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秘密のスパークも全部忘れちゃった

 それを口の中に受け入れてしまった、その後でルーフはようやく林檎が林檎ではない事実を悟っていた。

 林檎のような姿と形、質感を持っている、それが魔力のひと塊であること。


 そのことを、ルーフは果肉を噛み砕いた後の味わい、欠片を飲み下す動作の中でおおよそ察していた。

 内側に多量の魔力を圧縮させている、そんな林檎をかじったルーフの体に急速なる変化が訪れていた。


「んン? んぬぐぐぐ……」


 林檎に含まれている要素、養分とでも言うべきなのだろうか?

 栄養、水分、味や触感、それらを食物として認識する。そうする程に、ルーフの全身の毛穴が開き、小さな中身から汗の粒がにじみ出してくる。


 体の感覚としては香辛料たっぷりのカレーを食べたか、あるいは真っ赤な唐辛子を大量にぶち込んだラーメンをすすりあげた、その時と同じような感覚であった。


 心臓がドキドキと鼓動を打っている。それは体に取り込まれた林檎、と思わしき物体の栄養素が、心筋の活動を促進しているからだった。


 とにかく全身に生命じみた活力を覚えている、林檎の欠片が完全に体の奥、内側に取り込まれる。

 それまでに、ルーフは眼球に見える世界が欠片を飲み込む前と後で、それはもう、とてつもなく変化していることに気付かされていた。


「ンげほッ! ごほッ!」


 とりあえずルーフは、前触れなく口の中に食べ物を放りこまれた事に対する、生理的な反応に全身を激しく痙攣させていた。


「おお!、大丈夫ですかルーフ君」


 ハリがルーフのことを心配している。

 もれなく「原因」をルーフの口の中にねじ込んだ張本人である。

 そのはずの魔法使いはしかして、あたかもその現場にたった今遭遇したばかりといった、そんな塩梅の狼狽を少年に見せつけている。


「大丈夫か……だって……?」


 言葉を作るために、それなりにきちんとした言葉の形をつくるために、ルーフは呼吸を急ぎ整えようとする。

 吸って吐いてを繰り返す、動作を繰り返すほどに脳味噌へ不足していた酸素が行き渡るような気がする。


 だがそれと同時に、ルーフは抱いていた怒りの感情も忘れてしまうような、そんな喪失感を覚え始めている。

 急速に忘却をする感覚は、味覚におぼえた林檎の味を共に連れ去ろうとしていた。


「大丈夫なワケ、あるかいな……!」


 忘れそうになる味を、忘れないために、ルーフは魔法使いに怒りをぶちまけていた。


「何してくれとんのや! びっくりしたわ!」


 図らずして故郷のなまりが口をついて出てきている。

 言葉遣いを訂正するヒマも考えずに、ルーフはさしあたって思いつくがままの怒りをハリに向けてぶつけていた。


「いやあ、ごめんなさいね」


 少年がいきり立っているのに対して、怒りを向けられているはずのハリはいたって平常心のままであった。


「ほら、やっぱり新鮮なうちにひとくち、やっておきたかったんですよ」


 それでも一応少年の不快感に同情をする感覚はあるらしく、ハリは自らの行動の誤りを所作の中で謝罪しようとしている。


「すみませんでした、とりあえずすみませんでした」


 しかしどうにものらりくらりとした、軟派な態度が隠し切れないでいる。

 冷静やら客観的視点やら、必要とされるであろう視点を使用した所で、ハリがルーフに対してまともに謝る気がないことは明白であった。


「でも美味しかったでしょう?」


 この一言、確認事項さえあれば十分であると、ハリは心よりそう信じ込んでいるようだった。

 思い込みを喉元に決め込もうとしている、魔法使いの左手には林檎が握りしめられたままであった。


 先ほどルーフが噛み砕いた、ちょうどその分の空白が果肉に生まれている。

