きゃんゆーセレブレイト
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シュンシュンシュン
シュンシュンシュン
シュンシュンシュン……。
どこからか、柔らかい、透明な音色が聞こえてくる。
音色はルーフの鼓膜を揺らし、奥に潜む渦巻管を通じて、少年の脳に届けられる。
「……?」
音をきいた。
ルーフは一瞬だけ、音色の正体について考えそうになる。
なんといってもそれは聞き覚えのある音だった。
その正体と言う、一つの答えはすぐに、もうすぐに見つけられそうなものだったから。
だから、ルーフはその答えに逃亡しそうになる。
どうしてそんな、悠長なことを望むのか。
理由と言うものを一つ、ここに作り上げるとしたら、まずルーフは不可解をあげられることが出来た。
自分自身でも何のことを言っているのか?
紛れもなく自らが作成し、あまつさえ言葉として唇から発した。
そのはずの言葉が、しかしてルーフには、どうにも不思議なものに思えて仕方がなかった。
なのでルーフは、自らが発した言葉を、自己の内に理解するのに、幾らかの時間を必要としていたからだった。
「あれ……? 俺、何を言おうとして……?」
ルーフは問いかけるような視線を、左右に漂わせている。
少年の、琥珀のように明るい茶色をした瞳が、若干不安定気味に震えている。
答えを、できるだけ明確で分かりやすいそれを求める。
少年の視線に、しかして答える声はここには用意されなかった。
物理的な距離感として、今ルーフの最も近くに存在しているミナモは、今のところ意味深な微笑みだけを返している。
「うーん、どうなんやろうねえ。ウチにはよおわからへんわ」
ミナモはそんなことを言っている。
妙齢の女は、ただそれだけのことしか言わない。
その身は、少年の言葉の続きをのんびりと待機するばかりであった。
彼女のつれなさもそこそこに、ルーフはすでに自分の想像の答えを頭のなかに思い浮かべていた。
「これは……夕飯の匂いだ……!」
「夕飯? 夕ごはんのこと?」
少し焦らされて、その後に用意された表現法方。
さすがに言葉のチョイスが予想外であったのか、ミナモは瞳のなかに疑問の気配をにじませていた。
彼女の、その麦茶のような色合いを持つ瞳に見つめられる。
視線が自分の肉体を、透明な点と線で触れている。
決して目に確認することはできない形。
だが、紛れもなくそこに存在している流れ。
それを受け止めながら、ルーフは今度こそ自分の抱いた想像を、確実に言葉にしようと試みた。
「具体的には……そう、スパイシー……」
「スパイシー」
ルーフが考えをグルグルと巡らせている。
その脳ミソを懸命に働かせている。
頭部の癖のついた赤みがかった毛髪。
薄い皮膚と分厚く硬い骨の下。
中身に埋まる柔らかな神経細胞のひと塊。
そこから言葉が産み出されていく。
「ほら……夕暮れになると、どこかの家の台所から、誰かしらが作ったカレーライスの匂いが漂ってくるだろ?」
「うんうん」
「その匂いと、この義足からするにおいが、何か……その……」
「その?」
「その……似てねぇかなって、思って……」
フラフラと、それまでちり埃のように彷徨っていた。
ルーフの琥珀色をした瞳が、例え話のなかで確かな感覚を得ようとしている。
確信を得るために、ルーフはいまいちど勇気をもって、ミナモの瞳を見つめ返そうとした。
ルーフは、その時点ではミナモの方も、自分の考えた想像に快く同意を返してくれるものだと、そう思い込んでいた。
「んえー? 何を言っているのかしら、この子は」
しかし、ルーフの抱いた淡い希望は、ミナモの低いテンションにことごとく否定されることになった。
「ウチは、少なくともウチは、そないにおいなんて全然分からへんわ」
「何でなんだよ!」
せっかく作り上げた想像の形を、あっけなく否定された。
ルーフはそこに苛立ちを覚える暇もなく、ただただ相手の不理解に対してうちひしがれていた。
「え、ええ? 俺、せっかく分かりやすい例え、作ったっつうのに……」
「そないなこと言われてもなあ、ウチの鼻にはそんなカレーライスのにおいなんてせえへんもん」
無駄に真剣になっているルーフに対して、ミナモの様子はゆったり、のらりくらりとしたものでしかなかった。
女のいかにも気楽そうな様子。
それにルーフは、戸惑いのなかで自らの心理的状況が変わりつつあるのを、秘かに実感している。
シュンシュンシュン
シュンシュンシュン
シュンシュンシュン……。
また、音が聞こえてきた。
ルーフはそれに、少しだけ耳を傾ける。
「…………」
相手の同意を得られなかった。
それに失意を覚える余裕もなく、ルーフはほんの少しの現実逃避を自覚せずにはいられなかった。
「…………。あの……」
「ん? なに?」
「さっきから、この音は何なんだ……?」
今更ながら、ルーフは音色に対しての疑問を言葉にしていた。
その語気はあやふやで、いかにも弱々しい響きしか有していなかった。
にもかかわらず、どうやらミナモにとっては、そちらの指摘の方こそ重要な意味を発揮していたらしい。
「あ! いけない、いけない!」
突然、思い出したかのように、ミナモはそれまで続いていた会話の一幕を中断させていた。




