観光名所は泥の河の中
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マヤの指につまみ取られた、宝石の一粒は洗練された輝きを小さく放ち続けている。
「ともかく、この帳簿には今までウチの店の世話になった魔導の方々の記録が記されているってワケー」
マヤはモノクルの下の右目、まぶたをゆっくりとまばたかせている。
宝石店の店員である彼の意識に反応して、帳簿の上に並べられていた宝石の粒たちが再び水面、紙の表面に吸い込まれていった。
「とりあえず、だよ? この帳簿に記録するための魔力の生成を、その保存液にもお願いしたいトコロなんだよー」
「ようやく保存液の目的を開示、ですか」
前置きが長くなってしまった。
ハリがそのことを軽くなじろうとしている。
だがマヤの方は、そのことなどまるでお構いなしと言った様子で、自分側の話を続行させるだけであった。
「なに、なに、難しいことなんてなにもございませんよ。その預けた保存液としばらく仲良く過ごしてくれさえいれば、自然と液体が君の魔力と反応して、その形質をほぼ完全なる自動のなかで変化させてくれるんだー」
「へえ……?」
つらつらと語るマヤの言葉を耳に受け止める。
彼の言葉を聞きながら、ルーフは右手の中に保存液を詰め込んだ小瓶を眺めている。
「そんなおもしろ機能が、この水……「水」? にあるなんてな」
ルーフは「水」の部分を意識的に発音している。
そうすることで、魔法使いの少年は少しでも多く、たくさん、魔法使いとしての自覚を演出しようとしていた。
「しかしながら、いきなり記録に値する基準を満たすなんて、やはり中々に、油断ならないルーキーですね、ルーフ君は」
だがルーフの抱いたそれは所詮、初心者としての新鮮味に過ぎないものだった。
空虚な満足感に胸を満たそうとしている。
ルーフは、ガラス瓶の内部に詰められた「水」、保存液を指先でユラユラと揺らめかせている。
「……ん?」
そうしていると、ふと、甘い匂いが魔法使いの少年の鼻腔をくすぐっていた。
それはどうやら、帳簿のページから香ってきているものであるらしかった。
「くんくん……」
「んん? どうしましたか、ルーフ君?」
ルーフは唐突に嗅覚を作動させている。
魔法使いの少年の挙動に、同じ魔法使いであるハリが訝しむようにしていた。
ハリが頭部に生えている黒猫のような聴覚器官をピクリ、と動かしている。
黒猫のような魔法使いが怪しんでいる。
だが、それに構うことなく、ルーフは己の嗅覚に導かれるままに顎を動かしていた。
「なにか……何か気になる匂いが……?」
ルーフは椅子の上から体を動かそうとしている。
と、その所で自身の体を支えるべき存在が欠落していること、そのことを少年は思い知らされていた。
「んぎゃー?!」
頼るべき重力を失っている。
ルーフは自分の右足の根元、身に着けている義足がスルン、と肉体から外れていく感覚を落下の途中で感じ取っていた。
「ルーフ君?!」
まさか立ち上がるとは思ってもみなかった。
ハリが驚くと同時に、咄嗟にルーフの体を腕で抱え込むように支えている。
「どうした、どうしたー?」
魔法使いたちがすったもんだをしている。
その様子をアトリエの作業机の上から眺めていた、マヤが少し目を丸くしているのが、ルーフの揺れる視界のなかで確認することが出来た。
「忘れてた! 忘れてたっての、コンチクショー!!」
ルーフは自分の失敗、失態を誤魔化すようにしている。
「右足がいま自由に使えないのに、どうして無理に立とうとしたんですか!」
はぐらかしたいルーフの心情などお構い無しに、ハリが少年のミステイクを追求してきている。
「いや……だって匂いが……!」
行動の理由を明記しようとした。
しっかりと言葉に変換しようとした。
「だから……その……ッ」
だが、そうしようとすればする程に、ルーフは自らの思考が羞恥心に占領されていくような気がした。
恥ずかしさが思考の隅から隅まで、湯飲みの内側に適温の湯でも注ぎ入れたかのように満たされていく。
「俺は……俺は……ッ!」
「とりあえず、ハリさんー」
弁明をしようとして、ただ口籠ることしか出来ないでいる。
そんなルーフに、作業机の上からマヤが提案をしてきていた。
「床の上に転がったままだと可哀想だから、起こしてさしあげた方がよろしいんじゃないかなー?」
マヤは思いやりをパンケーキの上に注ぐハチミツのように、やんわりとした語調を意識しているようだった。
へりくだった口調を意識していながら、しかしてこの場合における確実かつ的確なアドバイスだけを行う。
「そ、そうだな……頼む……」
マヤの提案をルーフは受け入れている。
口調こそ受動的な態度を作ってはいるものの、結局のところは他人、他の誰かに頼ることしか出来ないでいる。
そのことに、今更ながらルーフは悲しさ、惨めさを覚えずにはいられないでいる。
「そんなに落ち込むことないよーカハヅ・ルーフくーん」
魔法少年の気分の落ち込みを察したのか、マヤが作業机から体を動かしながら言葉を連続的に繋いでいる。




