにより、あまりに大量に食べれば栄養にならずに排泄されるのが動物だ。マルコは食材の無駄が嫌いなのだ。
「ふふ、ありがとう」
「いいえ、こちらこそ。ご馳走になりました」
マルコはそう言うと、満腹感を紛らわす為に気休め程度の深呼吸をして立ち上がった。
「片付け、手伝いますよ、アニールさん」
「え、いいよ。マルコは座ってて」
「そんな、手伝わせてください。一緒に片付けて、一緒に祠に向かいましょう」
言うが早いか、テーブルに残った皿を炊事場に運び、さっさと裏口から表に出ると井戸から水を汲んでくる。繊維質の樹木からとれる皮を水に浸し、水を吸って柔らかくなったところで手際よくそれで皿を洗い始めた。
「やさしいんだ」
「優しくなんて。誰かと食べるご飯はやっぱり良いものですから、これくらいは」
そんなことを言いながらテキパキと皿を洗うマルコの横顔になんだかちょっとドキドキするアニールは、隣に立って肩が時折触れるたびに顔がポッポと熱くなる自分に恥ずかしいやら嬉しいやら。にやける口元をマルコに気づかれないよう懸命に引き締めるが、それでも丸眼鏡の下の頬の紅さまでは隠すことができずにいた。
(あ、ああ……っ! どうしよ、楽しいよぅ!)
シャコシャコと桶に移した水で皿を洗いながら、炊事場に並ぶ二人。お互い胸に浮かぶ想いは違えども、よい朝食のひと時になったことは間違いなかった。
食事の片づけを済ませ、エプロンを外し、先に表で待たせているマルコには悪いが鏡の前で身なりを整える時間をとって、他人には分からない前髪の微妙な位置をこれでもかといじくり倒してからアニールは小走りで表に出た。
「お待たせマルコ。ごめんね」
「大丈夫ですよ。じゃあ、行きましょうか」
エプロンがなくなって朝食の時より幾分かさっぱりした格好のアニールと、子牛が一頭増えていた事への驚きや戸惑いが美味しい料理とおしゃべりで随分すっきりしたマルコは歩きだす。アニールの家の横を通る緩やかな上り坂から村の端に出て、そこからさらに上っていく山道へと足を踏み入れる。
太陽が完全に顔を出したのに伴って、緑の香りがひときわ強く鼻腔をつく山道。田舎の山道にしては整備されていて、道幅も広い。この道を延々と進んでいけば山を二つ越えた先に大きな商業都市ナナチカがあり、そこの商人らが年に何度か訪れては綺麗にしていくからというのがその理由だ。
木々の間から漏れる陽が草花を煌めかせる光景の中を歩き、木の葉から落ちる朝露がアニールの鼻先をかすめる。朝露で濡れた鼻先をぬぐいながら、マルコの隣を半歩遅れて歩くアニールは考えていた。若干身長が高く、年齢的にも少し上だから、物語に登場する王子様と村娘の様な絵面にはならないだろう、と。けれど、だからと言ってマルコに大きくなれ~と思念を送るより、むぅと口をとがらせて自分の頭のてっぺんを手の平でぐいと押し込むのがアニールという女の子で、そしてその行動にふと気づいて声をかけてしまうのがマルコという男の子だ。
「どうかしました?」
アニールは咄嗟に頭の上の手をどけて、わたわたと手を振る。
「な、なんでもないよ! えっと、そう! 朝露が落ちてきて、それで!」
「ああ、朝露。びっくりしますよね、あれ。首元とかに落ちるとヒヤってなって」
だよね、びっくりしちゃったーと相槌を打つアニールは向けられる笑い顔に恥ずかしさを覚えた。王子様と村娘。空想するにしても乙女すぎる。せめて二人で牧場を営む将来を想像するくらいにとどめておけば――などと考えて、余計に顔が熱くなってしまう。実際に起こりそうな未来を考えれば想像に具体性が出るのだからあたりまえだ。マルコの隣を半歩遅れて歩いていたアニールは、さらに半歩遅らせて赤い顔を俯かせるのだった。
次回 「 その理由、絶壁 」