自由すぎるマッピングに浸ける
ご覧になってくださり、ありがとうございます。
鏡が無いので仕方がない。
分からないことは、とりあえず分からないままにしておく。
だとしても、ルーフは帳簿の表面から探し当てた魔力のひとかけらに強く集中をせずにはいられないでいた。
「…………」
紙でできた水面に浮かぶ、魔力の粒はキラキラときらめいている。
かけらは瑠璃のような輝きと色彩をもっていた。
小さく在れども、濃厚で濃密なる藍色を有する。
「…………」
ルーフは唇を閉じたまま、無言の中で魔力のかけらに触れようとしていた。
「おや、触ろうとしてますよ。いいんですか、宝石店の店員さん的に、これは大丈夫なんでしょうか?」
魔法使いの少年の行動を見ていた、ハリがマヤに向けて密やかに確認をしている。
「ううーん? 良いか悪いかで言ったら、あまりよろしくはないけどねー?」
マヤの言葉を聞いた、ハリは頭部に生えている黒猫のような聴覚器官をピクリ、と動かしている。
「ですって、ルーフ君。あまりヘタなことは……」
しない方がいい。
おそらく黒猫のような魔法使いは、自分と同じ魔法使いであるルーフにそう、忠告したかったのかもしれない。
しかしながら、黒猫の魔法使いの言葉は、魔法使いの少年の元に届けられることは無かった。
「……うわッ?!」
忠告を受け取ると同時、あるいはそれよりも先に、ルーフの指先は魔力のかけらに触れてしまっていた。
接触をした、その瞬間に魔力のかけらからルーフの意識にひとつのイメージが送信されてきた。
…………
「……ぼうや、ぼうや。きこえるかい?」
ルーフはそれに返事をしようとした。
しかし言葉は発せられなかった。
声を出すことが出来なかった、声帯がまだ完成しきっていないのである。
代わりに発せられるのは、透明な泡ばかりであった。
ごぽごぽ、ごぽごぽ。
…………
「ルーフ君?!」
左の頬に強い衝撃が走る。
誰かの指が自分の頬の肉を圧迫している、ルーフはその感覚に目覚めさせられていた。
「どうしたんですか、いきなり硬直しちゃって」
左の頬に伝わった感触から、ルーフはハリの姿を空間の中に検索している。
見れば、ハリはルーフのことを何かしら、異物を見つけ出したかのような視線で見つめているのが確認できた。
「いや、なんつうか……」
ルーフは言葉を、自分の状況を他者に説明するための言葉を考えようとした。
「……その、……えーっと」
だが考えようとした事柄の大体が、確かな形を得るよりも先に無意識の暗闇へと滑り落ちていく。
上手く言葉が考えられない。
イメージは確かにあるはずなのに、どうしてか、それをすくい上げようとする手の平の隙間から遠慮も無く形が崩れて落ちていく。
水を手の平ですくっても、隙間から絶え間なく雫がこぼれ落ちていくように、やがて残されるのは容赦のない空白ばかりであった。
いましがた自分が経験した感覚を、一体どのようにして伝えるべきなのか?
ルーフはその答えを見つけられないでいる。
「ほらほらー。安易に触れようとするから、向こうさんが保持するイメージにひっぱられちゃったんでしょー?」
ありがたいことに、ルーフが経験したばかりの現象について、マヤがある程度の概略を語ってくれていた。
「この魔力を本体から切りとって、この帳簿に保存したとき……。そのときの、魔力が抱いたイメージが脳みそに伝達されたってカンジー?」
マヤは一応ながら宝石店の店員としての、専門的な観点から今のルーフの状況を予測している。
宝石店の店員からのおしはかりは、おおよそにおいて正解と言えるものだと考えられた。
「誰か……ほかの誰かに呼ばれたような……そんな気がした……」
呼吸を整え、なんとかして見えたものを伝えようとする。
だが、とルーフはぽっかりと開いた唇の隙間で考える。
見えた、と言ってもそれは言葉における表現の一つでしかない。
実像があるわけではなかった。
と言うのは、ルーフ以外のこの場所、アトリエにいる他の人間の様子からおおむね推し量ることができた。
見えたのは、どうやら自分の思考だけ限定されているものであるらしかった。
「呼ばれたって、誰にですか?」
魔法使いの少年が語る内容に対して、ハリが推測のようなものを向けてきている。
「マヤさん、この人のことを呼びましたか?」
「いや、いーや? オレは呼んでないっスよ?」
ハリに問いかけられた、マヤはすぐに否定の意味を主張している。
「そこのレディー二人は、カハヅ・ルーフ君のことを呼んだかなー?」
マヤに問いかけられた。
「いいえ、うちは呼んでないで」
「アタシもー呼んでないよー」
ミナモとエリーゼが返事をしている。
女二人の声を聞きながら、ルーフはいよいよ自らの見たモノに対する不可解さを深めていった。
「それで、ルーフ君、その呼び声は誰のものだったんですか?」
ハリがルーフに問いかけている。
答えは、しかしながらルーフにも答えられそうになかった。
「誰か……。俺以外の、他の誰か、……としか、言えそうにねえな」
およそ回答とも呼べそうにない、あいまいな内容しか伝えられない。
ルーフは自分の言葉の不足に、ただただ打ちのめされていた。




