十四話 『 望郷 』
太ももやふくらはぎの痛みや震えなどは倒れる前よりずっと和らいでいて、歩くことに不便さを感じるほどではないけれど、やはり違和感は残っていた。
(最低でも一日は休んでいなけりゃ駄目かねぇ、これは)
ため息を吐きつつ、アニールという名前の村長の家がある坂の上を目指し、村の中を見回す。そこは、色とりどりに塗り分けられた木の細工や、細い枝に蔦や木の実を飾ったリースなどが飾られて、近々何らかの催し物がありますよと教えるようだった。一軒一軒の間隔が狭い村ではないから、大きな街のフェスティバルには及ばない派手さではあるけれど、それでも大きな街にはあまり見られない土の温かさの様なものが、二ペソ村のそこかしこに満ちている。
(………………、……)
そんな村の中を見て郷愁がわいた。カルネの頭に浮かぶのは故郷での日々。二ペソより小さく、大きな街へと続く道も通っていないから知る人ぞ知るという形容がピタリとあてはまるカルネの故郷はしかし、笑顔の絶えないとてもいい村だった。娯楽という娯楽もなかったし、畑の手入れやヤギのミルク絞りなどで一日が終わる質素な村だったが、それでも、これといった諍いのない幸せがあった。
だから、なのだろう。
微笑ましさと同時、二ペソの村を見たカルネの胸の中は言い知れない不満や羨望、あるいは嫉妬の様なものが渦巻いたのは。不幸になればいいとは考えないが、私の故郷だって病気さえ治ればこれくらい、と知らぬ間に刺々しい気持ちになってしまう。
(……って、アタイはなんてことを考えてんだろうね。よそ様の村に)
自分自身に呆れて、周囲に向けていた視線を下へと落とす。
そのとき、小さな子供が三人、カルネの横を駆け抜けた。女の子二人に男の子一人。男の子が女の子たちを追いかける形で「まってよー」と言っていた。男の子の手には小さめのカボチャが抱えられているから、兄弟でお使いを済ませて家路を急いでいるのだろうとカルネは思う。
その光景で思い出すのは、故郷の妹だ。
――まってよ、お姉ちゃん。
(いつもアタイの後をついてくる子犬みたいな子。両親が歳行ってからの子だからアタイとはうんと歳も離れて……)
故郷での日々が思い出そうとしなくても蘇ってくる。
(そんな子が、あと少ししか生きられないなんて、あっていいはずがない! なのに……っ)
カルネは自分の足を、そして両手ないし両腕をみた。
今こうして自分の意思で体が動かせること、それは幸運を通り越した奇跡の様なものだとカルネは奥歯を噛みしめる。
溺れるという事故は、落石によって体がつぶされるような即座に命に係わるものではないかもしれない。しかし、カルネが溺れたあの状況で彼女が助かったのは、迅速な処置を行える人間が近くに居て、その事故に対し慌てたり焦ったりせずに適切な行動がとれたからだ。けれどもし、あのままマメとキノコに発見されるまでの時間が経っていたとしたなら……。
カルネは震える。服の胸元を強く握り、厳しく眉を寄せて。
(故郷を、妹を助けるためならどんなに辛くてもやり通す。その考えは今も変わっちゃいない。けど、アタイに何かあって割を食うのはアタイだけじゃない……そんなこと……っ!)
分かっているんだ、なんて言葉は許されるはずがなかった。
確かに故郷を救うという考えと行動は、誰かに頼まれたものでなく、自分が選択したものだ。であれば、そこに責任なんて生まれるはずはない。しかし、そこにやり遂げるという信念が加わった場合、責任という形のない鎖は自分を、そしてそれを知った周りの人間を巻き込んで強く縛り付けてしまう。――人の命。それも一人二人ではなく、村一つの大きなコミュニティーを形作れるだけの人の命が関わってくるとなれば、自分勝手に始めた救済はとても大きな意味を持つのだから。
カルネはひどく歪んだ表情で歩き続けた。故郷での病気の蔓延だけじゃない。思慮の浅い自分に怒りがわく。頑丈に作られる馬車だって使い続ければ車軸が曲がり車輪は割れる。荷台に穴も開けば使い捨てられるのが関の山だ。そんなこと分かっていたはずなのに、体と心がいうことを聞いてくれなかった。
(でも、そうは言ったって、焦るなって方が無理な話じゃないか。もう年単位じゃないんだ。あと数か月なんだ。アタイが薬を持って帰れなきゃ、妹はたった数か月で死んじまうんだよ! 妹に母さんの様な苦しい死に方なんて、させられないだろう……)
口を引き結びながらコルトンに借りた上着の襟を寒くもないのに掻き合わせ、カルネは村長の家へと続く坂を上る。短い坂だ。複雑な感情の整理なんてつけられることはなく、その足は村長の家の玄関数歩前に到着していた。
次回 「 そそる香り 」




