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扉を開けるとそこには

秘するが、

 兄は愛すべき妹が自分のことを不安げに見上げていることを、しっかりと自覚していた。

 なぜ彼女がそうして、そうせざるをえないかも、彼にしては珍しく察しよく気付くことが出来ていた。


「さあ! さあさあ! さあさあさあ!」


 そんな兄妹の暗黙の分かち合いなどまったく気付く術もなく、キンシは一人だけハイテンションにそのぼろきれのごとき物体へ最後のもうひと踏ん張りといわんばかりに駆け出そうとして。


「待たんかい」


 メイの兄であるルーフに、いたって平坦な声音で呼び止められた。


「は………い?」


 キンシは振り返ると同時に自分の身に降りかかろうとしている意識を、つまりはルーフの無表情な顔面をそれこそ触れてしまいそうなほどの距離で味わい。


 ビシリッ!


 有無を言う暇すらも与えられず、自らの額に少年お得意のデコピンを食らわせられた。


「痛い?」


 少年による突然の凶行に何の見覚えもないキンシは崖の上で数歩後ずさりをして、ヒリリとする皮膚を撫で付けながら彼を睨み付ける。


「重ね重ね酷いな貴方は? いきなり何すんですかっ」


「それはこっちが言いたいくらいだこのヤロー馬鹿ヤロー」


 ルーフは自分のうちで荒れ狂う動揺を抑えんがために、必死めいた心持ちで何とか言葉を口から吐き出す。


「あんな………、今からあそこに行けってか?」


 あまりそっちのほうを見ようとせず、しかし歩く方向的にどうしてもしやに入り込んでしまうその廃墟? をルーフはぞんざいに指差した。


「あの、台風一発で跡形のなく消滅しそうな、あのボロ屋に?」


 少年から追及されているキンシはいたって自信満々に同意としての頷きを繰り返す。


「はいそうです、あの大雨で屋根にたまった水でぺしゃんこになってしまいそうな、あの素敵な一軒家へとこれからいろいろ世話を頼もうと思いまして」


 魔法使いからの供述により、あの廃墟が自分にだけ打ち滅ぼされたかのような格好にしか見えていない、なんていう素敵ににファンタジックな展開はとりあえず否定される。


 そしてその事実がよりルーフの焦燥感じみた困惑をより確固なるものにした。


「何であんな………、あんな感じの、すごそうなとこに行かなくちゃなんねえんだよ」


 とりあえず、落ち着こう。


 こんなところまで着ておいて感情を高ぶらせている場合ではないと判断したルーフは、なるべく好意的な言葉を選んで魔法使いに事情説明を求める。


「何でもどうしても」


 もっともこの魔法使いに、彼の心理戦が伝わったかどうかはとても怪しいところだが。


「そんな格好で家に入られたら、申し訳ありませんがこちらとしてはちょっとばかし………」


 キンシはなぜか自分が申し訳なさそうにして、ぎこちなく兄弟の姿に視線を這わせる。


 ルーフが怪訝に思っていると、


「ほら、」


 またしても妹が彼に助け舟を寄こしてくれる。


「お兄さま、私のかっこうを見てください」


 ルーフは妹の言うままにする。


「ああ、なるほど………」


 そして魔法使いが言いたいことを理解し、小さく納得した。


「汗まみれっつーか、血まみれっつーか………」


 今の今までどうして気付けなかったのか、ほとほと疑問に思えてしまう。

 自分たちの格好は怪物に襲われ喰らわれた影響によって、見るに絶えない惨状になっていたのだ。


「確かにこれはヒデーな、急いで何とかしないと……」


「ですから、あそこなら大丈夫なんですって」


 ごく当たり前のこととして、兄妹と負けないくらい衣服に体液を付着させているキンシがここぞとばかりに兄のほうを言い包めようとする。


「さすがにこの人数のお風呂の世話は、家では少し難しいと思われますし。それに───」


 そこでいったん言葉を止め、このなかでは一番体液の被害が悲惨なことになっているメイのほうに視線を差し向ける。


「あのお店にはメイさんと同じ技術が使える、信頼の置ける方が働いています。ですからそんなに怯えないで、どうか安心してください」


 そう言うが否やキンシは赤黒い体液まみれの手で、同じく液体に濡れそぼつ少年の手をやや強引に引っ張る。


「あ、おい、ちょ!」


 ずりずりと強い腕力で引きずられ、最早少年は逆らいようもなく為すがままに崖の上のぼろぼろな店へと距離を詰めた。


「おい………! 勝手に」


 彼の反論も聞かず、キンシは


「お邪魔しまーす! やってますかー?」


 いかにもこなれた声色で、一切のためらいも躊躇もなくその店とやらの扉を横に引く。


 ガラガラと、ガラガラと。

 故郷の家と同じ、いまどきの住宅ではあまり見られない、鉄柵とガラスによって構成されている引き戸。


 建物そのものと同じくボロボロで、ちょっと突いただけで粉々に砕け散り、海風に溶けてしまいそうな。

 そんな不安定な扉の先。


 そこには。


「………、………はい?」


 なんとも優しげなウイスキー色の照明。

 明かりを反射する、百回でも二百回でもジャンプ出来そうな頼りがいのある深い茶色のフローリング。


 どうしようもなく居心地が良さそうな。

 それはそれは素敵な、それこそファンタジーの世界にこそ存在が許されそうな。

 木造を基本とした立派な建築物の内装が広々と広がっていたのだ。


 何処かで小麦の焼ける、喜ばしい薫香が漂ってくる。

 

 ぐうう、ぐるる。

 

 視覚が現実を受け入れるより先に、少年の嗅覚がその瞬間まで忘れ去っていた生物的本能を呼び覚ました。

花になるとは限らない。

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