文末に続く意味を述べよ
ご覧になってくださり、ありがとうございます。
男性特有の低い、ほんの少しだけ掠れた声が上から降り注いでいる。
キンシは視線を上に向ける。
地面。雨に黒く塗れるアスファルトから、長さに換算しておよそ一メートルか、あるいはそれよりも長く、高く離れた場所、だったかもしれない。
とにかく、地面から浮遊した形で、シイニはその体から大きな腕を発現させていた。
「シイニさん」
キンシは、自らをそう名乗る、魔法使いの少女はシイニの名前を呼んでいる。
「……」
それに帰ってくる返事は、とりあえずのところこの場所には存在していなかった。
返事をする余裕がなかった、少なくともシイニは言葉を選ぶことが出来なかった。
何故なら、彼は地面から浮遊しながら、自らの体から腕を生やすのに手一杯だからだった。
キンシが上を見上げる。
眼鏡のレンズの奥、新緑のような色をした瞳が、彼の姿を眼球に映し出している。
彼の、シイニの姿。
子供用自転車の体に封じ込めている、体の一部がこの空間に現れつつあった。
「……まったく、まさかあんなことをするなんて」
ようやくシイニが口を、子供用自転車の体の奥に隠したままの、唇を動かしている。
彼が発した言葉の意味は、キンシの起こした行動、攻撃のことを意味していた。
キンシが手元の槍を握りしめる。
元々は小説を書くための万年筆、ペンであったモノ。
それに魔力を込めて、銀色の槍のようなものに変化させたモノ。
それを構えている。
構えの姿勢は、今しがたキンシがシイニに向けて攻撃を放ったばかり、その残りの動作がそこに留められていたからであった。
槍の穂先が捕らえていた、そしてそれを逃していた。
シイニの体。
それが例えば子供用自転車、金属とゴム、それらの科学的な物質で構成されたものだったら。
そうだとしたら、キンシという名の魔法使いは、先ほどの攻撃に空虚さを覚えることが出来たかもしれない。
ただ空振りに終わった、そうして槍の構えを解いてあきらめを抱くことが出来たはず。
そのはずだった。
だが、そうはならなかった。
何故なら、そこには変化が現れていたからだった。
「それとも何か? 最近の若い魔法使いっていうのは、羽交い絞めにした無抵抗の相手を、槍でズポズポと突きまくる。突きまくって、グチャグチャにしなさいって、そうマナー講座で教えられたりするんだってのかい?」
そんな軽口をはたいている。
シイニは、その間にも体からこぼした中身、腕の一本を所作なく空間に垂れ下げ続けていた。
キンシは上を見る。
上を見て、槍を構えたまま、こぼれた彼の腕を観察していた。
ふわりふわりと浮遊している。
腕は、右腕であるらしかった。
「シイニさん」
「なんだい、キンシ君」
ある程度だけ息を整え終えた。
シイニはキンシからの問いかけに答えている。
「質問があるなら、手早くたのむ」
「あなたの利き腕は右側、ですか?」
「……ああ、そうだが」
答えたはいいものの、シイニはほんの一瞬だけ質問の意図が読み取れず、ただただ反射的な答えしか返せないでいた。
ほんの少しだけ考える。
考えた後に、シイニは遅れて理解力を届かせていた。
「なるほど、とっさに出した方が利き腕だと、そう考えたか」
「ええ、おおむねそうです」
シイニの言葉にキンシが短く、簡素に返事をしている。
「だからといって、それが俺の弱点になるかどうかは、まだ……全然分からないんだろ?」
同意が得られた、シイニは特に感情を込めるまでもなく、少女に向けて小さく反論をしていた。
「……」
キンシはそれに返事をしない。
その代わり、という訳ではないにしても、キンシは構えていた槍を握りなおしている。
「たしかに、そうかもしれませんね」
子供用自転車の彼に同意を伝えながら、キンシは攻撃のために形成していた構えを、ゆっくりと解いている。
「いきなりの攻撃、すみませんでした」
キンシは謝罪をしながら、その視線を上に、シイニの右腕にしっかりと固定させている。
片方の目、右側にだけ残された肉眼。
そこでキンシは、空間に現れているシイニの右腕をしっかりと観察していた。
肉の付き具合、わりかし筋肉質で、単純な腕力だけでは敵うかどうかは怪しい。
骨格、男性のそれ、成人済みのいかにも固く太く、強固そうな構成力。
皮膚、あまり日に焼けていないのはこの灰笛、雨ばかり降る土地で過ごしてきたから……。
「いや、それは違うか」
考えている途中で、キンシは自らの思考を否定している。
シイニはここの土地の住人ではない、そのはずだった。
ここではない別の場所、異なる世界、異世界から訪れたモノ。
怪物とひとくくりにされる、シイニはそういった存在であった。
「やれやれ、もういい加減、手前を羽交い絞めにするのはカンベンしておくれよ」
「そうですね、失礼しました」
こうして会話を、コミュニケーションを結べている。
そのせいで忘れそうになる。
彼は、彼らは、この世界の住人ではないこと。
世界の規定にそぐわない、逸脱したものであること。
物語の規定から外れたモノ、それが彼ら怪物であること。
それをキンシは、心のなかでこっそりと再確認しようとしていた。




