そんなことばっかり考えている
ルーフが空を飛ぶビルにへばり付いていると、彼の元にまたハリが近付いてきていた。
「どうです? ルーフ君」
「どうって、どういう意味だよ」
とっさに質問の意図を読み取ることができなかった、ルーフは問いかけられた内容をそのまま聞き返している。
少年に問いかけられた、ハリはすぐに回答を用意しようとはしなかった。
「こんな所でお話しするのもアレですし、どうです? もう少し上に昇りませんか」
魔法使いにそう提案をされた。
ルーフが答えをどのように返すか悩んでいると、彼の体を上から掴む腕の感触があった。
「そうよ、ルーフ君」
トーコの声が聞こえると同時に、ルーフは自らに触れる指の感触が、彼女のものである事を確信していた。
「こんな所で、毛ジラミみたいにへばり付くより、もっと気持ちいいとこにいきましょうよ」
誘うような台詞を口にしながら、トーコもまたビルの屋上に移動することをルーフに推奨していた。
彼と彼女に提案された、ルーフは特に断る理由を見つけることができないでいた。
と、言う訳で、空を飛びながら、彼らはビルの屋上部分に腰かけていた。
「ふう! やっぱり移動はビルに限りますね」
とりあえずビール的な言い回しを使うようにして、ハリは移動を浮遊ビル群に任せていた。
「これが灰笛流交通の便、ですよ」
ハリはすでに、どこか自信ありげにしている。
しかしながら、ルーフにしてみれば魔法使いが楽しそうにしている、その理由がまるで理解できそうになかった。
「色々と、かなり細かいことを無視している方法だけどな……」
ビュウビュウと吹きすさぶ風の最中で、ルーフは誰にも聞こえないような独りごとのような声で、本音を呟いている。
ここまで登る過程の無理やりさといえば、いまさら語るまでもない。
移動の方法もさることながら、ルーフにしてみれば地面の上を歩いていることの方こそ、彼としてはよっぽど楽な移動方法のような気がしてならなかった。
ルーフが不満を抱えていると、彼の右側からトーコの声が、風の波をかき分けて彼の鼓膜を震動させていた。
「わたし、このビル使うの初めてよ。なんだかワクワクしちゃうわ」
ルーフが抱いている感想とは対を為すかのように、トーコの声音は明朗で快活そうなものでしかなかった。
「大体この時間になると、こちらのビルがこの辺りを飛んでくるんですよ」
少年の独り言を受け流すかのようにして、ハリはトーコの興奮具合に返事をよこしていた。
少女がそれにうなずきを返しても、ハリにその動作を見ることは、今は不可能だった。
声音と態度だけで楽しそうにしている彼らに、ルーフは何か理解しがたいものに遭遇してしまったかのような、そんな心持ちを抱いていた。
「そもそも、なんでビルが空を飛ぶ必要があるんだよ……」
逆らいようのない現状に、独りさみしく愚痴をこぼすようにしている。
ルーフの独り言は、しかしてしっかりと魔法使いの耳に届けられているようだった。
「それはもちろん、怪物に食べられないようにするためですよ」
少年の言葉を疑問として受け止めた、ハリは特になにか感慨を抱く素振りもなく、当たり前のことを彼に教えていた。
「多量の人間が同時に、同じ場所に存在すると言うだけで、ただそれだけで、怪物にとっては耐えがたい薫香を放つものなのですよ」
「そう、なんか……?」
いまいちイメージを作れないでいる、ルーフにハリはもっと具体的な説明を寄越すべきだと考えているようだった。
「そうなのですよ。こうしてひとつ同じ場所に人間の生命が集まれば、それだけ怪物の発言の危険性が高まるのです」
もっと具体的な事象を用意できれば良いものだと、ハリはその深い緑色をした右目を左右に漂わせている。
夕暮れの羽虫のようにたゆたう、視線はやがてある場所に留まることを選んでいた。
「ああ、ほら……ちょうどそちらのような状況に、なったりならなかったり、なんですよ」
「あ?」
ハリがちょうどよいものを見つけたかのように、左の指をルーフがいる場所より向こう側に差し向けている。
魔法使いの左指が指し示す、ルーフはその方向を見る。
すると、そこには。
「きゃあああーーーーっ??!」
トーコの悲鳴、そして怪物の羽ばたきが発現していた。
「ああああAAAぁぁぁぁあーああああAA ぁぁ ぁあぁぁああ」
巨大な翅をはばたかせながら、怪物は細くながい肢に透明な重みを抱えている。
肢に捕らえている獲物が、トーコであることはルーフにもすぐさま想定できる事柄であった。
「うわああッ?!」
何の前触れもなく表れたかのように思われる。
ルーフの右目はしかしてすぐに、怪物が発現したであろう空間のひずみの存在を見つけ出していた。
空間が裂かれている。
ガラス板に走った亀裂のようなそこは、まさしくたった今開かれたばかりの新鮮さを、まだそこにたっぷりと残していた。
「ほら、ご覧くださいルーフ君!」
突然の出来事に動揺しきっているルーフの、左斜め後ろあたりからハリが気合らしきものを含んだ声が伸ばされてきていた。
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