おねがい導火線を探さないで
ルーフはトーコの容体を心配している。
「ホントに……、止血だけで大丈夫なのか?」
少年が不安そうな視線を送ってきている。
彼に問いかけられた、トーコは平坦とした様子を作りながら、返事をよこしている。
「大丈夫、大丈夫。そんなことよりも、急がないと前の魔法使いさんに置いてけぼりにされちゃうわ」
黒色の半透明な湿布を体に付着させている。
トーコの透明な体に、魔法で作成した湿布が一枚だけ浮かび上がっているように見える。
「ううん、もうここからは先生って呼んだ方がいいのかもしれないわね」
あまり大きくない声で、トーコは誰かから隠れるような声色のなか、自分に向けて密にそう提案をしている。
透明な少女が自らにそう言い聞かせている、そのすぐ近くでルーフは視線を前に向けていた。
他に見るべき対象を見つけられなかった、ルーフはまちの中を歩くハリの後ろ姿を眺めている。
まちには相変わらず雨が、先ほどよりは幾分か勢いが収まった雨が降っている。
雨に濡れている、ハリの被っているつば付きのニット帽から、雨の雫がパタパタと垂れているのが見える。
とりたてて特徴のない動作で歩行している。ハリが首を軽く後ろに向けつつ、後方の彼らに確認をしてきていた。
「ご両人、ちゃんとついてきていますかー?」
ひとりは歩行能力に一抹の不安あり。
そしてもうひとりは、少年の銃口に体を貫かれたばかり。
とても安心安全とは呼べそうにない、彼らの様子をハリは一応心配しているらしかった。
魔法使いからの心配に対して、受け答えをしているのはトーコの声が先だった。
「ご心配なく。こちとら、これしきの事で泣き言あげるようなヤワな鍛え方していないのよ」
いかにも気丈そうな言い回しを選んでいる。
黒い湿布を貼っているトーコに対して、ルーフが今更ながらに信じられないものを見るかのような視線を送っていた。
「よくそんなこと言えるな……。俺はもう、これ以上何もしたくねえって位には、疲れて仕方がねえよ……」
つい先ほどまで互いの生命、存在を賭けた戦いの場面を繰り広げたばかりだというのに。
それだというのに、トーコはすでにそれらを過去の出来事のようにあつかっている。
透明な少女の変わり身の早さに、ルーフはいよいよ信じ難いものを見るかのような、そんな視線を送らずにはいられないでいた。
ルーフの視線に気付いているのか、いないのか。
どちらにしても、トーコの関心はすでに過去の戦いから遠く離れようとしているらしかった。
少年と少女がそれぞれに、全く異なる心持ちで魔法使いの後を追いかけている。
彼らの視線の先にて、魔法使いであるハリが思いついたかのように声を発していた、
「さて、ここからボクの家までは、まだまだ時間がかかりそうなんですよね」
そんなことを言いながら、ハリは特に何の前触れもなく、歩く足を止めている。
歩みを止めた、魔法使いの後ろ姿にルーフの足が追い付いている。
「そういえば……、あんたって一体どこに……──」
いまさらながらの質問文を口にしかけていた。
だがルーフの唇が実際に言葉を紡ぐよりも先に、ハリの方から提案がなされるのが先であった。
「わざわざ歩いていくのも、メンドクセー、ですので!」
「ですので?」
トーコがすこし音程を上げた声で、合いの手のようなものを入れている。
透明な少女の調子に合わせるようにして、ハリは自分の望む行動の形を言葉にしていた。
「空を飛びましょう」
飛ぶという事がどういうことなのか、ルーフは理由を考えようとした。
「?」
だが、彼が理由を考えるよりも先に、魔法使いは左手で彼の体に魔法を使っていた。
「ふらいあうぇいっ!」
それがどうやら空を飛ぶための、いわゆるところの掛け声のようなものであったこと。
そのことにルーフが気付こうとした。
その頃にはすでに、彼の体は三メートルほど高く空に浮かびあがってしまっていた。
「ぎゃああああああああッ?!!」
疑問を抱く暇すらも与えてもらえなかった。
ただ体に起きている異常事態に、ルーフは驚愕を喉に激しく振動させていた。
「落ち着いてください! たかが空を飛ぶだけのことですよ?」
手足をジタバタと動かしているルーフの耳元に、ハリの注意が聞こえるか聞こえないか位の音量で届けられていた。
地面から離れた所で、虚空に漂いながら、ルーフは何とか自らの内に暴れ狂う動揺を噛み殺そうとした。
必死に呼吸を整えている少年の元に、トーコの呆れたような声音が伸びてきている。
「いちいちそんなオーバーリアクションをしていたら、現場に着くころにはカラカラに干からびちゃいそうね」
空に浮かんでいる、ルーフの耳元に声を届けさせている。
ということはつまり、トーコもまた空を飛んでいるという現実であった。
まちのなか、道の途中で空を飛ぶこと。
それは魔法使い、あるいはそれに近しい関係性を持つモノにとってはどうでもいいこと。
日常の中に、水のようにさらりと流し込まれてしまう。
ささいな出来事でしかなかった。
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