三話 『 ヨイコトの欠片 』
けれど、ルチルは胸がポカポカするのを感じていた。
(ああ、これって――)
目の前には、自分が牛女になっているにもかかわらず屈託なく笑いかけ、話をしてくれるマルコとアニールがいて、そう言えばここにくる間に「ありがとう」を言ってくれた村のみんなも、ルチルが妖怪じみた姿にみえたって気にせず声をかけてくれた。そのことだけを考えれば、何も悪いことじゃないとルチルは思えたのだ。
がやがやと一通りのことを話してくれるマルコとアニールを見ながら、ルチルは笑顔を作った。ミイ姉さんも山ヌシ様も、ルチルには動物の姿に見えてはいなかったが、それでも久しぶりの人との会話に楽しくなる。
そして、二人はルチルに伝えるべきことを伝えると「またあとでね、ルチル」、「これからの眠る場所を後で決めましょう」と言って、土砂や樹々の撤去作業に戻っていった。ルチルの「ならあたしも手伝うよ!」を先に潰すのを忘れない二人の心遣いに、感謝しながら二人の背中を眺める。
すると、後ろから声が聞こえた。
『どうやら、自分の状況は分かってもらえたみたいね?』
ルチルが視線を向ければ、白と黒の体毛を服と来た爆絶グラマラスボディーを誇るでもなく誇る妙齢の女性が、頭の角も美しく立っていた。ついルチルが目を細めてしまうのは、ミイ姉さんまで自分のように牛女になっているのではと疑っているからだ。注視する場所はやっぱり爆絶美麗なそのおっぱいである。
『ま……まあ、ルチルの気持ちも分からなくはないけどね、私はあなたと違って元から牛よ。牛女にはならないわ。ただちょっと普通の牛より不思議なところは多いけどね』
「な、なんだ。ミルク姉さんまで牛女になっちゃったのかと思っちゃいました」
『残念ね。私も少しはなってみたかったのだけど、牛のままよ。ルチルの眼には、いまだに牛女のままに見えているようだけど』
肩をすくめるミイ姉さんに、ルチルは笑う。
それから、二人並んで作業する村人たちを眺めて、しばらく。
口を開いたのはルチルだった。
「ねえ、ミルク姉さん。山ヌシ様は、この後どうするつもりですかね?」
ミイ姉さんはちらと横目でルチルを窺って、少し間をおいてから答えた。視界に収まるあらゆる場所で作業が続く。
『さあ、どうするつもりなのかしら。二ペソの破ってはいけない決まり事を破った人間は、過去に一人二人いたけれど、その時は当時の山ヌシ様の裁量で事が決まったからねぇ。今回はどうなることやら』
「……、そうですか」
『心配?』
「そうですね。心配です。カルネさんも、それを追うかもしれない山ヌシ様も。山ヌシ様は掟に厳しい人だからきっとカルネさんを見つけたらただでは済まないと思うし、カルネさんも銃を持ってる。そんな二人がもし出会ったら、そう思うと……」
『そうね、おそらくどちらかないし両方が傷を負うことになるわね』
「ミルク姉さん、あたしね、分かるんです……分かっているんです。いけないことをしたのはカルネさんだって。いけないことをしたら、こらーって誰かに怒られるんだって。でもカルネさんがしたことは、きっとどうしようもないことで……もしその状況に自分がいたらって考えると、答えなんて出てこなくて……」
ルチルは自分の気持ちをそう吐露して、空を見上げた。
「ああ、やっぱり難しいです、良いことって。たぶんカルネさんの選択も、山ヌシ様の判断も、どっちも誰かのためを思っていて、誰かにとっては良いことで。でもどっちもお互いにとって駄目な選択で――そんなの、あたしには分かりません」
言って大きく息を抜くルチルは、「わかりませんよ」と、口の中でつぶやいた。
そんなルチルを見るミイ姉さんは、肩に手をまわして抱き寄せると、そっと頭を撫でた。
『優しいルチル。今あなたが出した答えは、時に正解の場合がある。良いことをするってとっても難しい、そう感じることが。でもね、ルチル。あなたは人の形を取り戻したじゃない。まだ完全にという分けではないけれど、でもそれだけを見れば、ルチルは良いことができたって証拠じゃないかしら。確かに良いことは難しい。けれどあなたは、それを自然体でできているのも本当のことよ。悩むことないわ、と言って悩まない子じゃないことは、短い付き合いの中でもわかっているつもりだけど、それでも言わせて頂戴』
ミイ姉さんは抱き寄せたルチルの顔をそっと持ち上げて目を合わせると、優しく微笑んだ。
『――ルチル、悩まなくていいわ。あなたはとても、良い子だもの』
ルチルはンッと唇に力を入れて、じっとミイ姉さんを見つめる。
出てきた言葉は、小さく震えていた。
「ほんとう……?」
『ええ、本当よ』
「ほんとうに、ほんとう……?」
『本当に本当。私はルチルに嘘つかないわ』
何かを堪えるように息を止めるルチルの喉から、くぅと張り詰めた何かが溢れ出す。
そして、ルチルはミイ姉さんの胸に顔をうずめた。
その光景をマルコとアニールは遠目から眺めて、温かく笑む。なぜルチルとミイ姉さんが一緒にいるのかはわからない。それでも胸が温かくなった。だから笑みがこぼれた。
それは村の人間はもちろん、顔の識別すら困難なほど包帯に巻かれた状態の格好で後片付けを手伝っていたマメとキノコも、同じ気持ちにさせるのだった。
了
次回 店主の言葉