 一口だけかじられた林檎、ルーフはそれを恨めしげに見上げている。


 しかしながら、その時点でルーフは魔法使いの手に握りしめられている林檎が、「普通」の林檎ではないことをすでに感覚の中でさとり始めていた。


「ルーフ君のお察しの通り、これはただの林檎ではございません」


 ハリが少年に説明をしようとしている。

 だが彼が実際に口を開くよりも先に、モアが少年の方に体を強く寄せていた。


「え、え? なに」


 いきなり顔を近付けてくる。

 と思ったら。


「ちゅう」


 と、モアはルーフの唇に自らの持つ同じ部分を柔らかく、優しげに押し付けていた。


「んむ?」


 林檎を押し付けられたときと同じく、ルーフは自分の身に何が起きたのか、とっさに把握することができなかった。


 一秒が経過した、その所でようやくルーフは自分の状況を更新していた。


「んなあッ?」


 「何」といいかけて、結局は何も言えずにただ叫ぶだけをしている。

 ルーフが爆発的な勢いで、モアの胸元を両の手で強く押し退けていた。


「きゃあ」


 モアは悲鳴のような気の抜けた鳴き声を発しつつ、特にダメージを追う訳でもなく少年の手を軽々と受け流している。


 特に何の脈絡もなくルーフにキスをした。

 モアは少年のそれに密着させたばかりのそこを、湿った舌で名残惜しそうにゆったりと舐めまわしていた。


「うん、相変わらず美味しい実りで安心したわ」


 果たして少女が何のことを言っているのか。

 ルーフは考えようとしたが、しかしながらどうにも思考が上手く活動をしてくれそうになかった。


 今しがた唇を奪われたばかりで、さながら生娘(きむすめ)よろしくのショックを覚えている。

 ルーフは自身のウブっぷりに歯がゆい思いをしながら、それでも時間の経過と共に疑問点を追及するための意欲を順番に増幅させていった。


「それで! それで、その林檎は一体何なんッ?!」


 立て続けに起きる災難、もといハプニングにルーフはどうにか自分の意識をくっ付けさせるのに必死だった。

 そんな少年に対し、モアが待ってましたと言わんばかりの語りを開始していた。


「ふふん、それはね、この古城全体を使用した機構によって練り上げた、人口の魔力結晶なのよ」


「……へぇー……」


 しかし、残念なことに魔法使いが最初に呟いたとおり、言葉だけでは少年に理由を理解することはできそうになかった。


 「古城全体を使って、()した魔力をメインコンピューターで結晶化させているのよ」


 モアがそう語り、そしてそれで説明をし終えていた。

 少女の説明を聞いている、ルーフは口の中に残った林檎の残り香を舌で、静かに舐めとっていた。


「この古城は(いにしえ)より現代にいたるまで、この場所に関係した魔術師たちの思考回路をインプットした情報のかまたり、であることはすでに説明したわよね?」


「かまたり」


「あ、間違えた、塊ね」


 少年と少女がやりとりをしている、その間に魔法使いであるハリは少しだけ暇そうにしていた。


「言うなれば、現在の灰笛(はいふえ)は魔術師によって作り上げられた、古城のための巨大な根っこのようなものなんですよ」


「まあ、身もふたもない言い方をするなら、そういうことになるのかしらね」


 魔法使いからの表現に、モアは視線をチラリと左斜め上に向けながら同意を示していた。


「なんだか、ずいぶんと他人事みたいだな」


 密かに舌の動きを諦めるように止めながら、ルーフは口を開いて少女に問いかけている。


「自分の家……みたいなものなんだろ?」


 少年に問いかけられた、モアはどことなく気まずそうな雰囲気で微笑んでいる。


「そうは言っても、身近にあるものの全部を、たとえば自分の家族のことだって意外と、なにも分かっていなかったりするものなのよ」


 なんとなく哲学的な雰囲気があるかもしれないし、全然関係ないのかもしれない。

