表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

765/1412

きゃんゆーセレブレイト

ご覧になってくださり、ありがとうございます。

もしよろしければ、ブックマークをお願い致します。

 シュンシュンシュン

 シュンシュンシュン

 シュンシュンシュン……。


 どこからか、柔らかい、透明な音色が聞こえてくる。


 音色はルーフの鼓膜を揺らし、奥に潜む渦巻管を通じて、少年の脳に届けられる。


「……?」


 音をきいた。

 ルーフは一瞬だけ、音色の正体について考えそうになる。


 なんといってもそれは聞き覚えのある音だった。


 その正体と言う、一つの答えはすぐに、もうすぐに見つけられそうなものだったから。


 だから、ルーフはその答えに逃亡しそうになる。


 どうしてそんな、悠長なことを望むのか。


 理由と言うものを一つ、ここに作り上げるとしたら、まずルーフは不可解をあげられることが出来た。


 自分自身でも何のことを言っているのか?


 紛れもなく自らが作成し、あまつさえ言葉として唇から発した。


 そのはずの言葉が、しかしてルーフには、どうにも不思議なものに思えて仕方がなかった。


 なのでルーフは、自らが発した言葉を、自己の内に理解するのに、幾らかの時間を必要としていたからだった。


「あれ……? 俺、何を言おうとして……?」


 ルーフは問いかけるような視線を、左右に漂わせている。


 少年の、琥珀のように明るい茶色をした瞳が、若干不安定気味に震えている。


 答えを、できるだけ明確で分かりやすいそれを求める。

 少年の視線に、しかして答える声はここには用意されなかった。


 物理的な距離感として、今ルーフの最も近くに存在しているミナモは、今のところ意味深な微笑みだけを返している。


「うーん、どうなんやろうねえ。ウチにはよおわからへんわ」


 ミナモはそんなことを言っている。


 妙齢の女は、ただそれだけのことしか言わない。


 その身は、少年の言葉の続きをのんびりと待機するばかりであった。


 彼女のつれなさもそこそこに、ルーフはすでに自分の想像の答えを頭のなかに思い浮かべていた。


「これは……夕飯の匂いだ……!」


「夕飯? 夕ごはんのこと?」


 少し焦らされて、その後に用意された表現法方。


 さすがに言葉のチョイスが予想外であったのか、ミナモは瞳のなかに疑問の気配をにじませていた。


 彼女の、その麦茶のような色合いを持つ瞳に見つめられる。

 視線が自分の肉体を、透明な点と線で触れている。


 決して目に確認することはできない形。

 だが、紛れもなくそこに存在している流れ。


 それを受け止めながら、ルーフは今度こそ自分の抱いた想像を、確実に言葉にしようと試みた。


「具体的には……そう、スパイシー……」


「スパイシー」


 ルーフが考えをグルグルと巡らせている。


 その脳ミソを懸命に働かせている。


 頭部の癖のついた赤みがかった毛髪。

 薄い皮膚と分厚く硬い骨の下。


 中身に埋まる柔らかな神経細胞のひと塊。

 そこから言葉が産み出されていく。


「ほら……夕暮れになると、どこかの家の台所から、誰かしらが作ったカレーライスの匂いが漂ってくるだろ?」


「うんうん」


「その匂いと、この義足からするにおいが、何か……その……」


「その?」


「その……似てねぇかなって、思って……」


 フラフラと、それまでちり埃のように彷徨っていた。


 ルーフの琥珀色をした瞳が、例え話のなかで確かな感覚を得ようとしている。


 確信を得るために、ルーフはいまいちど勇気をもって、ミナモの瞳を見つめ返そうとした。


 ルーフは、その時点ではミナモの方も、自分の考えた想像に快く同意を返してくれるものだと、そう思い込んでいた。


「んえー? 何を言っているのかしら、この子は」


 しかし、ルーフの抱いた淡い希望は、ミナモの低いテンションにことごとく否定されることになった。


「ウチは、少なくともウチは、そないにおいなんて全然分からへんわ」


「何でなんだよ!」


 せっかく作り上げた想像の形を、あっけなく否定された。


 ルーフはそこに苛立ちを覚える暇もなく、ただただ相手の不理解に対してうちひしがれていた。


「え、ええ? 俺、せっかく分かりやすい例え、作ったっつうのに……」


「そないなこと言われてもなあ、ウチの鼻にはそんなカレーライスのにおいなんてせえへんもん」


 無駄に真剣になっているルーフに対して、ミナモの様子はゆったり、のらりくらりとしたものでしかなかった。


 女のいかにも気楽そうな様子。


 それにルーフは、戸惑いのなかで自らの心理的状況が変わりつつあるのを、秘かに実感している。


 シュンシュンシュン

 シュンシュンシュン

 シュンシュンシュン……。


 また、音が聞こえてきた。

 ルーフはそれに、少しだけ耳を傾ける。


「…………」


 相手の同意を得られなかった。


 それに失意を覚える余裕もなく、ルーフはほんの少しの現実逃避を自覚せずにはいられなかった。


「…………。あの……」


「ん? なに?」


「さっきから、この音は何なんだ……?」


 今更ながら、ルーフは音色に対しての疑問を言葉にしていた。


 その語気はあやふやで、いかにも弱々しい響きしか有していなかった。


 にもかかわらず、どうやらミナモにとっては、そちらの指摘の方こそ重要な意味を発揮していたらしい。


「あ! いけない、いけない!」


 突然、思い出したかのように、ミナモはそれまで続いていた会話の一幕を中断させていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