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キンシは興奮も覚めきっていないままであった。
引き続きシイニのボディーに強く、それはもうとても強く関心を抱いている。
「さあさあ、シイニの旦那、もったいぶらないで、あなたをこの異世界に召喚したであろう……魔術師さんの招待を打ち明けて! さらけ出して! ぶちまけちゃいましょう!」
「ましょう! じゃねえんだよこのクロネコちゃんは」
シイニは信じがたいモノを見るかのように。
……と言ってもそこ、子供用自転車の姿をした彼には、肉眼における感情表現の方法は許されていない。
であるからして、シイニは声音だけの感情表現で、それでも十二分に呆れの感情表現を少女に向けて紡ぎあげていた。
「あれれー? お話聞いていなかったのかな? お耳が詰まって手前の声が届かなかったのかなあー?」
とりあえず、現状考え得る最大限の皮肉を、シイニは叩き付けたつもりであった。
確信を持って言える、確実な悪意がその言葉のなかにはたっぷりと含まれていた。
「何度も何度も……何度も、もう、いい加減にしてくれよ」
それこそ、実際に口したシイニ本人が、その浅ましさと下らなさに吐き気と眩暈、そのた精神的な疾患に脅かされそうな、それほどの勢いがあった。
「君はあれなのかい? 相当の馬鹿なのか、あるいは類稀なる愚か者なのかい?」
……そのはずだった。
少なくともシイニと、この場にいる比較的常識的な観点を用意することの出来るもの達。
なにも難しいことなど必要ない、ほんの少しでも人の悪意に関心さえあれば、話はそこで終わりを迎えるべきであった。
たとえその次に血みどろの諍いが起きようとも、言葉の意味はそこで、そこだけで終着点を迎える。
だが、現実はそうはならなかった。
「ええ、ええ! そうです、そうですとも!」
この場面に存在している、少なくとも必要最低限に、せめて人らしい心を持つものたち。
小さな群れ、彼らのなかでただ一人、キンシという名の魔法使いだけが異なる心を持ち合せていた。
「僕は愚かものです! 馬鹿です、馬鹿なんです!」
自らを卑下する言葉を使っている。
しかしてそこに恥じは存在していない、悔恨は存在していない。
懺悔も、苦慮さえも存在していなかった。
ただ、ただひたすらにキンシは、自らをそう名乗る魔法使いは喜んでいるらしかった。
「うふ、うふふふ……」
宵闇のなか、街灯の光に照らされる下。
キンシは身を弾ませて、頬などを薄紅色に上気させて、シイニからの言葉を心より喜んでいるようであった。
「これはまた、なかなかに褒め上手なんですから」
「褒めてねえよ?!」
黒猫のような、黒い三角形をした聴覚器官をピコピコと動かしている。
そんな魔法使いの少女に、シイニがついに堪えきれなくなったようにツッコミを入れていた。
「褒めてねェんだって?! ちょっと、しっかりしてくれよ?!」
「あははは、うふふふ」
シイニが懇願するように正気を確かめている。
しかし子供用自転車の姿をした彼の願いも虚しく、魔法使いの少女はただ、ただひたすらに狂い気味に笑うのみであった。
「……………」
夕闇と街灯の明かりの下。
子供用自転車と魔法少女がすれ違いを繰り返している。
その様子をみていた、トゥーイが無言のなかで見つめている。
「…………」
無言で見た、その後に。
「…………ハァ」
と、唇の隙間から小さく溜め息を吐き出していた。
呆れてものも言えない、とはこのことを言うのだろうか。
トゥーイの右隣にたたずんでいるメイは、その様なことを考えようとした。
してみた、ところで、幼い魔女は思いついた想像を自らの手で握りつぶしていた。
この青年は、無表情で無感覚、無機質とさえ感じさせる、この青年は決して心を喪失しきっている訳ではないのである。
胸の内、皮膚の下、骨の中身。
頭蓋骨の内側に収められている脳神経には、きちんと感情と感覚をつかさどる神経系が繋がり合わさっている。
「ねえ、トゥ」
メイはトゥーイのことを意味する呼び名を使いながら、彼にこの状況の打開策を求めようとしていた。
幼い魔女のその瞳。
椿の花弁のように鮮やかな赤を持つ、虹彩が見つめる先ではキンシとシイニがくだらないやり取りを交わしている真っ最中であった。
「言ったじゃないですかぁーシイニさんんんー。極めて何かいたくいかがわしい行為を行った際には、当方身につけている衣服を全部脱ぎさらす。って、そう灰笛の法律にも書いてありますよー」
「知らねえよ?! 何の罪もない手前みたいな旅人の身ぐるみを剥ぐだなんて、ンな世紀末な法律条例があってたまるかってんだ!」
もはや立場が逆転してしまっている。
眼前の惨状具合に、メイはもれなく関係者である青年に質問をしていた。
「シイニさんは……ともかく、あの黒猫ちゃんをいますぐおとなしくさせないと……」
幼い魔女が首の向きを上に、たおやかな動作でトゥーイのことを見上げている。
彼女の紅い視線に見つめられた。
トゥーイは、溜め息を吐き出し終えた頃に、次の行動を意識のなかで体に命令していた。




