十話 『 その理由、絶壁 』
ルチル・ハーバーグは、めそめそしていた。
両手で顔を押さえ、小さくうずくまる格好で、スンスンヒンヒンメソメソと。
「もう……いけない……いけないよぅ」
場所はマルコが暮らす母屋の近くの牛舎。数日に一度の割合で交換される干し草の絨毯の上。
ルチルの傍では半分以上呆れた表情のミイ姉さんが、それでも残りの部分で慰めの言葉をかけていた。
「服をはぎ取られたくらいで泣かないの。上に着たオーバーオールは守ったじゃない、元気出しなさいな」
「そうですけどぉ……中のシャツ切られたときに胸触られたし、お尻のところなんて尻尾の穴だーって言われて切り取られちゃったし……それもあんなに若くてかわいい顔した男の子に……あたし、もうお嫁にいけないです……」
「嫁に行けないなら婿を取ればいいじゃない。第一、向こうはあなたの事を人の子だと思ってもいないのよ? ヤクよ? ヤクの子ども。女の子の胸を触っている自覚なんてないわよ」
そう言われたルチルは、いま自身に降りかかっている問題を思い出す。思い出したことでスーっと意識が遠のきかけ、危うく究極の現実逃避に成功するところだった。
(ああでも、それに成功して永眠すれば、この問題からは逃げられるのか……ハハッ)
ルチルは昨日までなかった自身の体を覆う白い体毛と、頭から生えた小さな角を撫でた。
実のところルチルは、どうしてこうなったのかということに、あまり重要さを感じていない図太い女の子だった。自分が牛女(他から見れば白いヤクの子供)になってしまった事なんて、ルチル・ハーバーグという女の子にとって案外に些末なことなのだ。ルチルが干し草の上で小さく丸まりながらメソメソしているのには、もっと大きくて、重大で、切迫した理由があるのだ!
それは、そう――だって牛になったのに。
(なんで……どうして……胸が小さいままなのよーぅ! だって牛でしょ? 牛って言ったらみんな巨乳でしょ? もしかしてあれなの、牛でも貧乳っているの? いやいや、それでも私の絶壁胸より豊満なはず! ……って、絶壁やないかーい!)
ビエーッ、と今にも大泣きしてしまいそうな気持を胸に押し留めてメソメソするルチル。もういっそのこと、変わるにしてもヤクではなく、バインバインの肢体を誇るホルスタインなら良かったのに! などと考えてしまう。
そんなルチルを見かねてか、それとも呆れてか、ミイ姉さんは口を開いた。
「けど……驚いたわね」
「驚いた?」
ミイ姉さんは(ルチルから見れば)グラマラスな体を干し草の上で横たえながら、頬杖を突きつつ息を吐いて、
「あなたが人間だって事に、よ」
と、事実をそのまま口にした。
それに対してルチルはメソメソしながら返答を繰り返す。
「それは何度も言ったじゃないですかぁ……ウペペ村からやっとたどり着いたこの場所で、気が付いたらこの体になっていたって。そりゃあね、あたしだってびっくりしてますよ。けど、それを言うならあたしなんてもっと驚いたんですからね」
「え……?」
「だって、気が付いたら、あなたみたいな綺麗でおっぱいの大きい牛のお姉さんが目の前にいたんですよ? あなたの、おっぱいで、大きい、おっぱいの、きれいな……おっぱいが……ムキィーっ!」
どういった悔しさがルチルの胸に去来したのかわからないが、彼女はハンカチを噛むように干し草をかみしめて滂沱の涙と鼻水を垂らした。ミイ姉さんは溜息を吐いて続ける。
「はあ……分かったからムキーってしないの。でも、そこなのよね、不思議なのは」
「そこ?」
「そう――私にはあなたが『ヤクの姿になった人間』だってわかるのよ、不思議なことにね。見た目は『ヤクの子供』に見えているのに、あなたがただの別種の牛の子供だなんて到底思うことができないの。それに、あなたには私が牛の姿で見えていないのでしょう?」
「ええ、ええ、そうですよ。とてもおきれいな妙齢の女性に見えていますよ。まぁあ、牛さんっぽい要素がないわけじゃないですけど、白と黒の体の毛も頭の角もグラマラスでバインバインなスタイルとうまいこと組み合わさってより凄まじいおっぱいになってますよ!」
もう、なんなのさこのおっぱいっ! とルチルは毒づいた。毒づくにしてももっとほかの言葉はなかったのかと、ミイ姉さんは呆れ顔でルチルを眺めるのであった――。
次回 『 いじける少女にさす光明 』