十話 『 幸不幸 』
ほかの動物の爪から庇ったルチルを盾にするように、カルネは猟銃を向けていた。
ルチルには分からなかった。それは、今、この瞬間、何が起きているのか分からなくなるような出来事だった。明らかにひやりとした鉄の塊を向けられているのに、それはとても痛く、熱かった。
呆然とするルチルに山ヌシは静かに語る。
『それが、その人間の本質だ。争いを止めようとする者でさえ利用し、山に眠る富を欲する。そんな者に、今更掟を守らせて帰ってもらおうとするなど不可能だろう』
『……でも――」
『俺はこの山の主だ。山には必ず掟がある。人に知られずとも、山を守りそこに暮らす命を護る掟が。その掟を守るためならば、俺は人の命さえ奪って見せよう。その報復としてこの命刈り取られようと、俺は山ヌシの務めを果たそうぞ』
確かにそれは君臨する者の言葉だった。やめてと叫ぶ者にとって非情に響いても、この場で一つの正解だった。掟を破り、二ペソに暮らす命を危険にさらすくらいなら、掟を破ろうとする者の命を踏みつぶして、それを止める。単純だが、事をなす為の強い力に他ならない。
『諦めろ。その者は欲に塗れてしまった。欲を出してはならぬというのが、お池の決まりだ』
そう言って、山ヌシは地を這うように低い声で短く鳴いた。
途端、鳴き止んでいた動物たちが再びその声を張り上げた。
じりじりと迫ってくる動物たち。これが山の意思だと言わんばかりに、命をよこせと迫りくる。
ルチルはもう、どうしていいかわからなかった。姿が変わったおかげで山ヌシと言葉を交わすことはできたが、山ヌシには山ヌシの定めがありその行動をやめさせることはできなかった。逆に姿が変わったせいで、カルネとは言葉も交わせず頭に銃口を向けられる始末。頭の中が一杯いっぱいになって、いつの間にか止まっていた涙も、次々と溢れ出してくる。
(あたしが、もっと上手に喋れたら……カルネさんに抱きしめられたあのとき、こうなるって分かっていられたら……きっと……あたしの、せいだっ!)
だが、ここで泣き崩れたりしないのがルチルという少女。
震える手足を、合わない歯の根を力技でねじ伏せて、銃口突き付けられたままやめてと叫ぶ。
『駄目だよ! 死んだら駄目だっ! 人間の持つ武器は怖いんだ。たった一回でいっぱい死んじゃう、いっぱい怪我しちゃう! カルネさんはあたしが止めるから、だからみんな――』
『――もうやめてぇぇぇええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!』
その瞬間、その場のだれも予想していなかった事が起きた。
想像もできない幸運が起きた?
違う。
予想もしない不運として、カルネが用意した仕掛けが、勝手に動き始めたのである。
ミシッ……ザリザリ……と、木の枝にぶら下がるようにロープで固定されていた大きな石が徐々に落下し始め、池の中の石柱へと繋がったロープに力を加えようとしていた。
ルチルの叫びと動物たちの鳴き声の中、最初にそれに気づいたのは事の成り行きを見守っていた山ヌシだった。
『動き始めている!?』
山ヌシの驚愕と動揺は瞬く間に鳴き声あげる動物たちに広がった。今まで鳴き声を張り上げてカルネににじり寄っていた動物たちは、体の動きの一切を止め、山ヌシと視線を同じくする。
そして、動物たちが一斉に注意を他に向ければ、ルチルやカルネもそれに気づく。
だからルチルとカルネの表情は正反対の理由でグニャリと歪む。
「フハッ、どうやら縛りが甘かったようだねぇ。いいや、このくそったれの獣たちの大合唱が最後のトドメになったのか……まあ、あれだけの爆音だ。何が起きてもおかしくないよ!」
カルネ一人が笑う中、ルチルや山ヌシは極限の緊張に苛まれた。
見る先のカルネが用意した仕掛けは、着実に破滅へのスイッチを押そうとしている。
なのに、自分たちは何をどうすることも出来ない。いや、自分の体が人間であれば石の落下は防げた可能性はある。外れそうになっている石を中空で支えるロープを縛りなおせば済む話だろう。
――その時、ルチルが気付く。
木の枝の高さを利用したテコならば、支点となるべき『高さを持った枝』がなくなってしまえばテコとしての意味を失うはずだ。
ルチルは叫ぶ。
『山ヌシ様! 石がぶら下がる枝か、あの木そのものを折っちゃう事ってできますか!?』
『――ッ!』
叫びを受けて山ヌシは駆け出した。答えを返す暇すらなかった。
山ヌシとしての巨体に全力で速度を付けて、仕掛けある木へと突貫する。
その行為が何を意味するのか、カルネは察した。
「ちぃ! 余計な真似をするんじゃないんだよ!」
手に持った銃を即座に構え何の躊躇もなく引き金を引くカルネ。
ズドンッという臓腑を貫くような破裂音が山に木霊し、散弾が山ヌシを一瞬でとらえた。
『ぐっ……があぁああああああああああああっ!』
しかし、止まらない。ある程度の距離があったことで肉体深くにダメージを負うことはなかったが、それでも体全体をまんべんなくえぐり込む散弾が強烈な痛みをあたえたにもかかわらず。それでも山ヌシは走り続ける。
傷から噴き出す血を無視して、痛みではじけるように明滅する視界の中を。
ただ、突き進む。
――しかし。
山ヌシがその巨体を使って仕掛けある木を力ずくで薙ぎ倒したのは、仕掛けが発動した半秒後の事だった。
次回 「 到着 」




