決まりきった事に身を委ねよう
えぐり取られた皮膚の下、表皮の内側、こじ開けられた隙間から体液がこぼれ落ちる。
吹き出した赤色が雫を形成しながら、パタタ、と重力に従って落下をする。
したたり落ちてきた生温かさが、怪物の爪に捕らえられているルーフの頭を濡らしていた。
雨の雫と混ざり合いながら、ルーフの毛髪を怪物の血液が付着する。
塩気と鉄分の気配を鼻腔に感じながら、ルーフの目線は魔法使いの、ハリの行動に固定されていた。
自らの蹴り技によって穿った傷口に、ハリは両の足を密着させている。
魔法によって重力の方向性を変えている、ハリは空にはばたく怪物の体表に立っていた。
魔法使い一人、男一人ぶんの重さを受け止める、怪物の体が虚空の中で揺らいでいる。
反撃の手を怪物が用意しようとした、それよりも先にハリは左腕を怪物の傷口に深く突き立てていた。
手刀のような形を作りながら、ハリの手が赤く艶めく肉の合間にズップリと沈みこんでいく。
目的のものを探るように、ハリは直接目に触れることの無い中身に指を辿らせる。
ぐにゅぐにゅと、怪物の肉の間を探る。目的の器官はなかなか見つからず、やがては怪物が堪えきれなくなったように体を大きく揺らしていた。
「AAAAaaaa A]¥Aaaaaaaaああ ぁあぁぁぁああぁ」
体に触れる異物を振り払うように、怪物は翅を激しくばたつかせる。
拒絶の動作は、ハリの体だけを器用に排除しようとしていた。
「おっと」
怪物の動きの激しさは、ハリから魔法のために使っていた意識を削ぎ落とすのに十分な役割を発揮していた。
重力の方向を元に戻されそうになった。
落下の途中にて、ハリは左の指に握りしめていたものを、そのまま掴み続けていた。
魔法使いの体が星の重力に従って落ちていく。
それと同時に彼が握りしめていた様々な要素が、空間のなかへ同時に引きずり出されていた。
肉の間に通過していた血管のいくつか。
それらは、人間の保有するものとは比べ物にならない程に太く、大きかった。
路上の標識、それらを支える金属製の柱、その程度の太さがある。
普通の大人ならば片手で握りしめられるであろう、一本の太い血管が怪物の肉から引きずり出されていた。
ゴム製ホースによく似た質感を持つ、赤色の管が肉の隙間から、ズルリズルリと露わにされていく。
地面の上に落ちかけていたハリは、左の指に怪物の血管を握りしめたままでいた。
自分の体から要素が奪われようとしている。
その状態を、果たして怪物が認知していたかどうかは、当人の思考を読み取りでもしない限りは不明なままだった。
いずれにしても、ハリの握りしめた拳は怪物の血管、ないしその他の柔らかな管を内側から外界に引きずり出していた。
血液の赤い飛沫が飛び散る。
ハリの手はヌラヌラと新鮮な赤色に染まり、その手に握りしめられているいくつかの器官は、本来収まるべき場所を失い続けていた。
ボタボタと管たちが地面へ、ビルの最上階へとこぼれ落ちていく。
ピンク色、あるいは赤味の強い紫色をした筋が、頼るべき肉の器を失ったままで落ち続ける。
やがてはビルの上へ、現時点で許された地面の上へと沈んでいく、その動作がハリの伸ばした腕の分だけ繰り返されていた。
血管や内臓を引きずり出された、怪物が悲鳴のような鳴き声を発していた。
「あー あー あぁぁあー」
悲鳴のような、と表現するべきなのか? ルーフの思考の片隅で疑問が小さく生じていた。
発せられたもの、耳孔を通過して鼓膜を震動させる鳴動、それらは赤ん坊の口から発せられるものと似た音色を持っている。
逆の言い方をするとして、それ以外の音色はルーフの耳に届けられていなかった。
怪物はあくまでも、最後まで通常の泣き声だけを発しているにすぎなかった。
苦しみを抱いているのか、あるいはまったく別の感情を作りだしているのか。
そのどちらかか、あるいはまったく異なる思考の形態を有しているのか。
ルーフがその答えを見つけ出そうとする。
しかしてそれよりも先に、ハリは怪物にトドメの一撃を食らわせていた。
「でやあーっ!」
魔法によって変えられた重力の向き、固められた矛先は怪物の胴体、その奥に眠る心臓のような器官に固定されていた。
バキンッ。
硬いものが破壊される、決裂の音色が空間の中に響き渡った。
音が聞こえた。途端に怪物の全身から、継続されていたはずの活力が失われていった。
脱力する体の下で、ルーフは爪に捕らわれたままで下に落ちようとしていた。
落ちていくのはビルの最上階……、という訳にはいかなかった。
ちょうどビルの外側、何も無い場所に落ち続けようとしている。
「うわ……!」
身動きが取れない状態のままで、ルーフは自分の体が怪物ごと落ちていくのを感じていた。
このままだと、おそらくは無事では済まない。この高さ、このまま落ち続けたら、肉の形を保つことすら叶わないであろう。
考えられる限りで、かなり最悪な終わり方を想像してしまった。
予感は、もしかすると期待のような熱を帯びていたかもしれない。
しかし少年の期待は、魔法使いの手にって簡単に否定されていた。
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