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旅する少女と祠の呪い  作者: kokohuku
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八話 『 朝のスープと絆創膏 』

 ルチル・ハーバーグが牛女と対面してから半刻ほどが経った、あとのこと。

「どうしたの、マルコ。昨晩飲みすぎて夫人に怒られたジョゼットさんみたいな顔して。困ったこと?」

 そんな例えでマルコ・ストロースに声をかけるのはアニール・クッキーだった。採れたての野菜で作ったスープのほかにも二品ほどの料理を拵えたアニールは、それから少し心配になるくらいの時間がたってようやく姿を現したマルコを食卓に着かせて、先の言葉をかけていた。

「はは……困っているように見えましたか?」

「ええ、それはもう。小さい頃にミルクが入ったブリキ缶をひっくり返した時みたいよ」

 言いながら、頬に絆創膏をくっつけたマルコから受け取った籐の籠から、焼き立てのパンを互いの皿へと移すアニール。マルコにはクルミパンとエンパナーダを、自分にはマルコと同じエンパナーダを一つ。冬には暖炉にもなる釜にかけた鍋からスープをそれぞれによそって、食べる準備が整ってから「それで――?」と椅子に腰かけながら話を繋げた。

「私に話せることなら話してみてよ。さっき見た顔と違うと気になっちゃうもの」

「そう、ですよね……」

 うーん、と何をどう言ったものか迷うように、マルコは唸った。朝日が差し込む家の食卓。きれいな琥珀色に染まったスープから上がる湯気とおいしそうなにおいを吸い込んで、しばし考える間をあけてから「困っているわけではないのですが」と言い置いて。

 顔を上げ、アニールを見つめて、こう言った。

「子牛が、居たんです」

「……、子牛?」

「そうです。大人になりかけで、オーバーオールを身に着けた、牝の子牛です」

「えっと……」

 少しドキリとするくらいまっすぐに見つめられたアニールは、言われた言葉の意味が分からず、僅か呆けたないしキョトンとするような表情でマルコを見返していた。

「それは、ミイ姉さんが産んだ……ってこと?」

 僅か言葉が詰まるのは、マルコの牧場に牛が一頭しかいないことを村の人達は知っているから。その一頭がミイ姉さんと呼ばれる長命巨大で不思議な牝牛ではあるものの、それでもつがいとなる牡牛が居なければ繁殖はできないはず。いや、そもそもオーバーオールを身に着けている時点で混迷極まる事態には違いない――が。

(まあ、そうは言っても、ミイ姉さんなら何でもありって感じはするけど)

 眼鏡のふちに重なったアニールの眉が困ったように動いた。ミイ姉さんは時折、人の言葉を理解しているのではという行動をとる場面がある。それこそ牛の精霊か何か、と思わせるときが。それも実際、村の中にそう言った意識の流れが生まれているのも確かなのだ。

 しかし、アニールの問いの答えとして返ってきたマルコの言葉は、アニールが想像していたものとは違うものだった。

「今朝ミルクを絞った時にそんな兆候はなかったとか不思議なミイ姉さんなら番いが居なくても子供を産めそうとかもうそんなことは全部一切合切置いておいて……その子牛、変なんです」

「うん、と……服を着ていたことが、かな?」

「ヤクなんです」

 その瞬間、アニールの理解は追い付かなかった。いや、追いつけなかった。いいや、追いつこうとも思えなかった。だって、言っている意味が分からない。

 呆気に取られて頭の中がポケーとなった表情のアニールを置いて、マルコは続ける。

「本当なら、二ペソ村よりもう少し高い標高に生息している牛なんです。一般的には全身真っ黒で長い毛に覆われた種類なんです。なのに、牧場にいた子どものヤクは、鼻から尻尾の先までふわふわした真っ白な毛で覆われていて……」

 自分でも何をどう伝えればいいのかわからないマルコは、一度目を閉じてから、仕切りなおすように息を吐いて口を開く。

「そもそも、ミイ姉さんは普通の生き物では説明が付かないほど長命で不思議な牛ですけど、それでもやっぱりホルスタインっていう種類の牛なんです。白と黒の模様がコーヒーに垂らしたミルクのようで、だからミイ姉さんなんです。もし万一にミイ姉さんが不思議な力で子供を産んだにしたって、産まれた赤ちゃんがヤクっていうのは変としか言い様がないんです!」

