嘆きの川でリンゴをかじろう
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トゥーイが見下ろしている。青年の紫水晶のような色をした瞳が見つめる、そこには怪物のあばら骨が転げ落ちていた。
怪物の骨格、人間のそれと類似しているもの。そのあばら骨にあたる部分には、キンシの槍が深々と刺しこまれていた。
怪物の心臓を貫いたもの、銀色の槍をトゥーイは両手で掴んでいる。
深々と刺さっているものを、腕だけで引き抜くのは至難の業といえた。
「…………ッ」
呼吸を止めつつ、槍を引き抜くために腕力を振り振り絞る。
そうしていながら、トゥーイは右足であばら骨を激しく踏みつけていた。
バキボキ、バキボキン。
硬質な見た目に反して、あまり強度の無い骨がトゥーイの足蹴によって砕かれる。
密集を失った、あばら骨からトゥーイは槍を、そしてその先端に付着しているモノを引き抜いていた。
怪物の死体から引っこ抜かれた、それは槍の先端にぶら下がっている心臓、と思わしき器官であった。
「心臓」と、魔法使いたちに呼ばれる器官。
怪物の生命活動に必要不可欠なそれは、心臓らしくハートの形を少し崩したような輪郭を描いている。
槍に貫かれた、器官はすでに鼓動を止めてしばらく経過していた。
本来のあたたかさを失いつつ、しかしてまだかすかに熱が残っている。
赤ん坊にのませるミルクのような温度を残す、器官をトゥーイは槍ごとキンシのもとに運んでいた。
「先生」
トゥーイが心臓をキンシの顔に近づけている。
その光景は鳥が雛鳥に生きるための糧を与えるようにも見える。
「先生、これを」
首元に巻き付けた、金属質な首輪のような機械。
そこからトゥーイは、他者に伝えるための言葉を入力し、発声をしていた。
「最善の使うことは方法をこれに魔力、……回復は」
青年らしい、少し掠れ気味の声が発せられている。
言葉の一つ、単語の区分ではこの灰笛が組み込まれている国家、文化圏に通用するものではある。
しかしながら、それを文章にするための機能が故障してしまっているらしい。
壊れかけの発声補助装置を使いながら、トゥーイは槍の先端をキンシの顔にさらに近付けている。
「先生、先生」」
キンシの事を意味する呼び名を繰り返しながら、トゥーイは先端を少女の口元ににじり寄らせている。
青年が何をしようとしているのか、メイにはまだ理解できないでいる。
幼い魔女が不可解さを抱いている。
それに説明や解説を加えるよりも先に、キンシの方が青年の要求を聞き入れていた。
「分かりました、分かりましたから……! これを食べればいいんですね」
ぐいぐいと押し付けてくるそれを掴み、キンシは柔らかさを手の中におさめている。
「食べる……?」
メイが行動に疑問を抱いている。
彼女らが見ている先で、キンシは槍の先端から心臓を抜き取っていた。
まだまだたっぷりの血液がしたたるそれを、キンシはがぷり、と喰らいついている。
赤色の器官が噛み砕かれ、次々と飲み込まれていく。
その様子はまるで熟れた林檎をかじっているようにも、見えなくはない。
むしゃむしゃと、キンシは怪物の心臓であったモノ、赤色の器官を食べている。
「……あ」
変化に気付いたのは、メイの体であった。
彼女の肌に生える白く柔らかな羽毛が、魔力の発生に反応して、ブワワと膨らんでいる。
新鮮な魔力が生まれている。
力の質量によって周辺の空気、そこに含まれている魔力が反応を起こしているらしかった。
力の流れ、その中心にキンシが座っている。
アスファルトの上にぺたんと座り込み、夢中な様子で怪物の心臓を喰らい続けている。
怪物の心臓、とされる器官を食べることによって、キンシの肉体に魔力が製造されているらしかった。
食べたものが栄養に変わるように、怪物の一部がキンシの魔力に変換されていく。
魔力が急速に増幅されていく。
それに合わせて、キンシの肉体に明確な変化が訪れていた。
左わき腹、まだ生きていた頃の怪物の顎に食い千切られた。
傷口が急速に再生をしていた。
欠損していた肉片が元の形に戻る。
まるでパズルのピースを当てはめるかのように、本来の在るべき膨らみを取り戻している。
「もぐもぐ、ごくん」
キンシが怪物の心臓をあらかた食べ終えている。
その頃には、少女の脇腹の傷はすっかり癒えてしまっていた。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
心臓の最後の一欠けら、それをシャクリと軽快に噛み砕いている。
いくらか顔色の調子を取り戻した。といっても貧血気味な様子には変わりないが、とにかく元の調子を取り戻している。
心臓を食べ終えた、キンシは座り込んでいた体勢から一気に立ち上がろうとした。
傷はすっかり塞がっている。
真っ赤に欠落していた左わき腹の一部は、つるりとした皮膚と健全な肉の膨らみが再生されていた。
「元気いっぱい、キンシさんですよー!」
起き上がり、早速行動を開始しようとした。
だが、キンシの体は歩き出す前に、再び崩れ落ちていた。
「あ、あららー?」
貧血によるダメージがまだ回復しきっていなかったのか、その足取りはゆらりゆらりと、頼りないものでしかなかった。




