幸せだった恋の夢と胎児は時計の針と対峙する
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魔力の要素の一つである、「水」と呼ばれる存在。
液体にとてもよく類似している、それらの集合体がシイニの体内に吸収された。
「さあ! さあさあ! 残った結晶体を早いところ安定させるんですよ、キンシ氏」
シイニに指示のようなものをだされた。
キンシが細くて小さな肩をビクリ、と震わせている。
「は、はいっ?!」
言葉の意味を理解するよりも先に、キンシは先んじて体を動かしていた。
左手に銀色の槍を構える。
魔法の武器を準備する。
腕を動かしている。
その視線の先にて、キンシはシイニが慌てている理由を視界の中に確認している。
「ああ、怪物さんの魔力が……!」
「水」の檻をという限定された空間、領域を失った。
怪物のウロコに付着していた魔力が空中をさまよっていた。
何も無い場所、虚空をさまようそれらは透き通った水に水彩画用の絵の具を垂らし込んだかのような、妖しく美しい揺らめきを描いている。
色の塊の数。
それらは十をゆうに超える。
……もしかすると五十を飛んで百まで至る程の密集が発生している。
雨が降る気配の前、小さな羽虫たちが群れを成してひと塊に飛ぶ。
蚋の群れのような、規則性を持ちながら自由さをおおいに謳歌する。
魔力たちの揺れ、動きはまるでこの世界をキャンバスとした繊細な点描のようでもあった。
「たいへん、はやくつかまえないと逃げちゃうわよ」
美しさに見とれるひまもなく、メイはあくまでも実用的なことだけを心配している。
せっかく収集した魔力、こんなとこで無駄にするわけにはいかなかった。
「ほらほら! 花虫さんたちにも食べられちゃうわよ」
メイの言う通りだった。
花虫と呼ばれる羽虫のように小さい怪物が、解放されたばかりの新鮮な魔力に早速と、ぷんぷんと群がってきている。
「もちろん、分かっておりますよ、メイお嬢さん」
言われるまでもなく、キンシは槍の先端、銀色に輝く穂先を色たちの群れ群れに定めている。
「吸収、および保護と記録を開始します!」
キンシが丁寧に、これから行う魔法的な行為を言葉の上に宣言している。
わざわざそうする必要があった。
そうしないと、この未熟で愚かなる魔法少女は魔法を上手く使うことを困難なのであった。
ともあれキンシの手にしている魔法の武器。
万年筆の先端のように繊細に尖り、同時に岩石の切り立った崖のように雄弁な穂先に輝きが走っている。
もしもこの土地、灰笛およびこの世界の全てに青空が許されていたとしたら。
だとしたら、銀色の槍の輝きはより一層キラキラと、美しくきらめいたことだろう。
だがそんな想像はただの空虚な願望でしかなかった。
そもそも、武器の持ち主であるキンシ本人がその状態を望んではいなかった。
この魔法使いの少女は、生まれてこのかたほとんど青空を見たことが無かった。
「せーのっ。ぎゅういいーん!」
なんとも緊張感のない掛け声の後に、キンシは槍を握る両手、とりわけ剥き出しになったままの左手に意識をめぐらせている。
光は、今回の場合は明滅をしなかった。
うまれるべき光は、いまは全て手の平の中にある銀色の槍に吸収されていた。
魔力を吸収するための機構、機能、それもまたこの魔法の武器に与えられた役割の一つでもあった。
しゅるるん、しゅるるん、しゅるるん。
柔らかな色たち。
鮮やかな赤、目覚ましい青、華やぐ黄色たち。
それらがキンシの槍の先端に集合し、密集の後に吸収されていっている。
色は大量にあった。
なにせ持ち主であった怪物の肉体そのものがかなりの巨体であった。
それにつき、体表を覆うウロコの数も数えるのが疎まれるほどの数を有している。
「ううう……。これはかなり、お時間がかかってしまいそうですよ」
キンシが不安げに呟いている。
両手に握りしめている。
槍の感触から重さにいたるまで、キンシは恐ろしき人喰い怪物がかつて有していた魔力の多量さを実感させられていた。
「あれだけの巨体だったからね」
早くも気おくれをし始めているキンシに、モアが微笑みを差し向けている。
「ウロコのそれぞれに、およそ人間約一名、一日分の魔力が含まれていたようだね」
「なんだかまるで……サプリメントの宣伝文句みたいですね」
キンシは銀色の万年筆のような槍を構えながら、自らの右側にたたずむ少女の声に耳をかたむけている。
「吸収中にあれだけれど、キンシ君」
「……なんですか?」
作業中に話しかけられている。
キンシは割かし分かりやすく憂いを抱いている。
魔法使いの少女の気分の沈み具合。
モアが、この灰笛という名の地方都市の中心に座する古城という名前の組織。
その主人に位置する彼女が、よもや魔法少女一人の気分の浮き沈みに気付かないはずはなかった。
……と、思われる。
不確かな感覚になってしまうのは、ひとえにモアが一切合財、まるで遠慮をしないからであった。
「それはそれとして、キンシ君はこの世界に生息する人間が一日に消費する魔力量を意識したことはあるかい?」
「……いいえ、ありません」
「それはいけない! 魔法使いたるもの、常に世界の事柄に意識を向けていないと、流行に取り残されてしまうよ? ねえ、ナナキ・キンシ君よ」
「……はあ」
フルネームで呼ばれる。
そのことに、キンシは得体の知れない感覚を抱いていた。




