ラスーテチーユーパラマシー
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もぎたてのリンゴのような、新鮮な香りに導かれ、ルーフは頭の中で記憶を再生している。
…………。
あれは、いつの日のことだっただろうか。
故郷の家、食卓の上にリンゴがひとつ、置かれていた。
赤く艶めく小さな曲線。
リンゴの表面に、ルーフは指を触れ合せていた。
指が小さい、のは、再生されている記憶のなかでルーフはまだ、幼児の域すらも脱し切れていない年齢であったからだ。
机の上に手を伸ばし、リンゴに触れている。
赤色の果実、その表面はサラサラとした感触を持っていた。
「……果実に興味があるのか」
記憶のなかで問いかけている。
声は祖父のものであった。
「それは、君の知っているリンゴとは大きく異なっている。その正体が理解できているのか?」
祖父の口調はいつも通りのものであった。
使用が必要とされる場面ではない限り、自分の主張を可能な限りに希薄なものとする。
そうすることによって相手側の意見を、他人から与えられる情報を検索しようとする。
検索手段としてしか使用していない。
祖父の語りが、ルーフにとっては氷の欠片一粒のような緊張感をもたらしていた。
記憶のなかでルーフは語る。
それが果たして過去の内に実際に発した言葉なのか、あるいは今現在のルーフの意識が勝手に過去の内容を改稿したものなのか。
その判別は、ルーフ一人だけの記憶能力では解決しようのない疑問点でしかなかった。
ともあれ、記憶のなかでルーフはリンゴに触れていた。
右の手の平に触れる、感触が過去の記憶と現実の感覚とリンクする。
祖父の言葉がまた一つ、脳内にて再生される。
「そのリンゴは、本来その様に呼ばれる種子植物の実とは異なっている」
祖父がそのように、自らの孫に、ルーフに説明をしている。
…………。
「これは敵性生物……広く一般的に怪物と呼ばれる生命体の、肉体内に含まれる魔力を青い炎という術式、そして人間の祈りによって結晶化させたものだ」
知り得ていること。
祖父に教えられたこと、言葉をルーフは一字一句間違えることなく、言葉として唇にぶつぶつと呟いている。
声はあまり大きくなく、せいぜい雨粒の隙間を通り抜ける程度の音量しか有していなかった。
にもかかわらず、少年の言葉をその三角にとがる耳に全て聞き入れていた、エリーゼが感嘆めいた様子でルーフの方を見ているのが確認できた。
「わあ、ちょうどアタシがあんたに説明しようとしたこと、全部知っていたんだね」
エリーゼは賞賛の言葉をルーフに向けている。
最初こそまたしても皮肉めいたことを言われているものだと、ルーフは小さく身構えようとした。
だが、少年の不安は杞憂に終わるようであった。
エリーゼは、胸元より少し下の当たりで、パチパチと拍手をルーフに送っている。
「やっぱり、曲がりなりにもカハヅ博士のお孫さんを名乗るだけのことはあるね! 感心しちゃった」
少なくとも表面上は、エリーゼは素直な心持ちで少年に賞賛を贈っているらしかった。
若い女魔術師に褒められた。
ルーフはそれに喜びを抱くべきか、それとも警戒心を強めるべきか、迷っている。
そわそわと、落ちつかない心持ちで、ルーフは逃れるように視線を手の中のリンゴに定めようとしていた。
右手の中にある、赤いリンゴのようなもの。
甘酸っぱく瑞々しい、実に芳しい香りは引き続き赤色の表面から立ち込めている。
リンゴの表面に視線を向ける。
深く、観察をする。
そうしていると、ルーフはその表面がただ赤色を継続させている訳ではないことに気付かされる。
通常の、普通のリンゴとは異なり、ルーフの手の中にあるそれの表面は見る角度によってその色の濃淡を変化させている。
割れた水晶玉のように。幾つもの歪みが表面の内側に組み込まれている。
「よく見ると、なんか石っぽいな……?」
赤色の内側にきらめく歪みを観察しようと、ルーフはリンゴを少し上にかざそうとしている。
だが少しばかり上に持ち上げたところで、エリーゼの手によってルーフの手元からリンゴが取り去らわれていた。
「あ、おい!」
「はいはい、観察はもうその辺りで終わりでいいでしょ?」
まだ全てを観察し終えていない。
不満げにしているルーフに、エリーゼは不満点を受け流すように体を彼から離している。
「この結晶体はこの灰笛魔導協会の貴重な資源だからね、キミみたいなド新人でペーペーな魔法使いが安易に触れちゃいけないシロモノなの」
リンゴを片手に、エリーゼはルーフにリンゴの使い道についてを語っている。
「凝縮した敵性生物の魔力を使って、一般市民の方々を守る結界術式を運用する。それがこの灰笛の持つ役割の一つ、なんだよねえ」
「術式って、古城に張り巡らされている魔術式のことなのか?」
先日古城の主である少女に招かれた際の、まだまだ新鮮さを失っていない記憶が再生されかけた。
だがルーフがすべてを思い出すよりも前に、女魔術師に向けて提案をする声が発生している。
「異議あり、異議ありありやで!」
声のする方に、若い女魔術師と少年が視線を向ける。
二人の視線を浴びながら、主張をしているのはミナモの姿であった。




