何が起きているのかさっぱり、嗚呼さっぱり
マッシュルーム、
顔色も、呼吸も、発熱によって乱れていたはずの身体の機能がメイのプロングによって瞬く間に「癒されて」いく。
それまで不快さによって緊張していたミッタの体は、安定が一定のレベルまで到達すると一気に体の肉を油断させる。
安心感のもとに弛緩した首筋がガクリとうな垂れ、そこでようやくミッタは完全なる平安な睡眠へと意識を沈めることが出来るようになった。
「あらら、眠っちゃった」
静寂で急速なる状況の変化に、キンシはただただ驚きをあらわにする。
こんなにも間近で治癒魔法が人体に施される様子を見るのは、この魔法使いにとっては目新しい出来事であった。
「…………」
トゥーイは声を発することなく感情の見えない表情のまま、まるで何かを確認するかのように幼女の体から発生している、この世界に存在し確認されている「治癒魔法」の一種を観察していた。
ミッタの小さな体が完全に睡眠行為へと突入したころ、
「ふーう!」
じっくりとタイミングを見計らっていたメイが、それまで目と鼻の距離まで接近させていた自分の体をミッタから反発作用のように激しくかい離させる。
「疲れた………」
不満じみた台詞を吐く唇は疲労によってかさつきが目立ち始めている。
しかしそれをものともしない程の充実感が、彼女の薄れた血液に似た色の瞳に満ち満ちていた。
「………これで……、とりあえず容体は安定したと、思うわ」
彼女もまた、ミッタと同じように小さな体から緊迫感を脱色していく。
そうすると、彼女の腰から生えていたプロングの形が急速にぼやけ、最初の揺らぎへと逆戻りし、そして最後には蒸発する水のように視認できる姿を宙に霧散させる。
「お、お疲れ様です………?」
一体何が起きて、何が行われ、結局どうなったのかいまいち理解できていないキンシは、それとなくこの場合に相応しいであろうと思われる言葉を、とりあえず彼女に送ってみた。
「大丈夫ですか? メイさん」
狼狽と好奇心がない交ぜな表情を浮かべつつ、自身の心配をしてくるキンシにメイは、
「ええ、大丈夫よ」
短く優しげな言葉を送る。
「応急処置とはいえ、[これ]を人に使うのはやっぱり疲れちゃうわね」
少し恥ずかしそうにはにかむ彼女にキンシは何かを言おうとして、
「それはきらきらと星の如く修復器として樹木の枝が考える」
不意に会話に割り込んできたトゥーイの音声に自身の声をかき消されてしまう。
トゥーイはやはり表情を変えることなく、誰に向けるのでもなく言葉を繋げる。
「勇者様は波の合間に見ることになるでしょう、海へ目がけて花が咲くのを。愛されていないことを自覚することなく、彼は波の合間に自虐家の正体を知らない」
相も変わらず、他人とのコミュニケーションを全く成立させる意思が見えない言葉の羅列に、トゥーイを除いた男性陣は疑問符を脳内に満たすことしかできなかった。
しかし、
「………あなたは……?」
それまで安心して体の力を抜いていたメイが発する音声、にルーフはすぐさま違和感を覚える。
「あなたは何をいっているの? どうしてそれを」
普通に文章にしただけならば、ただ単に青年の意味不明すぎる文法に当然の苛立ちを抱いたと片付けられる言葉。
しかし兄は妹の声音に通常とは思えない、異様な緊張感が張り詰められていることに気付く。
治療は終わった、もう自分たちがすべきことなどない。
自分と、そして彼女はそのことを自覚していて、だからこそこれ以上この場にいる必要などない。
そう兄は目論んだうえで妹に爪を使わせたのだが。
しかしどうやら、彼が予測していた以上の事態が起こりつつあるらしい。
「なにもない雷鳴に、貴女はまだ擦り切れることなく自覚し許容することをしようとしない」
「だからなんで………」
「どうして? どうして? どうして? 貴方は色を見ることなく現状を受け入れているのか。反抗の旗を揚げるべき資格が保有しているにもかかわらず」
