お叱りはしないで
遅刻いけない
キンシとトゥーイは一人の青年に、激しい視線を向けられていた。彼らは今、集合場所と指定された町の、人けのない道路上に集合している。
といってもいるのはキンシとトゥーイ、そして青年の三人だけなのだが。
「どうしましたかオーギさん、じっと僕たちを見つめて」
キンシは緊迫を紛らわすために笑顔を作る。
顔の皮膚が引きつっているのを感じていた。
オーギと呼ばれた青年も一緒に目を細める。だが瞳に浮かぶ感情は決してキンシに…結局仕事現場には五分ほど遅れてしまったキンシにとって肯定的なものではない。
そう確定できる。
「オーギさん、そんなに見つめられたら僕、恋に落ちちゃいますよ」
「落ちちゃう、じゃねえよこの…」
オーギは一応後輩にあたる子供の、精一杯な言い逃れをきっぱり突っぱねた。
「お前なあ!どーしてこうポコポコ頻繁に遅刻が出来るんだよ?」
「だって…」
キンシは歯を食い縛ってうつむく。
「早朝に起きた彼方の出現かなんかで、電車が一時間遅れたんですよ」
「知るかい、ンなこと」
青年は子供の言い分を受け入れない。
「電車に乗る時は、最低でも30分以上の余裕を持て。それが灰笛で働く上での鉄則だ」
オーギはいつかの昔に、自身に浴びせられた説教を後輩であるキンシに降りかける。
「お前さあ、仕事舐めてんの?」
自分が言われてムカついたことを、今は自分で後輩に叱責している立場にオーギは奇妙な感覚を覚える。
だがその感情はおくびにも出さない。
「舐めてるなんてそんな」
後輩であるキンシは大仰にショックを受けた体を取った。
「仕事を舐めようと思ったことなんて一度たりとも無かったですし、これからも有りません。アイスキャンディーと靴なら幾らでも舐めますけども」
肉のついていない薄っぺらな胸部を、無駄に自信ありげに反らせる幼さの残る後輩を、先輩である青年は苦々しく見下ろす。
そして深々と大きく溜め息をついた。
「………まあ今回はこれ以上、俺からは何も言わない。今日も今日とて相変わらずクソムカつくほど人手が足りないし、案件用件は馬鹿みたいに山積みだからな」
「オーギさん…!」
「ただし」
温情に早速感謝しようとしたキンシの言葉を、オーギは強めの語気で遮る。
「今後これ以上舐め腐った態度をしたら、お前ら二人の素性全部を丸々包み隠さず、上方のご年配共に報告するからな」
キンシの頬がみるみる青ざめるのがはっきりと判る。
オーギは緊張をみなぎらせている子供と、その奥で佇んでいるオーギより年を重ねているように見える男、トゥーイをしっかり見据える。
トゥーイは淡い虹彩で青年をじっと観察していた。睨んでいる、ともとれる視線の鋭さを青年ははっきりと感じ取った。
怯えるな、と青年は自身に言い聞かせた。
「と、いうわけだ」
場の空気、話の流れを転換するつもりで手を叩く。
「説教タイム終わり!さっさと仕事を開始すんぞ」
そう言ってさっさと自身の業務に取り掛かろうとした。
まだ上手く他人を叱ることが出来ない、オーギは喉の奥で言葉を反芻する。
「今日やることは、まあ昨日と同じだ」
オーギは上着から住所の書かれた紙片を取りだし、キンシに手渡す。
「ここの区域の監視、ですね」
冷や汗が乾き切っていないキンシが微笑む。唇の端が不自然に吊り上っていた。
「ああそうだ、ただ…」
青年は自分の仕事道具に足を乗せて移動の準備を始める。箱状の道具が熱と共に震え、腹の底に響く唸りを上げる。
「ただ、何ですか?」
まだなにか言われるのか、キンシは身を固くした。青年は何事もない風に会話を続ける。
「上方さんからのお達しで、もっと監視範囲を広げてほしいとのことだ」
青年は上司の困窮に満ち溢れた瞳と、朝のニュースでキャスターが業務的に伝えた事項を脳内で混ぜこぜにし、言葉として発する。
「何でも昨今頻発する彼方被害に対し、我々も一層の精力を以て対応しなくてはならない、とのことだ」
「なるほど」
今朝方にまさしく彼方に関する弊害を受けたキンシは、ゴーグルの下で目を伏せた。
青年の道具が、力を十分にみなぎらせた音を響かせる。
さーて、と青年は移動を開始しようとして、
「あ、そうだ」まだ言わなければならないことがあったと思い出した。
「なあキンシ」
「な、何ですかオーギさん?」
早速仕事現場に向かおうとしていたキンシは、移動のために上げた足を宙に浮かせたまま振り向く。
「まだなにか言いたいことでも?」
「昼飯だが、俺は今日ちょっと先約があってな」
オーギは左上を見ながら報告を告げる。
「悪いが今日は自腹で済ませてほしい」
キンシは一瞬疑問に口を開いた、だがすぐに状況を察知して唇を結ぶ。
「なるほどなるほど」
意味ありげにうなずくと、
「存分に楽しんでくださいね、オーギ先輩」
そう言い残して走り去っていった。
トゥーイが浅く頭を下げて、無言のままキンシの後を追う。
「…阿呆ぬかせ」
誰もいなくなった道路の上で、オーギは一人呟やく。
そして箱型の道具兼武器を作動し、灰笛の町へと飛び上がった。
キンシの眼鏡デビューは七歳。
「囁きキノコ」についての報告。
灰笛の建造物に最近キノコが自生しているらしい。
タマゴタケのようにかなり毒々しい見た目をしているため、当然のことながら誰も触れようとしない。だが、ウワサによれば実は食えるらしい。しかもタマゴタケのように中々の美味だそうな。栽培が難しいところも共通しているのが、残念なところ。また日が暮れるころに、人間の囁き声のような小さな音をはっし、かすかに発光するのがより一層不気味さを増している。
今度食卓に出してみたいが、あの子に文句を言われそうだ。見た目を誤魔化せるような調理をしなくてはならなさそうだ。正直めんどくさい。