「えっと、つまりマルコは――今朝村にミルクを届けて牧場に戻ったら、ミイ姉さんから生まれるはずのない子牛が増えていて戸惑っている……で、いいのかな?」

「はい、その通りです……その通りなんですよ、ハハ……」

 つい入ってしまう力を肩から抜いて、マルコは困った表情のまま口元だけで笑って見せる。

 そんなマルコの表情を見たアニールはしかし、行動には表さず胸をなでおろしていた。他人の困惑の理由を知ってほっとするのもなんだが、朝食の準備が整ってから随分と時間が経ってのマルコの訪問に何か事故でもあったのではとドギマギしていたのだから仕方もない。

「なんだ、そっか。私はてっきり、もっと大変な事が起きたのかと思っちゃったよ。ほっぺに絆創膏までついてるんだもん」

「すみません。なんだか心配かけたみたいで。帰ったら服を着た子牛を見つけて……窮屈そうだったから脱がそうと思ったんですけど暴れられまして。取り敢えず尻尾の穴と、中に着てたシャツは破り捨てられたんですけど、オーバーオールだけは脱いでくれなくて」

「もう、気を付けなくちゃ。――でも、どうにもならないほど困ってるわけじゃないって分かってほっとした」

「ありがとうございます。本当なら、子牛でも牛が一頭増えたってことは結構な財産になるわけですから喜ぶところなんでしょうけど、どうにも腑に落ちなくて困り顔に……」

 実のところ、牛が一頭増えるという事は本来なら嬉しいサプライズだ。何のつてもない一般家庭であっても牛が一頭いれば肉屋に売却することでまとまったお金を手に入れることができるし、婚姻の際に新郎の経済力を計る指針になる場合もある。それがマルコの様に牧場を、それも年中食べても食べ尽くせない不思議な牧草が生える牧場を持っていたとしたら、その価値を膨らませることだってそう難しいことではなく、さらにその子牛が牝牛ならなおのことだ。

 アニールは、杞憂に終わった心配を飲み下して優しくマルコを見る。

「困ったことにはならなそうね」

「ええ。念のために次の行商さんが来た時にでも、付近で子牛の逃げ出しがなかったか聞いてみようかと思います。ほかの人の大切な牛だったらと思うと、いやですからね」

「ふふ、マルコらしい」

「そうですか?」

「うん。このあたりの村じゃ、子牛にしても牝牛を丸々一頭買い付けるくらい大きなお店はないもの。なら、『どこかから逃げてきたんじゃないかな』を疑うより、『どこかから迷い込んだんじゃないかな』って考えるのが普通だと思うもの」

「ですかね? 甘いですか、ぼく」

「商売の人、ではないかな。でも、私は何だか嬉しい。絆創膏くっつけちゃうくらい元気なマルコは久しぶりだし、それに、私はそんな優しいマルコがす……、す……、……すぅ」

 続けようとしていた言葉が急に喉に詰まって、アニールは今更ながら自分に驚いた。そして詰まった言葉に意識が向いて、コーンが弾けるようにポンと顔が熱くなった。現状、マルコと二人きりで食卓を囲み、対面で見つめあう格好になっていることに改めて気づき、咄嗟に視線を下にそらしてしまう。

(~~~ッ!)

 たとえ同じ言葉でも毛色の違うものでここまで焦ってしまうなんて、自分の意気地のなさが恨めしい。

「えーっと……アニールさん?」

 窺うように首をかしげているマルコ。

 アニールはパタパタと両手を小さく振ってみせ、

「な、何でもないの、気にしないで」

 あはは、と自分の残念さに溜め息に似た笑いをこぼした。

(もう……何やってるんだろ)

 トホホな気分をどうにか振り払い、アニールは気持ちを切り替えてマルコに視線を戻す。

「……うん、事情は分かった。それが、家に来るのが遅くなった理由なのね」

「うっ、ごめんなさい」

「ちがっ、怒ってるわけじゃなくて! 私がマルコだったらきっと、もっと慌てちゃうだろうな、って。でもマルコはこうしてちゃんと来てくれた。それだけで嬉しいのよ」

「そうですか? なら、よかったです」

 アニールとマルコは朝日が差し込む家のテーブルで向かい合い、一拍。

「それじゃあ、食べよっか」

 アニールがそう言うと、マルコはくしゃと相好を崩してちょっと大げさにお腹を押さえてみせた。

「はい。もうお腹ペコペコです」

 二人は自分の拳をもう片方の手で包むように手を合わせ、その日の恵みに感謝する。そして、マルコは木造(きづくり)細工のスプーンに手を伸ばし、アニールはそれを見守るように食事が始まった。

 アニールは、自分が作った料理にマルコが一通り手を付けるまで僅か緊張した面持ちで体を固まらせ、「わあ、どれもすごく美味しいですね! 今日はありがとうございます、アニールさん」の言葉を聞いてようやく「よかった!」と大きな笑顔を作るのだった。


次回 「 散歩 」

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