十話 『 焚火の前 』
それは、前村長の言葉から始まった。
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『良いか、マー坊。この村、二ペソを管理しているのは村長のわしだ。ほかの村や、大きな町との決まり事や約束事を守っておる。それらを守ることで、間接的にわしは二ペソ村を守ってきたわけじゃな。でもな、本当のことを言って、二ペソを守っているのは、村に住むみんな、一人ひとりなのだとわしは思う。田畑を耕し、猟をして、行商人と商いをする。争いはなく、自分の非を認め、謝罪には許しを持って笑顔を守る。ここは山村じゃ。時には獣に攫われる人間だって出てくる。かと言って、山狩りをして山から獣を追い出してしまえば、山は生きる力を失い、山に生かされておるわしらもこの地を捨てなければならなくなる。この世は順繰りじゃ。なにかは誰かに生かされ、誰かは何かに守られておる』
焚火の前に座る先代の村長は膝に小さい時のアニールを乗せて、隣に座るマルコに微笑む。
『そして、その順繰りの中で一番大きな部分を守っているのが、マー坊、お前の父さんなんじゃよ』
『お父さんが?』
『ああ。毎日毎日、崖の大岩の足元にある祠に祈りをささげておるじゃろう。あれは、あの場所で悪さをする者がいないか、大岩は今日も立派な姿でおるか、行くまでの山道に変わりはないか。そう言った諸々を確かめるためのものじゃ。それには、毎朝村を見て回るミルク売りが適任なんじゃよ』
『でも、見てるだけじゃ、何を守っているかわからないよ。村長さんの方がすごいよ!』
『ナハハハハ! そうか、わしの方がすごいか! けれどこれは、わしの爺さんよりもっと古い時代に交わした山との約束なんじゃよ。その勤めを、歴代の牧場主は担っておるんじゃ』
『お山との約束を、お父さんが……』
このとき小さなマルコは口をもごもごと動かして照れていた。いいや、誇らしかったのだ。父親が村長に認められるような立派なことをやっていることが。だから小さなマルコはここでふと気になったことを口にしていた。
『じゃあ、じゃあさ、村長さん。もしもお父さんがお山との約束を破っちゃったら、どうなっちゃうの?』
『うむ、それなんじゃがな……わしにも良く分からんのじゃ』
『えー、分からないの?』
『いやな、わしも村長じゃ伝承はきちんと記憶しておる。おるのじゃが、如何せんソレが何を指しているのかわからんのじゃ』
よいか、先代の村長はそう言い置くと古めかしい言葉を唱えるように口を動かした。
【――財貨の山、実り留めし二柱。守りの柱を解さぬ者、龍の逆鱗に触れる時、猛き咆哮伴って、山一帯を飲み込まん。黄金の夜明けに惑わぬ者よ、この地を育み山守りとなれ】
その言葉は小さなマルコには、いやさ自分自身で言う通り、村長にだって理解の難しいものだった。今思い出したって、この言葉が何を指しているのかわからないのだから、昔のマルコに判断つくはずがない。唇を突き出して唸るマルコの頭に手を置いて、先代村長は笑う。
『なあ、難しいじゃろう? この二ペソがある土地には、ずっと昔からこの言葉が残されとる。残されてはおるが、この伝承が嘘か誠か、それすらも分からんのじゃよ。伝承に残された龍のことや、山も飲み込む何かなんぞはそうそう信じられん話だ。――ただ、山守りというものが必要だということは最後の一文で分かるし、守りの二柱が正確には何なのか分からんが、その片方が大岩の事じゃろうと考えてこれまでずっと見回りを続けとるのさ』
『んー……でもそれじゃあ、お父さんがお山との約束を守ってるなんて思えないよ』
『はは、そうじゃな。今の話からじゃそう思うかもしれん。けれどなあ……』
先代村長はニマリと口角をゆがめると、その場にしか響かない小さな声で、こう言った。
『わしが子供のころ、その時に村長を務めておった爺さんと一緒に山に入ったことがあった。そこは二ペソの村人でも足を延ばさん山の奥でな。木々と下草が生い茂り、道らしい道さえない山の上じゃ。そんな所を草掻き分けて進んでいくと、きゅうにぽっかりと穴が開いたように視界が開けた場所に出る。そこには清水湧き出る岩が鎮座しておって、なんとその岩の上には――大きな大きな狸がおったのじゃ!』
『おっきなタヌキ!?』
『ああ、そうとも。しかも驚くのは大きさばかりでない。なんとその狸、人に化けおったのじゃ! ボフン、という大きな音とともに毛むくじゃらの巨漢にその身を変えて、さらに驚くことに流暢に人の言葉をしゃべるのじゃ。野太く腹に響く声でな』
『村長さんはタヌキとおしゃべりしたことがあるんだ!』
『ああ、あるぞい。すごいじゃろ! ナハハハハ!』
豪快に笑う先代村長に、マルコは『いいなー、すごいなー』と羨望の目を向ける。先代村長は笑って前に置いてあったミルク酒をグビと呑み込んだ――。
次回 「 回顧の後 」




