お化けに物理攻撃を考えてみよう
透明な少女がその透き通る人差し指、おそらく右指の爪の先端で指し示した。
彼女が見つめている、ルーフは自分の胸ぐらから一つの毛玉が飛び出してくるのを見ていた。
「んに」
かすかな鳴き声と共に、ルーフの胸元から飛び出してきたのはミッタの姿であった。
喫茶店の机の上、木材を切り出して加工した表面、深い茶色に艶めくそこに体をあずけている。
触ったら確実にフワフワ、さらさら、モフモフとしていそうな、そんな丸い灰色の背中が見える。
ミッタは目の前にいるであろう、透明な少女に向かって毛をブワワ、と逆立てていた。
「んるるるに」
精一杯低く唸り声をあげている。ミッタの様子に、トーコは新たなる驚きを胸に抱いているようだった。
「これはオドロキね、今日一日だけでわたしのことを認識する人が、また一人増えるなんて」
これほどに他者とコミュニケーションがとれたこと自体が、どうやらトーコにとっては久方ぶりの、珍事件に匹敵するシチュエーションであるらしかった。
「これは、いよいよわたしの用件も上手くいきそうな、そんな都合のいい展開を期待しちゃいそうだわ」
「用件?」
机の上でミッタの小さく丸い背中をさわさわと撫でながら、ルーフはトーコの言葉に首をかしげている。
少年の動作に小さく笑みをこぼしながら、トーコは彼らに自分の要件を伝えていた。
「そこの魔法使いさん、わたしの腕を買うつもりはないかしら?」
腕を買う、とはどういうことなのだろう?
意味を考えようとして、ルーフは自分に話しかけられた訳でもないというのに、少女の真意についてを考えようとしている。
「腕を買うって、この人に腕を切断してほしいって事なんか?」
ルーフがあたかも真面目ぶった様子で質問していた。
それを聞いた、トーコはしばらくの沈黙を場に許してしまっていた。
その後に、彼女は何かを吐きだすかのように口をぱっくりと開いている。
「あはは、あはははっ!」
堪えきれなかった笑みを、トーコは透明な体から軽快に発散させている。
まるでルーフの質問文が、今世紀最大にいかしたジョークであるかのような、そんな様子を発している。
「いやあ、キミ、面白いこと言うね?」
「なんだよ……」
予想外の反応に驚くよりも、それ以上にルーフはなんだか自身が馬鹿にされているような、そんな感触を覚えずにはいられないでいた。
「じゃあ、腕を買うってどういう意味なんだよ?」
ルーフがトーコに向けて質問をしている。
それに答えを返していたのはトーコ本人ではなく、少年の左隣にて、割れたグラスを持て余しているハリの音声が先だった。
「そりゃあもちろん、ボクに買ってもらいたいっていうのは、絵を描く能力ってことになるんでしょうよ」
「え?」
「ええ、そうです、絵です」
当たり前のように説明している。しかしてルーフは、ハリが語る内容を上手く理解することができないでいた。
「絵を描く能力ってのは……」
「そうですよ、ボクの仕事はマンガを描くことです」
伝えられた事実を飲み込むのに、ルーフは少なくとも三秒ほどの時間を必要としていた。
聞いた後に、ルーフの頭の中に追加された新しい事実が、強烈なる存在感と圧迫感に思考を占領していた。
「はああ?! マンガ家、あんたマンガ描いとるんかいな?!」
「あれ、言ってませんでしたっけ?」
情報の伝達と共有が上手くいっていなかったことに、ハリは今更ながら自らの失態を悔やむようにしている。
左の指で頬を軽く掻いている、動作の中でルーフは彼の言葉に、嘘が含まれていないことを確信させられていた。
「えー? なになに? 知らないでつきまとってたの?」
「つきまとってなんかねえよ?!」
むしろ自分の方が、やたらとしつこく世話をかけられていた、と言った方がルーフにとって事実に近い言い方だった。
「でも……まだ何とかデビューしたばかりの、箸にも棒にも引っかからない程度の若輩者ですけどね」
少年が驚愕に打ち震えている、それを他所にハリは自分の正体についてを簡単に語り終えていた。
「しかし、その辺の事情を知っているとなると、なんです? アシスタントの応募ってことでよろしいんですか?」
「ええ、そういうことになるわね」
少年の動揺の具合を置いてけぼりにしたままで、ハリとトーコはいかにもそれらしい取引を展開させようとしていた。
「あとは……もちろん、別のお仕事も視野に入れておきたいわね」
「なるほど……そういうことですか」
トーコが声を潜めているのに対し、ハリは深く呼吸をするように相手の様子をうかがっている。
「アシスタントに関しては、それはもう、いつでもどこでも大募集中ですので、こちらとしてもぜひとも作業に加入してもらいたいところ……なんですが」
「ですが?」
言葉を濁している、トーコはその部分にすかさず介入の声を伸ばしていた。
透明な少女がそれ以上何も言わないでいるのを、ハリはすでに確認作業の一つとして受け入れているようでもあった。
「ですが……、もう一つの方は、今ここで会話のみで判断することは、ボクとしてはあまりよろしくはないですね」
ハリが、魔法使いが持論を語っている。
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