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期待と不安はトマトスパゲッティの赤さ

ご覧になってくださり、ありがとうございます。

 そういう訳で、こういう訳で、ルーフは家を出て外を歩いていた。


「……なんつうか、なんなんだろうな……」


「どうしたのじゃ、ご主人よ」


 力の無い声でぼやいているルーフの顔を、ミッタが彼の視界の左側からのぞきこんでいる。


「ふやけた天ぷらのような声を出しおって、こっちまで気分がフヤフヤになってしまうではないか」


「だってよ……」


 たしなめるようにしている灰色の幼女に対し、ルーフは駄々をこねるような心持ちで不満を呟いていた。


「さっきまでアトリエで義足の研究をしていたと思ったら、次の瞬間には外でのんびり散歩をしているんだぜ?」


 老人口調の幼女に納得をしてもらうために。

 そう意識する、ルーフの口調は知らず知らずの内に演劇のような、そこはかとない仰々しさを含んでいた。


「こんなんで、こんな調子でモアの義足の謎を解明できんのか? んでもって、俺は一体いつになったらまともに、普通に歩けるようになるってんだよ」


 不満点を言葉の上にずらずらと並べながら、ルーフは自分の身体に視線を落としている。


 少年の琥珀色をした左目が見下ろす。

 その瞳には、松葉杖に支えられている彼自身の体を反射させていた。


「はあ、不安だ……」


 傍から見ると、少年の様子は大怪我をして落ち込んでいるようにも見えなくはない。

 うつむいたままの彼に、励ますような声音をかけているのはミナモの声であった。


「なーに? 若いコがそない暗い顔をしとんねん。不安ばっかり抱えとると、早よおに白髪まみれになってまうで?」


 励まそうとしているのだろうか。

 ルーフの前方を歩いていたミナモが振り返り、彼に近づいてその頬を人差し指でつんつん、と軽くつついている。


「そーれ、つんつん


「……止めてくれよ」


 右の頬に彼女の指の圧力を感じながら、ルーフはそれを疎ましいものとして拒否しようとした。

 つれない少年に対して、ミナモは引き続き茶化すような素振りを見せ続けている。


「ほら、ほらほら、明るい顔をせな! たとえ気分が海溝よりも深く真っ暗になっても、それでも顔だけは明るくするのが大人のたしなみってもんなんやで」


「……大人の世界って、俺が思っている以上に辛いんだな」


 ミナモの快活そうなアドバイスに、ルーフは将来に対する暗澹とした目測を立てている。


 どうにもつれない、どうしようもなく暗い心持のまま、表情の曇りを拭いとれないでいる。

 そんな少年に対して、ミナモそれでも諦めることなく、激励のような言葉を投げかけ続けていた。


「ほら、うつむいて下ばっかり見とらんと、もっとシャキッと、背筋を伸ばして!」


 まるで初日の新人アルバイトにするかのように、ミナモは右の手のひらでバァン! とルーフの背中をはたいている。


「痛った?!」


 彼女の手の平の圧が予想以上に強かったのに合わせて、ルーフはその勢いのままで視線を地面から話している。


 濡れるアスファルトから視界を上に移動させれば、そこには灰笛(はいふえ)という名の都市の上に広がる空があった。


 青空とは到底呼べそうにない色。

 暗く低く鈍く、濃密な灰色が限られた範囲……少なくとも、この都市の範囲内にはしっかりと密集している。


 空に浮遊しているというのに、風の気配を全く感じさせない曇り空。

 キャンバスに塗った絵の具のように、その場所に固定されているかのような雨雲。


 巨大、とても個人では把握できないほどの大きさを持つ水蒸気の塊からは、今日も今日とて新鮮な雨水が降り続けている。


 都市の空気と排気ガス、建物と人々のにおい、そして怪物の死体から発生する灰の粒。

 それらを十分に、たっぷりと含んだ雨の粒が重力に誘われて、落ちる。


 ぽたぽた、ぽたり。


 雨の雫が落下する。落ちてきた、多数の中のほんの少しがルーフの頬を濡らしていた。


「今日も雨だな……」


 ルーフがそう呟くと、彼の左隣に浮遊するミッタが返事をしている。


「そうじゃのう、心地良い雨じゃ」


 そう言いながら、ミッタは綿のように軽い体をルーフの前方に漂わせていた。


 灰色の幼女は、薄墨を紙に垂らしたかのような色合いを持つワンピースを、ひらひらとルーフの近くの空間にひらめかせている。


 湯葉のように薄い布、のように見える実体がルーフの目の前で軽やかに揺れる。


 普段通り……と言うよりかは、家の中にいた時よりも幾分か健康的に見える幼女。


「…………」


 彼女の姿を見ながら、ルーフは自らの格好を改めて再確認している。

 自分も灰色の幼女に見習って、通常通り、普段通り、ありのままの健康的な姿でいたい。


 ……そう願いたいところだが、残念ながらこの雨天ではそう上手く事は運べそうになかった。


「暗い顔じゃの、ご主人よ」


 ミッタが再び顔をのぞきこんできている。

 それにルーフは曖昧な表情、笑顔とも不満顔ともとれる表情を返している。


「……やっぱし、この雨ン中だと俺は……どうにも調子がでねえや」


 そう言いながら、ルーフは右の手のひらを上に、空が広がる方向に向けている。


「……」


 少年がひとり不調を静かに訴えかけている。

 それに、ミナモは耳をかたむけていた。

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