二話 『 呪われた訳 』
夜の山で古傷だらけの巨大なオスに睨み付けられるルチル。知らずその足がプルプルしたって仕方ない状況で、しかし――、
「って、ちょっと山ヌシ様。女の子にそんな目を向けたって、話にならないわよ。山ヌシ様は優しさのあふれる傷をたくさん持つ雄だけど、その見た目は全く優しくないんだから。ほかの生き物とかかわるときには、もっと朗らかな表情を意識なさいな」
もう……と溜め息交じりのミイ姉さんがすかさず横から入り、山ヌシを諫めた。
諫められた山ヌシは「むう……」と小さく唸ると、体をプルプルさせて今にも泣きだしそうなルチルに改めて言葉をかける。
「怯えるな、ルチルとやら。俺はぬしに怒れるほどぬしを知らん。だから問うているのだ」
「それは、あたしの事を知ったら怒るってことじゃ……」
「やらかした事による、ということだ」
「やらかした、こと」
ぐしゅと鼻を鳴らして、顎に梅干しのようなしわを寄せ、ルチルは考えた。山ヌシが言う最近の事だけでなく、地元を出てから今までの事を指折り数えるように一つずつ。いつの間にか言葉に出していることにすら気づかない集中力で数えていく。
そんな中で、両手の指を七つ折り曲げたときだった。ルチルの口から気になる言葉が飛び出した。
「ちょっと待って、ルチル。あんたいま、なんて言ったの?」
「え? えっと、お猿さんにからかわれたり」
「そのあと」
「クマに見つかったり」
「そのあと」
「小さなお社を……ぁ……、違くて、食料が……なくなったところ、かな……?」
ルチルの反応は、それはもうわざとらしいものだった。
だからルチルは、ミイ姉さんの目を見ることができなかった。
だって、気付いちゃったのだ。
二ペソ到着前。山の中を数日歩き回っている間、休憩しようと腰かけ、寄りかかった古めかしいお社の側壁に穴をあけたことを思い出しちゃったのだ。そして、穴を直そうと試行錯誤する結果、よりひどい事になったこともついでに。
(うぅ……怒られる。怒られりゅぅ……でもっ!)
しかし、ここはルチル。自分でしでかしたことに知らん顔をし続ける盗人の様な猛々しさを持ち合わせていない。座り込んだ状態のまま地面におでこをぶつける勢いで頭を下げて、それは見事な土下座にモードチェンジしたのである。
「すみませんごめんなさいお社を壊したあたしが悪いので許してくださいぃ!」
「ルチル、あなた……まあ、自分で気づいたのならいいわ。けど、そう……やっぱりお社を」
腰に手を当てて少し困ったように納得するミイ姉さんに、山ヌシは呆れたふうに続く。
「予想はしていたが……それが事実だと聞かされると、怒ればいいのか笑えばいいのか」
「笑ってあげなさいな。この子の事だもの、壊したくて壊したのではないはずよ」
「だろうな。他者を騙す狡猾さを持っているような気配は感じない」
大きな手で傷だらけの顔を撫で、大きく息を抜く山ヌシ。
ルチルは怒られないような空気を感じて、下げていた頭を持ち上げた。
「あれ……あたし、怒られない?」
「ああ、怒らん。怒ったところで何もならんからな。無駄なことはするに値せん」
山ヌシは、胸をなでおろすルチルの隣に視線を向け、肩をすくめるミイ姉さんを確認してから両膝に手を当てた。ルチルを見下ろして口を開く。
「最初に言っておく。ルチルとやら、ぬしにかかっている呪いは俺やミルク殿が何とかしてやれるものではない」
「え、じゃあ……あたし元に戻れないんですか?」
「違う。自分の力でどうにかするしかない、という事だ」
「自分の、力で……」
「そうだ。そもそもぬしが壊したというあれは、人と獣との仲を友好にしようと考えた先々代の化けダヌキだった山ヌシが、人に化け、二ペソ村の人間と一緒になって作った社なのだ。互いに余計な血を流さないようにと願いを込めてな。故にその呪いも皮肉なもので、もしその約束を違えたならば、人は獣の姿となり、獣は生きるための武器である牙や爪が抜け落ちる。社の損壊にも効力があったとは驚きだが、目の前に人である子牛が存在するのだ、疑う余地はあるまい」
だが――山ヌシはそう言い置いて続けた。
「俺たちにとって、あの社は形だけの飾り物よ。山に生きる俺たちは享楽によって血を流すことの不毛さを知っていて、山に生まれる二ペソの村人たちも、無駄な猟が山に与える影響を十分に理解しているのだからな。ミルク殿がすぐに判断できぬも無理はない」
「えぇ! じゃああたし、意味のない飾り物のせいでこの姿に変えられちゃったの!?」
「いいや、意味ならあった。『この山の獣は人とのつながりがあるぞ、だから狙わぬ方が身のためだ』と周囲の山ヌシに知らしめる証しとして、あの社は機能していた。この地を狙うほかの山の者が減ったのは先々代の大きな功績だ」
「そうね。先々代の大狸様は、二ペソの村人との友好をと言うよりも、二ペソの人間を利用しても山の平穏を望むような、まさに化け狸だったわね」
懐かしむように微笑むミイ姉さんの様子に、どことなく郷愁を感じるルチルは――、
「そっか、意味はあったんだ。意味があったなら良か…………良くないよぅ!」
――少し混乱していた。さっきの話で何故ほっとしたのかわからない。やはりルチルにとって、牛の姿に変わったことよりも、バストサイズの理想化の方が一大事なのかもしれない。
山ヌシは、両腕(山ヌシ視点で言えば両前足)を上下に振って自分自身に突っ込みを入れているルチルを、岩の上から残念な子でも見るような眼で見下ろして、言う。
「……、結論から言おう。ルチルとやら、ぬしが本当に呪いを解きたいと願うならば、他者に対して『良いこと』を行えばいい」
「よいこと?」
「うむ。そうすればその呪いは解けると、先代からは伝え聞いている」
「良いこと……良いことをすればあたしは元に戻れるんですね!」
「できるだけ多くの相手に対して善い行いをすれば、呪いも早く解けることだろう」
「はい、わっかりました!」
ふふ、そっかー、良いことかー、ふふふー、と柔らかく表情を崩すルチル。
これで、ルチルの身に降りかかっている問題の一つは解決の糸口が見つかった。もう片方の絶壁に関しても解決方法はしっかりしたものがある。であれば、あとは行動さえしていれば時間が勝手に解決してくれる。
ルチルは安心していた。ミイ姉さんも、ルチルの隣で息を抜いて満足そうにしていた。だってもう、問題は解決したようなものなのだから。あとは牛舎に戻って、また明日から頑張ればいい。それだけだ。
なのに、
「でも、ちょっと質問、いいですか?」
ルチルがその問いを恥ずかしそうに口にした瞬間、
「えっと、恥ずかしい話なんですけど……良いこと、って何ですか、ね……?」
ミイ姉さんと山ヌシは一緒に表情を固めたのだった。
次回 「 ミイ姉さんが願うこと 」




