六話 『 二人の女の子 』
その日、ルチル・ハーバーグとアニール・クッキーは散歩していた。
正確に言えば、マルフサという葡萄に似た果物の果樹園でアニールを手伝っていたルチルは、二人(一人と一匹)で遅めのお昼をとるためにちょうどいい場所を探している最中だった。果樹園の周りから足を延ばして森の中へ、そして今では幅の広い川の横を歩いている。
「さてと、今日はどこでお弁当食べようかな」
もちろん会話はない。だってアニールから見ればルチルは子牛だ。おしゃべりできる相手じゃない。お腹すいたねと言ったところで、せいぜい返ってくるのはモーという鳴き声だけだ。
にもかかわらず、アニールはルチルにしゃべりかけていた。
話がしたいわけじゃない。子供が人形に話しかけるのと同じようなものだ。
「でも本当に驚いたよ。疑っていたわけじゃないけど、まさか本当に白いヤクの子供だなんて。君のおかげで、あの時、マルコ怪我しちゃったんだからね」
しかし、ルチルにとっては同年代の女の子と一緒に歩いているだけだ。しゃべりかけられたら返事をするし、あの時と言われてそれが何をさしているのか察することもできてしまう。だからルチルは少し申し訳なさそうに返すのだ。
『ごめんなさい……でもあの時はパニックになって……』
「ああ、違うの。別に君を責めてるわけじゃないから、そんなに落ち込んだ顔しないで」
アニールは隣を歩くルチルの頭を撫で、中に入ったお弁当で大きく膨らんだ肩掛けかばんの位置を直した。そして、口元を優しく持ち上げる。
「本当はね……君が牧場に来てくれて嬉しいんだ」
『嬉しい?』
「去年の暮れにあった落石事故で私の親もマルコの両親も、村の多くの人も死んじゃった。それからマルコは頑張んなくちゃ、お父さんたちに追いつかなくちゃ、って。いつも一生懸命っていうか、余裕がないっていうか……」
『あの美少年にそんな過去が……』
「でも君が来て、マルコは少し変わったなって。ほら、毎朝君は荷車引きを手伝ってくれているでしょう。ちょっと前のマルコなら、自分でできることはぜーんぶ一人でやろうとしてたから。人の手を借りることも、ミイ姉さんの力を借りることも、ほとんどなくてさ」
ルチルは思い返してみた。自分が手伝い始めたときのことを。――だが。
『駄目だ。良い事って何だろうって考えすぎてて、あの美少年の声も反応も表情も、何も覚えてないや』
フモー、とため息の様なものが鼻から出て行った。
そのルチルの反応をどうとらえたのか、アニールは二度ほど頷いて見せる。
「でしょう? 君がそう思うのも無理はないよ。マルコは何でも一人でやろうとし過ぎなんだ。きっと一番近くで見てるミイ姉さんだって、私たちと同じ気持ちのはず」
『ミルク姉さんは見ず知らずの牛化け女のあたしにも優しくしてくれる奇特な人だけど、あの美少年に対しての気遣いが特に細かいのは事実だね。まあ、自分が牛だからなのか相手が飼い主だからなのか、そう深く突っ込んだことはしないみたいだけど』
「ま、まあ、ミイ姉さんは言い過ぎかもしれないけど、でも村のみんなや私だっているのに、ううん、私がいるのに! どうしてマルコは……! そりゃあ一人で何でも出来るに越したことはないかもしれないよ。けど、私はもっと、こう……んー、マルコのおたんこなす!」
顔をルチルの鼻先に近づけてフンスーッと息を荒げるアニールは、何だかエキサイトしていた。怒っているのか、それとも心配しているのかは判断つかないけれど、でもルチルも女の子。知り合って少しの間でも感じ取れるものはあった。
『いいなぁ。本当に、いいなぁ』
ルチルはモフフンと笑った。なんだか良く分からない感情が、再び歩き出したアニールの尻に自分の尻をとんと当てる。
「ちょっと、なによもうー!」
『ううん、なんでもなーい』
「べ、別に、そんなのじゃないんだからね! ちがうんだからー!」
はたから見れば白い子牛に女の子がじゃれついているようにしか見えないそれは、けれど確かに女の子同士の会話だった。不思議なことに、姿の違いを飛び越えて、気持ちの通じ合いをアニールは感じていた。だから笑いあえる。子牛と人とで。
それからしばらく、河原を進む二人。
昼食をとるだけのつもりがずいぶんと歩いて、前には弧を描いた川と、絶壁とは言えないけれど決して丘とは言えない壁が行く先の景色をふさいでいた。
「っと、このカーブの先に行くとあの三人がいるところか……」
『あの三人って?』
ルチルは隣のアニールに向かって首をかしげた。
「ん、気になる? 少し前、そうだ、君がマルコの牧場に来た時に三人組を見たんだよ。探検家みたいな恰好で、つるはしを持った人たち。なんか……不思議な? 面白い? 人たちだった。背の低い人と高い人と、コロネパンの人」
そう言ってアニールは少し笑うと、はっとしたふうに口を押さえた。他人を笑ってしまったことを恥じるように肩をすくめる。
「いま笑ったことは内緒ね」
クスクスと小さく笑い、それからアニールは辺りを見回した。石が多く転がる河原で腰を下ろせる場所を見つけると「ここでお弁当たべようか」と、その場所まで移動して昼食の用意をする。と言っても、広く平らな石に肩掛け鞄に入った弁当を広げるだけだ。
広げられるのはサンドイッチとミイ姉さんのミルク。お弁当で大きく膨らんだ鞄から想像できる通り、中にはルチル専用の(牛でも食べられる)物も入っていて、テーブル代わりの石の上は載せきれないほどのサンドイッチが並べられた。
「さあて、いただきましょう。君の分も用意してあるから、いっぱい食べてはやく大きくなるんだよ。早く大きくなって、私と一緒にマルコの役に立てるようにならなくちゃね!」
――なーんて、冗談だぞぉ! そう言ってアニールはアハハと頬を染めた。
タイミングとしては、ちょうどこのすぐ後だった。
バッシャーン、という何かが水の中に飛び込んだような音が聞こえたのは。
でも、食事の手を止めるほどではなかった。二人、とくにアニールはあの三人が川で遊んでいるものと思った。
しかし、次に現れたもので、二人の動きは止まった。
その場所は川。
流れに乗って揺れる帽子。
それは探検家然とした、ピスヘルメットと呼ばれる三人がかぶっていたものだった。
アニールは危機感を覚えた。
ここは流れの緩い川だ。もし帽子が流されても、誰かが拾いに行くはずだ。
ルチルは腰を上げていた。
誰かが水に飛び込む音が聞こえても、その後に続かなければならない音が全く聞こえない。
二人は足場の悪い河原を早歩きの様な速度で進み、弧を描いた川の先を見に行った。
そして、その先に見たものに――。
ルチルの叫びが木霊した。
次回 「 女の決意と診療所 」




