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 しかし歩く分にはそれで充分であった。

 ルーフは早速と、椅子の上から体を降ろしている。


「よいしょっと」


「あ! まだ動いちゃダメだってー」


 マヤの制止を聞きながら、しかしてルーフはそれに耳を貸そうとはしなかった。

 これ以上、妖精族の戯れに疲労感を覚えたくはなかった、というのが本音の半分。


 もう半分は、今すぐにでも新しい義足の調子を確かめたかった、というのがあった。


 地面、アトリエの床に降り立つ。

 左足、右足の義足、それぞれがルーフの肉体が持つ重さを受け止めている。


「お……っとと……」


 慣れない、新しい、感覚は違和感と呼ぶべき質量をもっていた。

 よろめくルーフの姿を見た。


「あらら、あらら、あぶない、あぶないー」


 たまたま近くに立っていた、エリーゼが魔法使いの少年の体をサッと支えている。


「だいじょうぶー? カハヅ・ルーフ君ー? まだ本調子じゃないんでしょー?」


 若い女魔術師が気にかけている。

 心配の内容は得てして現状をよく理解しているものに変わりなかった。

 ルーフはまだ、この新た強い義足の使い方を理解しきっていない。


 不慣れなのだ。

 だが今は、その現状に立ち止まっている場合ではなかった。


「動ける」


 ルーフは一歩二歩、右と左、アトリエの床を踏みしめる。

 古ぼけたフローリング、濃い茶色がまるで夜の海のように暗く、果てしなく広がっている。

 冷たい素材に、同じく冷たい質感を持った右義足が触れ合っている。

 

「歩ける」


 三歩めまで進んだ後に、ルーフは己の心に確信をひとつ、演出しようとしていた。


「出来る、これならあいつらを……人喰い怪物を殺すことが出来る」


 フラフラとふらつきながら、ルーフはエリーゼの腕を振り払おうとする。


「あらあらー? 危なっかしいわよー?」


 エリーゼは離れようとするルーフの体を引きとめようとしていた。

 だが魔法使いの少年は、若い女魔術師の腕を多少強引に振り払う。

 そうする必要があると、今の少年はそう信じようとしていた。


 歩く、アトリエ内を歩く。

 向かう先はひとつ、自分と同じ性質を持つ男の姿であった。


「いけますか、ルーフ君」


 確認をしている、声はハリのものだった。

 大人らしい低さを持っていながら、どこか柔らかな水を飲むかのような、ある種の心地良さを覚えさせる。


 声色を聞きながら、ルーフはハリの顔を見上げている。

 自分と同じ魔法使い。

 頭部に黒猫のような聴覚器官を生やしている、魔法使いの男は人差し指で軽く眼鏡の位置を整えている。


「いけるのならば、武器の用意を!」


 魔法使いの黒猫が、自分と同じ魔法使いの少年に行動を推奨している。

 進めている、言葉は要求に似た質量をもっていた。


「分かってるよ」


 魔法使いの黒猫の要求を聞いた、ルーフは右の腕を虚空にかざしている。

 義足と同じように、他者から譲り受けたものを、魔法の武器を呼び出そうとする。


「えーっと……」


「あれ? もしかしてまだ名前、決めてなかったんですか?」


 口籠っている、ルーフにハリが軽い確認をしてきていた。


「いや……譲り受けたものだから、自分の名前なんて考えたことなかったんだよ」


「だめですよ、ルーフ君、怪物を相手にする以上、武器にはきちんと名前をつけなくてはなりませんよ」


「そうなのか?」


 まだ新人の域を出ていない、魔法使いの少年にハリは既知の情報を伝えている。


「そうですとも。名前もまた一種の「呪い」の様なものですからね、固有名詞をつけることで、魔法の威力をさらに倍増させることが出来たり? 出来なかったり?」


「何だよ、曖昧なんだな」


 分かりやすく言葉を濁している、ハリの様子にルーフが指摘をしていた。


「魔法は生ものですからね、常に変化し続ける、安定することの方が珍しいんですよ」


「……ンなもんに頼らなくちゃならねえってのが、どうにも悲しいな……」


 ルーフが現状を憂いている。

 魔法使いの少年の暗澹たる様子を眺めながら、ハリはさして現状に困惑するような様子を見せてはいなかった。


「昨今のスマフォ社会に慣れきったルーフ君なら、別段気にするようなことでも無いんじゃないですか?

 ほら、ゲーム一つを始めるだけでも、やれパスワードだ、やれIDだ、果ては個人の名前までそれぞれ決めて、匿名の場面で(しのぎ)を削りあっているんですもの。

 互いに互いを真っ赤に切り刻むまで戦いに明け暮れているんですよね?」


「あんたの中のネット社会って、一体どんなイメージなんだよ……?」


 魔法使いの黒猫のかなり偏った想像世界に、ルーフが呆れのような感情を覚えそうになっている。


 ともあれ、名前を決める必要があるようだった。


「んー……っと、じゃあ……」


 左腕を虚空に、アトリエ内の空間にかざしたままにしている。


 空気に触れている。

 何も無い空間であるはずなのに、先ほどからずっと、何か熱い視線のようなものを感じていた。


「…………」

 

 これがこの場所に居る人間の視線によるものではなく、もっと別の存在によるものであることを、ルーフは直感的に察していた。


 見ている。

 それと同時に見られている。


 視線は、ガラス瓶に詰め込まれた宝石たちによるものだった。

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