睨まれる頭頂部
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それは例えば掃除が行き届いているかどうかが、無知なるルーフにも分かりやすい基準の一つであった。
故郷の実家、地下室にある研究室はお世辞にも清潔とは言い難い空間だった。
壁の隅やら家具、道具類の全ての裏側や陰にはもれなく埃が溜まり、少しでも定位置から動かしたなら、綿のような汚い灰色が空気中に舞い散っていた。
人の、人間という存在を可能な限り希薄なものにさせる。
誰かが暮らしている気配をほとんど感じさせない。
その点においてはあの……祖父の研究室は、人に棄てられた廃屋と大して変わらない、もしかしたら同等の意味しか許されていなかったのかもしれない。
その一方、現在においてルーフが存在しているこのアトリエには、しっかりと人間の気配が感じられた。 年月の経過による摩耗こそ研究室とは似通っているが、それでもアトリエには端々に人間が、所有者であるコホリコ家たちの意識が感じられる。
それは例えば、ルーフにも分かりやすく見えているのはガラス瓶の数々であった。
透明なガラスの内側、保存液に満たされた中身に魔力鉱物を詰め込んでいる。
密封された内部の液体はいくらか風化して、元の透明さから琥珀色に変色している。
とは言うものの、その表面のどれもが清潔に磨きこまれていた。
「それじゃあ、この宝石さんをセットの中に包んでおきますねーミナモの姉御ぉー」
研究室とアトリエ、ルーフがひとり過去と現在の狭間で意識を漂わせている。
そうしている間にも、宝石店の店員であるマヤはしっかりと己の仕事をこなしていた。
「合計で六つになりますねー」
マヤはごくごく単純な計算をしている。
作業机の上に並べられているのは、それぞれの内側に一つ魔力鉱物を収めたガラス瓶。
丁寧に、慎重に保存されているそれらは、マヤが計算した通り六つ確認することが出来た。
「他には? ご不備などはございますでしょうかー?」
客人からの要求に不足が無いよう、マヤは重ねての確認行為をミナモに伝えている。
「そうね、うん、大丈夫よ」
宝石店の店員である彼に、ミナモは要求が満たされたことを簡単に伝えている。
客人である彼女の返答を得た、マヤはさっそくと右手で右目に装着しているモノクルを操作している。
「えーっと? 水晶の塊が一点に……──」
作業机の上に並べられた宝石たちを一つずつ見ながら、マヤは右目のモノクルの小さな歯車をチキチキと操作している。
モノクルの小さなレンズが、かすかに魔力の気配を明滅させている。
マヤの魔力をひとつの動力として、モノクルは持ち主である彼の操作に従い、宝石たちの価値を計算していた。
「えー、合計……三万八千六百三十五今でっすねー」
「うぎッ?! 三万八千六百三十五今ッ?!」
今というのはこの国の通貨の名前である。
ルーフにとっても聞き慣れている通貨の中で、およそ生活に身近とは言えない価格に、ルーフはとっさに恐れおののいていた。
少なくとも魔法使いの少年にとっては、その値段は安い物とはとても呼べそうにない。
「はいはい、そのぐらいやね」
だがミナモは特に動揺をすることも無く、マヤから提案された金額を受け入れていた。
……いや、この表現は少し語弊がある。
瓶詰めの魔力鉱物に価値を下しているのは、マヤ本人ではなく彼の身に着けているモノクル、すなわちこのアトリエの一部分であった。
「ずいぶんと、安上がりで済んだんやね」
ミナモがマヤの方に語りかけている。
言葉の方向は彼に向けてと言うより、右目のモノクルを通じてこのアトリエ全体に問いかけているようだった。
「なあに? 割引セールでもやっているんかしら、ねえ、管理人さん?」
「管理人」と呼ばれた。
「モチのロンよー♪」
アトリエと同化する使役種、比較的人間に友好的な人喰い怪物の声が聞こえる。
アナウンスをしている。
声は騒がしい幼子か、姦しい女の群れのようにも聞こえる。
「お支払いをお願いー♪」
アトリエの管理者であるそれは、童謡でも歌うような声色でミナモに要求をしている。
口調こそ軽い様子を見せてはいる。
だが、ルーフはどこか胸の内に誤魔化しきれない無機質さを覚えていた。
「支払いはお早くねー♪」
アトリエのどこか、おそらく限りなく異世界に近しい材質を持つ空間。
そこから使役種は、アトリエ内に訪れた、そして中身の魔力鉱物を得ようとする人間に指示を出している。
……いや、これではあまりにも楽観的視点が過ぎている。
ルーフはすぐに己の思考を改める。
これは命令だ。
明確な答えはすぐに導き出されていた。
ルーフは小さく恐怖する。
もしもここで、金を支払うことに逆らったら何をされるのだろうか。
ルーフは色々と想像する。
世間体やら社会的な損失よりも、このアトリエはもっと単純かつ簡単、簡素な害を人間にもたらすような気がして、しかたがなかった。
やり取り、会話に参加していないルーフはそれとなく視線を上に向ける。
自らの上空、果ての見えないアトリエの天井。
異世界と繋がり合っている、らしい、空間が今この瞬間に、人喰い怪物の底無しの胃袋のように見えていた。




