海原で巨人が夢を見て飲んだくれているよ
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…………。
ルーフの頭の中にて、祖父の言葉が再生され続けている。
「えーっと? どこまで話したかな?
あ、そうだ、キャビネットの中身について、だね。
重ねて言うようだけど、ルーフ、あのキャビネットの中身に勝手に触っちゃいけないよ。
……いや、キャビネットに限定されず、地下の研究室に勝手に入ること自体、あまりよろしくないことなんだが……。
ア……じゃなくて、メイに、妹に会いたい気持ちは充分に分かるが。
……と、これ以上長話をするわけにはいかないな。
ああ、ほら、ルーフ、君のことを呼ぶ声が聞こえる……」
…………。
それは確かに頭の中、脳内、空想、想像の中の言葉であるはずだった。
にもかかわらず、祖父の言葉は時として虚構と現実の垣根を越えて、ルーフの肉体に直接なる影響を与えることがあった。
「ルーフ君」
名前を呼ばれた。
だがルーフは声の正体を把握できないままでいる。
「ルーフ君?」
他人行儀としての呼び名を使っている。
その声が誰の喉によるものなのか。
男なのか、女なのか、大人なのか、子供なのかさえ判別することが出来ないでいる。
「ルーフ君!」
だから、実際に存在する手の平がルーフの肩に強く触れていることを、ルーフは予想外の攻撃のように受け止めることしか出来ないでいる。
「うわッ?!」
実際の話、ルーフの肩に触れた右手はほとんど蠅でも叩き落すかのような、そんな勢いがあった。
「どうしちゃったのよー、いきなりボーっとしはじめて」
声をかけていたのはエリーゼの姿だった。
アトリエの作業机の近くに備え付けられている椅子の上に座る、ルーフから見て右側のあたり。
椅子の上で石のように静かに、泥のように柔らかく動きを止めていた、ルーフのことをエリーゼは不思議そうに眺めている。
「あ、もしかしてー思春期の少年によくある、特有の白日夢ってやつー? やだあー青春!」
「別にそんなんじゃ……。っていうか、それのどこに青春要素があるんだよ……?」
ルーフはツッコミを入れようとした。
しかしていま発する言葉の全てが、夢うつつに対する苦しめの言い訳のように思われて仕方がなかった。
「いや、ちょっとあまりよろしくない思い出を、思い返していただけだ……」
ルーフは簡単に理由を話している。
魔法使いの少年が理由を語る。
その間に、ミナモとマヤは取引をあらかた終わらせているらしかった。
「うーん、これだけあれば、あの人たちの要求に答えられるかしらねえ」
ミナモは、「あの人たち」の部分を意識的に丁寧に発音しながら、作業机の上に並べられた物品たちに目線を巡らせている。
ミナモが見ている。
アトリエの作業机の上には、合計五本ほどのガラス瓶が並べられている。
宝石店の店員であるマヤの手によって整列させられている。
ガラス瓶の中身には、魔力を含んだ宝石、魔力鉱物がひと塊ずつ詰め込まれている。
魔力鉱物はルーフの、つまりは十代半ばに差し掛かるかどうかの、ガキの未熟なる握り拳程度の大きさをもっている。
元からその大きさしかないのだろうか。
あるいは、もしかしたら本来もっと大きな結晶体で、そこからアイスピックなり何なりを使って削り出したモノになるのか。
「なあ」
ルーフは呼ぶ。
だがそれは他の誰かを対象とした呼びかけというよりかは、もっと個人的、己の内層に潜む秘密に触れようとする言葉だった。
自分の、自分のためだけの言葉。
己の内側。
本来ならば、本当ならば、常識的範囲において秘するべき内容。
皮膚の下に潜む桃色の肉に、肌の色や硬さやしわの数など関係ないように、中身は決してさらけ出すものではなかった。
「宝石が……人造宝石が、怪物の肉から造られるものなら……」
「うんうん」
心の底、といっても本心ほど純粋なものでもない。
豚カツをあげた後の脂に沈むパン粉のカスのように、漂う言葉にはさして重要な意味など無かった。
そんな魔法使いの少年の言葉を聞いているのは、少年の右側にヒマそうにたたずむエリーゼの姿であった。
「肉を削ることになるんだよな? 肉を削って、宝石を生成しているんだから……」
「厳密には違うけれど、まあ、大体そんなカンジよねー」
「じゃあ、肉で作った宝石を削るピックは、肉ピックになるんだよな……」
「はあー?」
「さらに反対にすれば……ピクニック……」
「えい」
ふざけたことを言っている。
ふざけた魔法少年に、若い女魔術師は人差し指を一本、挿入しようとしていた。
ぶすり。
「痛て」
馬鹿馬鹿しい台詞を紡ぐ、舌をエリーゼは右の人差し指で突き刺そうとしていた。
だが当然ながら、女魔術師の指はルーフの頬肉に遮られている。
「ちょ、爪が痛いっての」
彼女のよく手入れされた爪。
ネイルとグロスに艶めく、ささやかな薄ピンクは浜辺に小さく軽く、砂の中に埋まる桜貝のようだった。
「いや、色々あってついに頭がイカれちゃったのかと思ってー」
ルーフに嫌がられている。
ミナモはそれに構うことなく、爪の先端をルーフの右頬に差し入れようとしていた。
女魔術師が舌のぬめりに執着心を抱いている。
関心を持たれている間に、ルーフは急ぎ自分の戯れ言を誤魔化し、取り繕う必要性があった。




