第一章 一話 『 運の悪いお人よし 』
「おな、おにゃか、が……」
夕方の街道に女の子がいた。
「お腹、が……」
女性というほど色香はないが、少女というほど幼くもない女の子が、薄茶けた、体の三倍はありそうなリュックを背負って、今にも死にそうな声を上げていた。
「誰かぁ……助け、……ぅ」
くたびれた白いシャツにジーンズ生地のオーバーオールを合わせ、ギリギリ肩に届いていない髪を後ろで結んでいる女の子は、背負った荷物にいつ潰されてもおかしくないヘロヘロな足取りで、先ほどやっと森のなかからニペソ村へと繋がる街道へ出てきたところだった。
「はひぃ……はひぃ……ほんと、死んじゃう、かも」
この死を予見させそうな見た目の女の子の名前は、ルチル・ハーバーグ。
そして何故このルチル・ハーバーグという女の子が死にそうになっているのかと聞かれれば、答えは簡単。とっても腹ペコだからだ。
三か月ほど前にモモトト町という地元を出て、乗り合いの馬車も使わず山を越えて谷を渡れば疲労だって溜まるもので、その上、昨日の朝から何も食べていなければ目だってクルクル回りだすのが常というもの。
それと言うのも、前のウペペ村を出たのが五日前の太陽が昇る頃という早朝であり、そこから目的地である高地の山村であるニペソ村までは街道を沿って行けば二日もかからないはずだったのが、途中で道に迷ったお婆さんを見つけてしまってから道程に大きなずれが生まれてしまったのである。
『ちょっと道行くお嬢さん。ウペペ村まで案内しちゃくれないかい?』
ウペペ村から二時間ほどかけて進んだ頃にそのお婆さんと遭遇したルチルは――しかし。
『道に迷ったお婆さん。いいよ。あたしが村まで一緒に行くよ』
と笑顔で引き受け。
次いでは。
『罠に掛かったイノシシが逃げ出したぞー』
『気を付けろ。手負いだぞー』
今度こそとウペペ村から四時間進んだところでこんな声が聞こえてきて――だから。
『いやー、あたしが何したのよー』
とイノシシに追いかけられて森の奥深くへと逃げ込み。
最終的には。
『ひっく……うぇっく、ココドコー』
と広大な森の中で遭難して右往左往している間に猿にからかわれたり、熊に遭遇したり、古めかしいお社の一部を破壊したり、持っていた食料が無くなったりして、今に至っている。
一言でまとめれば、ルチル・ハーバーグは『運の悪いお人よし』だった。
イノシシに追いかけられたこともそうだが、もし、最初のお婆さんを村まで案内していなければ、あるいは案内したとしても一緒に村へ戻っていなければ、いや、そもそもお婆さんに遭遇していなければ五日間も森の中をさ迷い歩くことはなかった。予定通り三日前、遅くとも二日前には目的の村に到着していただろうし、こんなに腹ペコにならずに済んだはず。
だが、この女の子は運の悪いお人よしであり、その事に自覚のない人間だ。だからルチルは、お腹が減っている事に泣き言を言っても、自分の運の悪さや出会ったお婆さんに腹を立てる事はない良い子だった。
暮れなずむ空へと響く盛大な腹の虫のコーラスを奏でながら、よたよたヘロヘロと街道を進んでいくルチル・ハーバーグ。数日間の野宿で体のあちこちに汚れを付けながら歩く姿は、空腹の所為も相まって、墓穴から這い出てきた死人の様にも見えるほどだ。
「あと、少し。あと少しで、手に入るのに……」
そのとき、ふらついた足が少し大きめの石に躓いた。大きなリュックに押しつぶされる格好でルチル・ハーバーグは転ぶ。
「ゎ、わわわ、わぁ――みぎゅっ! ………………あぅ」
普通なら転んだあとには起き上がろうとするのが人間だが、ルチルは一向に起き上がることはなかった。ただ力なく伸ばされる腕と、かすれた声だけがニペソ村へと向かっていく。
「……ぎゅ、にう。おい、し、伝……つの………………」
闇に飲み込まれていくルチルの思い。
果たせなかった、たった一つの夢を胸に抱いたまま。
ルチル・ハーバーグは夢の途上で力尽きるのだった。
次回 「 言い伝え 」