八話 『 山の思惑 』
――なのに。
けれど、そうであっても。
「……退く気はない。そう受け取っていいってことだね」
カルネは冷徹に言い切る。
「不思議なものだよ。アタイがいま何をしようとしているのか、お前には分かっているような気がするんだから。そうでなければ、子牛のお前がそんなに不細工な面で鳴くこともないんだろうからね。でも、だからと言って……いいや、であればこそ、アタイはあんたを撃ち殺してでも為さねばならぬと言ったところなんだよ」
カルネはルチルの額に押し付けている銃口に力を込めて、そのまま一歩、足を出した。
「五つだ。五つ数えたらアタイは引き金を引く。そこにお前の頭があっても尻があっても、必ず撃つ。殺されたくないのなら、さっさと退いておくんだねぇ」
そして、カウントが始まった。
一つ――二つ――と数えられ、しかし互いの視線はぶつかり合ったまま。
三つ――四つ――と数えられ、けれどルチルの足は下がるどころか、銃口を押し返すように前に出た。
ルチルのその行動に、カルネはほんの少しだけ笑みを見せた。
「ふん。もしアタイの言葉がわかっていて押し返したってんなら、ずいぶん根性のある牛だねぇと褒めたところだ。けどね、あんたは牛で、人の言葉なんて分かりっこない。今が命のやり取りだってことも分からない子供を撃つのは本当なら嫌なんだがね、もうこうなったら仕方ない。死んでおくれな!」
言い終わり、カルネは律義にも五つ目を大きな声で数えてから、引き金に掛かる指に力を入れようとした。
その数瞬前で。
池を囲む樹々ないしは二ペソの山それ自体に、異変が起きた。
いいや、正確に言うならば。
池を囲む樹々の陰や下草の中から、複数種類の眼、無数の視線が、その場を一気に包囲した。
「な、なんだい、こりゃあ……」
ゾッとする、目に見えない圧力が注がれるのは、銃口突き付けられるルチルではなく、突き付けているカルネ。それはまるで、山という存在に体中を隙間なく見つめられているような感触だった。
「気持ちが悪いねぇ……」
引き金を引くことすら忘れて、カルネは周囲に視線を巡らせる。
そして、知る。
その場に何匹いるのか見当もつかないほどの数の動物たちが、こちらを見ていることに。
タヌキやイタチだけじゃない。ウサギにシカにリスにキツネといった四足の獣に、シマエナガにキビタキにホオアカにフクロウといった翼をもつもの、そして昆虫や爬虫類に至るまで、二ペソの山にいるすべての生き物がここに集まってきているのではないかと思えるくらい、無数の命がカルネを見つめていた。
「何だい、これは。まるで意思を持って、アタイを見つめているようじゃあないか……!」
それはどんな恐怖だろうか。動物という、無意識に己より下だと考えてしまう相手が集まり、まるで意思を共有しているように一つの事――『こちらを見る』という事をされた恐怖は。
それも、動物がこちらを窺う時の表情は、人間には読み取れない恐ろしさがあるというのに。
カルネの感情が逆立っていく。怒りによるものではなく恐怖によって平静でいられなくなる。
そしてそれはルチルにとっても、決して居心地のいい空間ではなかった。そもそもルチルは牛ではなく人間なのだから仕方ないが、呼吸をしていいのかさえ、許可を取らなくてはいけないような気がしてくる。
突然の異変に苛立つカルネは、子牛に言ったって無意味だと理解していてもつい、ルチルに声を荒げてしまう。
「まさか、お前がこれをやったんじゃないだろうね!?」
『し、知らない! あたしだって分からないよ!』
場の空気に気圧されたルチルは、生まれたばかりの子牛のように体をプルプル震えさせて否定する。否定したところで言葉が通じていなければ意味がないことすら忘れながら。
『なに、これ? 怖い……!』
と、その時。
山の上、ひときわ大きな樹の陰から、その大樹にも引けを取らない大きさの猪が、姿を現した。
体中の傷がその個体の強大さを表す獣の長――山主である。
次回 「 説得と、命の責務 」




