低火力でじっくりと煮込みます
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マヤが声を発している。
「ちょいと失礼の介」
そんなことを言いながら、マヤは自らの作業机を挟んだ真向かいの椅子に座る少年、ルーフの右足に触れていた。
ルーフの右足。
怪物に喰われたことによって、根元近くから爪先にいたる全部を喪失してしまった。
その空白を埋め合わせるために、「古城」と呼ばれる魔術師の機関の一つ、そのトップを務める少女、モアからなかば押し付けられるようにして贈与された義足。
与えられたしばらくの間は何の調整も無く、普通に歩くのに松葉杖の補助を必要としていた。
義足は今、宝石店の店員であるマヤの手で、少なくとも必要最低限の歩行機能を調整されていた。
と、思わしい。
確信が持てないのは、ルーフがまだ実際にきちんと地面の上を重力に従って歩いている訳では無かったからであった。
「地面を歩くよりも先に、空を飛んじまったからな……」
ルーフがそう、ぼやいている。
魔法使いの少年が語っているのは、先ほどの人喰い怪物との戦闘場面についてであった。
「ああ、あれは中々に見事だったよー」
魔法使いの少年が口にした感想に同調するように、マヤは少しだけ過去回想をするような呟きを返している。
「投げやり気味に空を飛ぶことを推奨したけどー、まさか本当に成功するとはオレも思わなかったからさー」
ルーフの右義足の爪先の方を凝視していた、視線がつい、と右斜め上の辺りに移動する。
マヤはアトリエ内の何も無い空間を眺めながら、視線の向こう側に過去に起きた出来事を再生しているようだった。
「まさかホントになんの準備運動も無しに、いきなり本格的な飛行魔術式を展開させるなんてなー。さすが、カハヅ博士のお孫さんは、オレらと比べても頭? 心? カラダの機能からしてデキが違うってカンジー?」
マヤはどうやらルーフのことを賞賛したがっているようだった。
しかしながら、ルーフの方はどうにもこうにも、素直な心持ちで賞賛の言葉を受け取れないでいる。
「別に……そんなことは……」
最初の瞬間こそ、照れ隠しのような反応を見せようとした。
だがすぐに、ルーフは言葉のやり取りの中に含まれた違和感に気付いてしまっていた。
「……ん、待てよ、だったら俺がもしあの時……空を飛べなかったら、どうなってたんだ……?」
恐ろしげな想像を作りだそうとする。
魔法少年の想像力が至るよりも先に、マヤは割かし具体的な過程を語っていた。
「そうなったときは、カハヅ・ルーフ君はまた「古城」さんのお世話になっていたんだろうねー」
主に魔法使いを対象とした治療行為を行っている、機関への入院を直接的に可能性の一つとして組み込んでいた。
「お前……ッ!」
ルーフは宝石店の店員に対して、信じ難いものを見るかのような視線を送らずにはいられないでいた。
飛行魔術を成功させたという前提の続きにある今ならば、その可能性も面白半分に語ることが出来るのかもしれない。
だが、残念ながらルーフは目の前に居る妖精族の若い男のような、楽観的な視点を抱けそうになかった。
魔法使いの少年の視点は、なにも彼一人だけに限定されているものでは無いようだった。
「いやあ、あの時は肝を冷やしましたよ」
ルーフと同じようにネガティブ気味な意見を口にしているのは、ハリの声音であった。
ルーフは椅子の上で首を左側に傾ける。
声が聞こえてきたほうを見やればハリの姿が確認できる。
ルーフと同じ魔法使いであるハリは、頭部に生えている黒猫のような聴覚器官をペタリ、と平たく倒していた。
「あのまま飛行用の魔術式が上手くいかなかったら、おそらくルーフ君の体は三階……いえ、二階ぐらいでしょうか? そのぐらいから落としたスイカのように、ほどほどに元の形をグチャグチャに崩してしまったことでしょう」
「やめろ……! 妙に具体的なイメージを用意するな……!」
ともかく、ハリとマヤにとってはルーフが無事に飛行用の魔術式を展開させたことが、信じ難い僥倖であるらしかった。
「とにもかくにもー」
マヤはモノクルなどの道具に頼らないままで、肉眼でルーフの右義足の爪先を凝視している。
義足の爪先。
そこは話題の上にのぼった飛行用魔術式の負荷に耐え切れず、元のビスクドールのようだった形をドロドロに崩してしまっていた。
「こうして魔法使いのお二人さんに、無事にアトリエ内に侵入した敵性生物……怪物を無力化してくれたおかげで、オレはこうして無事に作業に没頭できるって訳だなー」
マヤはとりたてて深く感謝をする訳では無く、まるで魔法使いが怪物を攻撃することが当たり前のように、事の終わりを客観的に語っていた。
「できれば新鮮な魔力鉱物が採取できれば、もっと良かったんだけどねー」
戦闘が無事に終わったことの余裕からか、マヤは宝石店の店員としてのわがままを気軽な様子で口にしている。
「でも、あんなに小型の個体だと、全体的な収穫はあまり期待できないかー」
魔法使いは、魔法使いなりに懸命に、丁寧に相手を殺したつもりであった。
であるからこそ、宝石店の店員の評価は、若干ながら不等なる意味合いを想起せずにはいられないでいる。




