第二章 一話 『 小さくなあれ☆アウアウヒー! 』
日は高く、空は澄み、雲がのんびりと流れる穏やかな昼下がり。
ルチルは牧草の上で大の字になって寝ころんでいた。
暖かな日差しが睫に跳ね、緩やかに吹く風が体を覆う真っ白な毛を撫でる。
気持ちのいい時間だ――同じ状況になれば皆が言うはずの時の流れの中で、けれどルチルは小さな溜息を吐いていた。
(呪い……)
陽に手をかざすように腕を持ち上げる。そこには数日前まではなかった、ヒトには備わっていないはずの体毛が生えていた。
(良いこと……良いことって、なんだろうなぁ)
持ち上げた腕を額に乗せて思い返す。
山ヌシの言葉を反芻するために。
「――呪いだ」
極めてシンプルな一言は、それでもルチルの頭が理解するには少し長めの時間が必要だった。
「呪、い……? 呪いって、あの、悪いお化けや化け猫や、ご飯を残すと『もったいねぇ~』って出てくるやつですかっ!」
ルチルは頭を抱えてしゃがみ込み、カタカタカターッと震えると、
「呪いは駄目です怖いです! おばあちゃんが言ってました。病気と呪いと借金はこさえちゃならねぇぞって! だから駄目です怖いですー!」
アウアウヒーッ、と小さくなった。
おばあちゃんが大好きだったルチルは、おばあちゃんが言うことを信じ切っているのだから仕方ない。困っている人を手助けしたり、親切にしてもらったりしたら、先ずお礼。そういった常識をきちんとルチルが培っているのも、おばあちゃんの手腕だ。行き倒れたときに授乳されても『ありがとう』をまず言おうとしたところを見れば、ルチルの中でおばあちゃんという存在がどれだけ大きいかわかるはず。
しかし、今は怖がっている貧入牛化け少女のちっちゃくなった姿を鑑賞してる場合じゃない。
ミイ姉さんは縮こまったルチルを「大丈夫よ、おばあさんはそういう意味で呪いって言葉を使ったんじゃないわ」と安心させつつ、「なら、どういう……?」という返しには完ぺきなる無視を決め込みながら微笑んでみせた。そして、山ヌシを見上げる。
「そう……山ヌシ様もそう思うのね」
「ふん、やはりミルク殿も承知の上か」
「まあ、ね。でも、信じ切れなかったのよ。実際にそうなったのを見るのはルチルが初めてだったし、そもそもあの話は二ペソの村にだって残っている様なものじゃないんだもの」
「人の語る噂など、流れる時の中で風化するもの。形ある石であっても川の底を転がればいつの間にか砂粒になるのだ。形のない噂になれば、石ころの形が変わるよりはるか早く姿も見えなくなる。仕方あるまい」
山ヌシの言葉を聞いて「そうね、ありがとう」と答えるミイ姉さんはクスリと笑った。長く生きて周囲の成長を感じればうれしくなるのは人も獣も一緒だ。
「でも、そうなると……」
「ああ、ミルク殿の考える通り、間違いないだろうな。それ以外に思い当たる節がない」
傷だらけの顔を撫でるように顎に手を当て、山ヌシは睨み付ける視線をルチルに向ける。
「ルチルとやら。ぬし、最近になって何かやらかしたな?」
小さく座り込んだ状態でルチルは山ヌシを見上げた。やらかしたという言葉と鋭い視線で、自分がとてもいけないことをしてしまったという気持ちが瞬間的に膨らみ、ヘグッという奇妙な声と一緒にその顔が悲しく崩れる。
「あた、あたしは……その、えっと……」
いくらこの場所が幻想的できれいであっても、ここは夜の山の中。自分の目には人のように見えているが、明らかに人ではない傷だらけの大男に睨み付けられれば、言葉が素直に出てこなくなっても不思議はないのであった――。
次回 「 呪われた訳 」