 モアの発したそれがはぐらかしによるものだと、ルーフが気付くころには彼女はすでに別の段階へとコマを進ませようとしていた。


「ともかく、古城に関係するすべての要素を利用して、作り上げたのがこの貴重な人口魔力鉱物なのよ」


 事情はともかく、モアは現れた結果を誇らしげにルーフへ見せつけていた。


「狩り終えた怪物の血肉を寄り集めて、一つの場所に固めたものがこうして、林檎の体をなしてこの場所に現れるのよ」


「何で、……リンゴなんだよ」


「それは……」


 もっともらしい理由を聞きだせると思っていた。


「古城の初代主が、林檎が好物だったからじゃないかしら」


「……思った以上に、くだらねえな」


 その話はここでお終いにするべきだと、ルーフはモアののらりくらりとした態度にあきらめをつけていた。

 それはそれとして、そうまでして魔力の結晶を求める理由の方にも注目しなくてはならないことに、ルーフは早くも疲労感のようなものを覚えていた。


「それで、なんでここではそんなにもリンゴを集めようとしているんだよ」


「その理由は、こちらをご覧くださいませ!」


 問いかけると同時に、ハリのいる方から硬く大きな機械の音らしきものが聞こえてきた。

 ガシャン、ガシャン、と硬質な音色を奏でながら登場したのは、マウンテンバイクほどの大きさがある巨大な謎の機械であった。


「おい! 今どっから出したソレ?!」


 とても懐に隠しておけるものではない、小さくない機械の登場にルーフが驚いている。

 だがハリの方は少年の驚愕に、今はいちいち相手をしようとはしなかった。


「まあまあ、その辺はおいおいご説明しますよ」


 彼の驚愕をやり過ごしながら、ハリは左手に握りしめたままの林檎を機会に開かれた穴に投げ込んでいた。

 ちょうど林檎一つ分を受け入れる程度の穴、空洞に赤い実が吸い込まれていく。


 ハリは機械から伸びている取っ手を掴み、腕を使ってそれをグルグルと回転させている。

 硬いものが削られる音色がしばらく続いた後、機会の中から柔らかいものがこぼれ落ちる音色が響きてきていた。


 果汁を絞った、それを詰め込んだ小瓶が歯車だらけの機械からころん、と転げ落ちてきていた。


「ふぅふぅ! しぼりたて生一本、ね」


 モアがなんとなく居酒屋の活気を勘違いしてしまいそうな言葉を発している。

 そうしながら、少女は機械から搾り出された液体の入った小瓶を、植物園の中心に生えている巨木の方に運んでいた。


 少女の足取りは小躍りをするように軽快で、ルーフはそこにポジティブな感覚を見出そうとした。

 ……だが、それは上手くできなかった。


 理由らしき言葉を考えるよりも先に、ルーフはその光景に(あり)の巣を思い浮かべていた。

 多数の生殖能力を持たぬメスの黒く硬い鎧たちが、与えられた細い足を懸命に動かして結果を、恵みをただ繁栄の根源だけに運び続ける。


 考えた、もちろんルーフは考えた内容を実際に口にすることはしなかった。

 思いついてしまった言葉の数々を忘れようとするために、ルーフは少女が作業をしている場所に足を運んでいる。


 少女が、モアが林檎からしぼりだした液体を注いでいるのは、植物園の中心に植わる巨木にあけられたうろの中身だった。


 暗く小さな空間の底、同じく液体に満たされているその中身には、白く小さなけものが眠っていた。

 少なくとも人間の姿をしていない、その小さな白いけものこそがこの古城の主だった。


「こんにちは」


 言葉を隠して、喉の奥に少しだけ無理矢理に押し込んだ。

 中途半端に生まれた静かさの中で、ルーフはとりたてて意味もない挨拶だけを口にしていた。


こんばんは。ご覧になってくださり、ありがとうございます。

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