風圧は速やかに音を消す
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空を飛ぶ、魔法のバイクがアトリエ内の天井を飛んでいる。
「うっひょー! はやいはやい!」
バイクの後部座席にへばり付いている、ハリが感嘆の声を発していた。
「やっぱり人力の魔法よりも、機械仕掛けの魔術式エンジンはスピードが違いますねー!」
賞賛のような言葉を送っている。
だが、ハリの言葉はミナモの耳へ届けられる前に、彼らの全身を包む風の質量にかき消されてしまっていた。
「えー? なんか言ったー? ハリくーん」
魔法のバイクを走らせている。
ミナモは前方に光り輝く警戒用ライトを頼りに、アトリエ内の天井を走行させ続けていた。
後部座席にルーフを乗せ、ついでにハリを引きつれている。
魔法のバイクは、今のところ何の問題もなくアトリエの天井、に近しい空間を走行していた。
「ぶつからないようにしてくれよ……!」
風の音を聞きながら、ルーフはバイクの後部座席にて、祈るような言葉を呟いている。
「大丈夫ですよ、ルーフ君」
魔法使いの少年にしてみれば、独り言のようなものでしかなかった。
しかし言葉は、風の流れに合わせてハリの元に届けられていた。
「ここら辺の高度ならば、そんなに大量の備品もございません。いきなり前にガラス瓶が落ちてこない限りは、正面衝突を起こすことは無いでしょう?」
言葉の最後の方に疑問符の音程を作っているのは、運転手であるミナモへの確認事項のつもりだったのだろうか。
しかし、やはりハリの声は運転手に届けられることはなかった。
「どう? 順調に集まってきている?」
意図せずハリの言葉を無視している、ミナモは安全運転よりも気にすべき事項を確認してきていた。
「そうだな、今のところは向こうから攻撃されることは無い、な」
ミナモからの問いかけに対して、ルーフは現状確認できる分だけの状況を報告している。
バイクの速度によって、包囲されかけていた怪物の群れからいったん距離を置くことには成功している。
とは言うものの、まだ油断は許されない状況には変わりなかった。
怪物はまだ生命活動を続行させている。
この場所に存在している人間の肉を噛み、血を飲み干し、骨を噛み砕くまで、活動の気配を止めることは無いのだろう。
「せやったら、しばらくはこのまま走らせといて、向こうさんの体勢が整うまで現状維持、やな」
「…………ああ」
ミナモからの提案を、ルーフはほとんど沈黙に等しい静けさのなかで受け入れている。
「だとすると、準備が整うまで少しお時間が出来ますねー」
ハリが諦めることなく、若干しつこささえ感じさせる程度に、運転手であるミナモに語りかけている。
だがやはりというべきか、魔法使いの声は運転手の彼女に届くことは無かった。
その代わりというべきなのか、謎にハッキリと、クリアな音質で彼の言葉がルーフの鼓膜を震動させていた。
「あんたはそれで大丈夫なのか?」
後部座席の余分にへばり付くようにしているハリに対して、ルーフは腕力等々の不安を伝えていた。
「えー? 何がですかー?」
魔法使いの少年に心配された。
ハリの方は、しかして何ら問題がなさそうに、平然とした返事だけをよこしていた。
「重力を軽減させているんだよな……」
片腕を後部座席から話し、頭部に生えている黒猫のような耳に手を添えて、聞き直す姿勢を作っているハリ。
彼の様子を見ながら、ルーフは黒猫の魔法使いが使っている魔法についてを考えていた。
「体の重さを削り落として、今は、どのくらいの重さになっているんだか」
「そうですね、せいぜい缶コーヒーいっこ個分でしょうか?」
ルーフの呟きを風の音と共に聞いていた、ハリが返答らしきものを声に発している。
「その体にたったそれだけの重さだと、俺ですら片手で体をぶん回せそうだな」
「そうですよ、余裕のよっちゃんで持ち上げることが出来ましょう」
自信ありげにしているハリの表情が、ルーフにはどこか理解しがたいモノのように思われて仕方がなかった。
「だが、重力を削り落として、それでどうやってあいつらを殺すつもりなんだよ?」
思いついた不安点を呟いている。
魔法使いの少年の呟きは、風の勢いに乗ってしっかりとハリの耳に届けられていた。
「何をおっしゃいますやら、ボクの魔法を体重を軽くするだけに限定されている訳ではないんですって」
自分の魔法を若干馬鹿にされたようなニュアンスを受け取った。
ハリが少しだけ不満げに、眉根に不快感を表している。
「ボクの魔法は」
丁寧な解説を加えようとした。
だが、ハリの言葉は風の音とともに三度掻き消されていた。
「おっとー、右に曲がるよー」
ミナモの声がルーフの耳に届いていた。
運転手である彼女の指示の通りに、魔法のバイクは大きく右折をしていた。
引力が働く。
いたって普通の、科学的な作用が魔法使いたちの体を動かしていた。
「おっと……」
ルーフが後部座席でバランスを保持している。
安定感は、しかしながら魔法使い全体に共通しているものではなかった。
「うわー」
どうにも気の抜ける声が聞こえた。
と、思っていたら、ハリの体はバイクの後部座席から離されていたのであった。