「あなたに………」
メイの背後で再び空気が揺らめく。
ミッタの体を治癒しようとしていた時とは比べ物にならない速さと、正確さと、害意の意思をもって、メイは自らの疲労も忘却したままに再びプロングを出現させようとする。
「卑しい貴女。気高くならなくてはならないはずで仕方がない、気持ちが良いので仕方がない。下げず無に値する僕は貴女の生涯にわたるであろう仕合わせの悪意を」
青年はもはや改善する様子すら見せない言葉で、おそらくはメイを挑発したらしい。
「うるさい、黙って!」
メイが、彼女の持つイメージにそぐわぬほどの激しさでトゥーイに向けて真っ直ぐ爪を伸ばす。
トゥーイはそれ以上何も言わず、無音で自分に襲いかかる爪をじっと凝視している。
「おい! メイ?」
全くもって話しの脈絡が読み取れないルーフは、それでも妹が起こそうとしているアクションを感じ取って迷わず動こうとする。
だが、
「トゥーさん!」
少年よりも先に動いたのは魔法使いであった。
キンシがそこそこに容赦ない、それこそルーフを生贄にした時と同等の力でトゥーイの唇をはたく形で塞いでいた。
唇を固く閉じて、灰色のゴーグル越しにトゥーイを睨む。
「いけない子ですよ、人に向かってそんな失礼なことを言うなんて」
キンシの腕力によってトゥーイの顔面はかなりの痛覚がもたらされたはずだが、しかし彼はどうしても無表情を気持ち悪いほどに継続している。
「先生」
青年は魔法使いに何かを主張しようとする。
「口答えをするんじゃありません」
しかし魔法使いは彼の言葉を突っぱねる。
「彼女はミッタさんを助けてくれた。そのことに関して、そして彼女の使った魔法に貴方がどのような感想を抱いたとしても、あんなこと」
キンシはそこで声を不可解で湿らせる。
「………一体どうしたんですか、いきなりあんなこと言うなんて。貴方らしくないですよ」
その場にもう一度、不安定な不気味さのある沈黙が降り積もる。
一体なんだったのか?
ルーフは全く状況が飲み込めなかった。
何となくの様子からして、青年が妹に何か嫌なことを言ったことは間違いなさそうなのではあるが。
肝心の内容がルーフには全く理解できなかったので、この会話の中で彼一人だけが上手く感情を見出せずにいた。
妹がよろよろと立ち上がり、俯いたままで兄の元へと寄ってくる。
「……………」
そしてもう何も言葉を発することなく、当然爪も発生させることなく、無言のまま兄の体に抱きつく。
「お、おい?」
いきなり子供じみた行動をした妹に対して、ルーフはついどぎまぎと狼狽する。
しかしメイはしばらく兄の体から離れる気は無いようだった。
「………メイ」
妹の体に手を触れたまま、ルーフは彼女と視線を交わす。
「爪、使ってくれてありがとうな」
兄からの感謝にメイはほのかに頬を上気させたが、それを悟られぬよう無言を徹する。
ルーフは彼女の髪の毛を愛しそうに撫で、優しげな言葉で語りかける。
「正直なにがなんだか解らねえけど、あんな、よく分かんねえ犬尻野郎の言うことなんか気にすんな」
それは正真正銘の、彼にとって今言うことが出来る心からの言葉だった。
妹は兄を見上げ、仮面の奥に輝く彼の瞳を見つめる。
そして兄にとって見慣れた微笑みを浮かべ、
「ダメですよ、お兄さま。わるぐちにお返事をしてはいけません」
いつも通りに彼を叱る。
ルーフはようやく安心して妹の頭を撫で続ける。
……………
さて、
ルーフは気を取り直して次の行動を決める。
この場で自分たちがやるべきことは、色々と脱線が多かったがすべてやり終えただろう。
できていなくとも、できたことにしなくては。
そして早い所───
彼は色々と計画してた、そのことに間違いはない。
だからこそとでも言うべきなのか、やはりどうして、彼の願っていることはことごとく叶わない。
───。───。
男性たちの耳にある音が、許容し難い鐘の音が聞こえてくる。
たくさん生えてきました。




