ワンパンで沈む雑魚の気持ちを三十文字以内で説明せよ
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倒れこんでくるキンシを体を抱き留めた。
モアの身体が描く影が、黒く濡れたアスファルトのへこみに生まれた水溜まりに描かれる影を動かしている。
「大丈夫かい? キンシ君」
事情をすべて確認するよりも先に、モアはキンシの体のことを単純に心配している。
「す、すす……! すみません……っ!」
キンシは自分の状況を理解するよりも先に、モアに対する申しわけなさを胸の内に増幅させていた。
「いや、あやまる必要はないよ」
慌てて体を起こそうとするキンシの肉体を、モアは若干強引なる力で自らの腕の中に抱き留めようとしている。
「おそらく魔力を一気に消費しすぎたんだろう。急性の貧血みたいなものだ、油断してはならない」
魔法使いの少女の肉体。
脂肪の気配をほとんど感じさせない、健康な十二歳と扱うにしてはいくらか体重が軽すぎるように思われる。
そんな魔法少女の体を腕の中に、モアは彼女を心配する素振りを作ってみせている。
「このくらいなら……僕だけでも、……少し休憩さえすれば、すぐに元通りに……」
キンシが遠慮のなかでモアの腕の中から離れようとしている。
だがそれは上手くいかなかった。
キンシの体を、モアは思いのほか強い拘束力によって抱きしめ続けていたからだった。
「も、モアさん?」
抵抗力を感じ取った、キンシが怪しむようにモアの顔を見上げている。
自分よりも数センチほど背の高い彼女は、キンシと比べるとその健康の具合が段違いのようだった。
「僕はもう……大丈夫ですよ?」
キンシはモアの顔を見上げている。
抱きしめられていると、彼女のポニーテールにまとめた明るい金髪の、もみあげの後れ毛がサラサラと耳の先端を刺激してきている。
キンシの耳。
子猫のような、黒色の柔らかな体毛に包まれている聴覚器官。
それがピクピクと、岸上にうちあげられた新鮮な小魚のように震えている。
まほうつかいの少女の耳の震え。
小さな動きをモアは自らの毛髪の毛先から、無数に植わっている毛根を通じて頭皮に感じ取っている。
「まあまあ、そんな遠慮することも無いよ、キンシ君」
モアはキンシを抱きしめながら、魔法少女の柔らかな毛髪を頭部に生えている二揃いの耳ごと撫でつけている。
「あたしの腕の一つや二つ、いくらでも貸してあげるからさ」
気前の良さそうなことを言っている。
「そ、そうですか……?」
よしよし、よしよし。
「ほ……ほわわ……!」
モアの指使いはほっそりと優美で、まるで羽毛の先端でくすぐられているかのような感覚を持つ。
かと思えば超一流の指圧師の御業のように、疲労感を覚えている肉体の部分、皮膚の下の神経に直接働きかけるツボを抑え込んでくる。
「どう? 気持ちいい……?」
感動を覚えている。
キンシの心を読み取るかのように、モアは魔法少女の耳元にそっと囁きかけていた。
何かしらの水分をたっぷりと吸い取った白色の衛生用紙のような、蠱惑的な湿り気を帯びたモアの声音。
「え、えと……その……」
「ほら、我慢しないで、声を出してもいいのよ?」
いつも通りの、性別を感じさせない語り口から、モアはあからさまに意識的に女性的な口調を使用している。
「ほうら、かわいいコ……よしよし、よしよし」
「う、うううー?」
と、モアの繊細な指使いにキンシはついつい喉の辺りを「んるる」、と鳴らしそうになっている。
少女たちが慣れ合っている。
「ちょっと、キンシちゃん」
やりとりを見ていた、メイがキンシに向けて注意をなげかけていた。
「なかよしこよしをしている最中わるいけれど、そろそろ離れてくれないと──」
一体全体、何が起きるというのだろうか?
キンシがメイに答えを求めようとした。
だがそれよりも先に、魔法使いの少女の体を強引に引き寄せる腕の姿が現れていた。
「トゥーイさん?」
重力の向かう先がモアの腕からトゥーイの方に移ろうとしていた。
自分の体が移動させられている、感覚のなかでキンシがトゥーイのことを不思議そうに見上げていた。
「…………」
トゥーイは、相変わらずいつものように唇をジッと閉じたまま、顔面には無表情が……──。
──……いや、そこにはあからさまに不機嫌な様子が見てとれた。
「…………」
トゥーイは眉間に深くしわを寄せている。
顔全体を駆使して、この魔法使いの青年はモアに対する不満をありありと表現しまくっていた。
「…………グルルルル……!」
一見して沈黙を保っているように見える。
しかしながら少しでも青年へ意識を向けた途端、彼の肉体から獣が発する威嚇音のような、地に響く唸り声を聞き取ることが出来た。
クッパリと口を開く。
トゥーイの歯が剥き出しになる。
大きな犬歯が目立つ、歯の白さは彼の頭髪と負けず劣らずの白き輝きを放っていた。
「おやおや」
イヌ科の獣人族である青年の攻撃的意識を身に受けた。
モアは、その微笑みの気配をより一層濃いものにしている。
「怖いねえ。見てごらんよ、キンシ君」
腕の中が空になってしまった。
空白さえも、この古城の主である彼女にとっては、世の中に沢山ひそむ愉快な出来事の一つでしか無いようだった。




